「たったひとりの30年戦争」小野田寛郎
のっけから、タイトルと真逆の話、していいっすか?
やっぱり、太宰治は面白い、のである。
太宰のデビュー作とされる「思ひ出」の第三章、みよとの初恋を描いた章を読んでいる。
名士の息子たる太宰治と、その小間使いの女、みよとの、いじましくもほのかな出会いと言ったものが、折々の出来事とともに優しいタッチで描かれている。弟との気まずい様子など、少し言葉足らずで「ん?」となる部分もあったが、なかでも捕まえてきたホタルを蚊帳の中で放して、そうして蚊帳の外で待つ、青白い蛍の光に照らされたみよを見るあたりなど、なんとも艶めかしくもある。
そうだ、オレは気づいた。太宰治の文体は、太宰が何を書いても、ただひたすら優しい、のだ。優しい。それだ!!
納得!
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実は私は先ほどまで、フィリピンルバング島で30年も戦争を続けていた、小野田寛郎の本を三冊、通して読んでいた。
「わがルバン島30年戦争」
「たった一人の30年戦争」
「小野田寛郎の終わらない戦い」(戸井十月とのインタビュー)
いわゆる戦後、確かに多くの情報を得ながらも、それら全てが米軍の謀略に違いないと誤信し、上部からの指示に従い、ゲリラ戦を遂行し続けた元陸軍少尉、小野田寛郎の手記と対談の三冊である。
小野田さんには誠に失礼な読後感なのかも知れないが、こうして読み終えてみると「とても面白い読み物だった」そうつぶやかざるを得ないのだ。
読んでいるこちらの関心を引く面白いエピソードなども交え、こちらを惹きつけて止まない手記なのだが、読みながらも面白がっていてはいけないという自戒も湧き上がってくる。戸井十月との話の中では、多少濁してはいるが投降まで続いた現地フィリピン人殺害やフィリピン警察軍との戦闘、投降した赤津氏を最後まで「脱走」と言い放っている辺りが、私は小野田さんを顕著に具現化させているポイントではないかと思う。
つまり戦後日本を凌駕したアメリカ型民主主義といったものが、彼の頭と身体には、彼の血の中には、これっぽっちも混じってはいないのだ。まさに彼を彼たらしめているのはそこで、彼には「戦後」がない。戸井十月も書いていたが、戦闘を語るときの小野田さんの眼光炯々とした様子、文脈に少し怖ろしくなってくる。
彼の根底にあるのは「日本は絶対に負けない」「必ず友軍が迎えにくる」という矜持と信念だろうが、その意思を曲げない帝国陸軍に対する忠誠、ひいては祖国に対する信頼といったものは、後世に生きる男子たる自分としては、頭が下がる思いというより、少し恥ずかしくもなってくるのである。
彼が日本に帰ってきて、広島の平和記念公園をみたとき「決してあやまちはくりかえしませんから」と碑に刻まれていたのを読んで、隣の友人に「過ちは繰り返さない、とは、次は日本は絶対に負けない」と言うことか?と聞いた話。
上官の命令が兵隊の行動のすべて、すなわち命を決定づけるものが「軍隊」なのだから、日本が戦争に負けたのなら、司令官や将官たちは責任をとって全員が自決しているはずだと思った話。
朝鮮戦争、ベトナム戦争を知り、やはり米軍相手にアジアでは戦争は継続している、日本本土はアメリカの傀儡政権が樹立されてしまったが、おそらくは満州に旧政権が存続していると信じていた話。
皆既日食の時はあたりの異変に驚愕し、戦闘体制を取った話。
耳の鼓膜を巨大アリに食われた話。日本に帰ってきて水平の場所では寝られなかった話。
戦死したら靖国で祀るからと約束し戦地へと赴かせながら、戦後は一転、靖国神社をないもの、とないがしろにしてしまった、現代の日本人。
どれもが読んでいる私をうならせる。
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小野田寛郎元少尉の手記と、太宰治の「思い出」を比較しているわけではないが、若き太宰が初恋のみよにちょっかい出す様を読んでいて、何だか胸をなで下ろす自分がいるのがわかってくる。ああ、よかった、ホッとした、とそんな実感。