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老醜な自分が嫌い!

私がフォローさせもらっている方の一人にキミコさんという方がいらっしゃる。フランスで長く生活されていて、その中で得た貴重な経験を語ってくれているのだが、最近なるほどと感心したのは、彼女がフランスの老人ホームでボランティアしたときの様子、興味を失うという記事だった。

(老人ホームで接した老人たちが、美味しい料理にも反応しない様子を見て)年を取るとしだいに外界に興味を失うのは知っていました。自分のことだけにかまけるようになる。身の回りの狭い世界にだけ関心が向かう。それを知ってはいたのですが、どうやら自分自身への興味すら無くしてしまうらしい。最も基本的な食べることが喜びでなくなる。生きようという意欲をなくしてしまっているのか。私が初めて知った老人の姿でした。

考えさせられる一文である。
noteに集まっている諸君のような、若い読者は怯えたりはしていないだろうが、身体も気持ちも老人化(老化)していって、正に老爺となる筈の、近い将来の自分を限りなく恐れて、いや既に老人となっている自分を認めたくなくて、毎日鏡を見ながらブルブル震えている私には、上の文章には、薄々感づいてはいただけに、ギャフンと唸ったのである。まさにその通り。
私の心を穿ったのは「年を取ると次第に外界に興味を失う」という第1段階と、その次に「自分に対しても興味を失う」という第2段階が来る、という事だ。こ、こわい。自分もいずれそうなる蓋然性が高いだけに恐い。ブルブル。
でも逆に、前向きになって、この言葉を裏返して教訓化してみると「老化をおそれるならば、絶えず外(世界)に対する興味と、自分を可愛がる気持ちを持つ事が肝要だ」ということになる。のんびりとして静かな日々など要らないぞ、という気迫が必要なのね。うん。
会社と自宅を往復しているだけの毎日を淡々と繰り返している私に、沈思黙考させる一文ではあった。

話は替わって先日、息子が「おとう、おれも結婚するべ」と彼女を連れて、家に来た。
あどけなさの残る可愛いお嬢さんだった。
それはめでたいとばかり、郊外の高台にあるおしゃれな料亭でごちそうしてあげようとしたけれど、都会のお嬢さんを田舎の、そのまた山あいの店に連れて行って、どうだいとばかり夜景をご披露したところで、肩寄せあって生きている貧乏人たちの家と、山の若い衆(サル)が騒いでいるのが見えるのみ。めでたい話は賑やかいところでねと、結果、新幹線駅の近くにある、おしゃれな店に連れて行って、挨拶に来た若き二人に、奮発して精一杯の歓待をした次第である。

そうして、ふと私は父親という「像」について考えた。「父親としてあるべき像」ね。
子供もこうして大きくなり結婚しようとしているのに、一方で私はかれらの「父親」と呼べる男なのだろうかと。私は父たり得ている男なのだろうか、子に誇れることなど何も、何一つないではないか、と。
高そうなお店の一室で、テーブルを挟み、息子と婚約者のお嬢さんを前にして挨拶を受け、父親顔をしてはいても、反して皮裏ではお尻の痒くなる、少し恥ずかしい、少し申し訳ない位の気持ちが、湧いていたのも事実だった。

それでも、息子たちと食事を摂りながら、ある一つの不思議な気持ちが湧いてきているのを感じていた。上の娘二人を嫁がせた時は、特段こんな気持ちが湧いてくる事はなかったからだ。
それは、こうして長男が嫁をもらい、「私たち夫婦の姓を名乗る」というただ一つの事実が、実はとてつもなく大切で嬉しいことなんだと言う気持ち。太宰治の生家のごとき田舎の名家でもなく、夫婦ともにちっぽけなサラリーマンの私たちだけれど、その私たち夫婦が持っている共通のもの、つまり名乗っている「姓」を、一つ次の世代の夫婦に送る事が出来たという気持ち。そう、単純な比喩だけどリレー競技の「バトン」、駅伝の「たすき」を渡す、そんな気持ちが実感として湧いてきたのだ。息子や婚約者も、またこれを読んでいるあなた達も、バトンを受け取る側だから、別の気持ちが湧くのだろうけれど、私たち夫婦が今まで持って来た共有の物「姓」を、次の世代に引き継ぐ事が出来る、というある種の安心感がこの時の気持ちではなかったろうか。ジジ臭え考えかなあ?
でもそう考えていくと、父親とはなんぞや、正しい父たり得たのか、父と呼べる人間なのだろうかという自問の答えも自ずから出てくる。

答えは「そんなの関係ねえ」って事。

カッコいい有名人にはならなかったし、誇れるなにものもない父だけれど、今の我々夫婦の世代から次の世代にバトンを送れたな、少なくとも今、受け取ろうとして伸ばした息子夫婦の手が、目の前に見えている。それでいい。あるべき父親像など考える必要すらないと、次に送れた、それで良しとしなきゃあなあ、そう思うのである。

キミコさんの話と息子の結婚の話は接点がないように思えるかもしれない。でも少し整理してみる。子世代へのバトンタッチは事実としては、また一歩老人に近づいて来た証である気もするけれど、前向きに考えれば、少し肩から荷物が降りて、動きやすくなったと言えなくもない。上に書いた教訓のように、気持ちを外へ自分自身へと向けることができる素地が広がったのかもしれない。
父親とはなんぞやと考える暇あったら、これからできる何か違う事ないか、考えろや。そう発想してもいいのかも知れない。山本作兵衛のようにね。(読者のあんたたち、山本作兵衛、知ってる?)日々、溌剌とされているキミコさんのようにね。

ーーーーと発想が前向きになっていく事ができればいいのだが、生来より染み着いた悲観視グセのせいで、子供全員結婚して、また一歩おじいちゃんに近づいちゃった、次の孫は女の子などと、ちょっと後ろ向きにもさせる乙女心?てやつです。



追伸
あ、そうだ、頑張って働いて、カトパンと結婚するんだった。大きな目標があったんだ、まだまだ下を向いてる場合じゃねえぞ(笑)↑今日の記事のオチ!