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銀河鉄道の、昼

秘密のデート

少し前の日曜日のことだった。
15才も年下の、密かにつきあっている恋人と、車で2時間ほど走った先にある海のある大きな町に(こっそりと、と言う注釈がつくけど)ドライブに出かけた。
乗り込んで、ほどなくして、今住んでいるアパートの話など始めてくれた彼女なのだが、町を出て郊外の山道に差し掛かった頃、こう話しかけてくれた。
「(ひとりで暮らすには)この辺でもいいかもね、静かで!」と彼女。
「田舎町の、なおかつ田舎なんてオレはいやだな」と私。
ここらあたり、山あいの場所は、もう半月もすると雪が里より多く降り、越冬に苦労するだろうという現実的な理由からだった。
すると彼女は黙ってしまい、すこし話が途切れてしまった。
そこで私は、こう彼女に切り返した。
「あのね、この道じゃなくて、山の向こうに走っている○○峠を行ったことあるかい?山に囲まれているんだけど、急に開けた集落にでるんだよ。そこはなだらかな丘陵が広がっていて、大きな水田とそこを囲むように大きな果樹園が、ゆるい斜面に沿っていくつも並ぶ、そんなステキな集落があるんだよ」
機嫌が治ったのか恋人が乗ってきた。
「え?そんなところあったっけ?うん、それで?」
私は続けた。
「晩秋の夕陽の当たる時間。畑のあぜ道に、陽を背にして腕を後ろに組んだ宮沢賢治が歩いてそうな、そうして陽が落ちると、大きな空の一角に、銀河鉄道の停車場が、プラットホームが、薄い帯となって浮かんできそうな、そんなにステキなところなんだ」

確かにその村といったら、私の話も大袈裟な比喩ではなくて、手前の山をくり抜いた長くて暗いトンネルを抜けると、大きな丘陵地帯がいきなり現れてくる。え、こんな山の中に?といった広さへの驚きもさることながら、ゆったりとして少しもうらぶれたさまを感じさせない、山間の集落にありがちの貧しさの片鱗もない、そんな村に出くわすのである。

銀河鉄道の昼

決して知人に見つかってはならない前提の私たちカップル。
来年の桜が咲き終わった時分に、この女と二人で、こんな村の畑の脇でお弁当を広げ、またピクニックシートに寝転んだ女の頭を、その長い髪をなでながら、宮沢賢治の短編をゆっくり読むことなどできたなら、どんなにか幸せだろうに。
ああ、確かに私が愛しているこの女の、艶っぽく輝く長い茶色の髪をなでる度、私は本当にまことの幸せを実感する。
暖かな日差しの中、昼間だけど二人で天空を見上げ、そうしてゆっくり目をつぶり、私たち二人にとっての幸せを、現実生活の上では決して有り得ない二人の幸せを、しかも目を閉じた二人が同じ一つの画面の中で、一緒に感じあえないものだろうか。空と空の繋ぎ目から、湧いてくる雲の隙間から、私たち二人を乗せるための汽車が来ないものか。
宮沢賢治に甚だ失礼、且つ不謹慎極まりないのは承知であるけれど、当の賢治翁も不倫カップルのおかずにされてはたまったものではないけれど、私たち二人にとっては、この密かなドライブが、美しい村に思いを巡らす銀河鉄道の夜。いや昼なのである。

気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごとと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走り続けていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄色の電灯の並んだ車室に、窓から外を見ながらすわっていたのです。

大きな帽子を被った男が、最後に、ジョバンニに向かって話しかける。ジョバンニにとって「切符」とは何なのだろうか。

「おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。」
「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火や激しい波の中を大股にまっすぐに歩いていかなければいけない。天の川の中でたった一つの、ほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない」


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