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御徒町の立ち呑み屋を訪れる

さて私はというと、サル、イノシシ、シカ、時々クマと、それと若干の人間が仲良く(でもないが)暮らす、武者小路実篤も驚くような、共同体、コロニーのメンバーなんで、まあ簡単に言うと僻隅の地、山奥の寒村。どこに行くにもクルマ、クルマ。すべてがクルマ。例えば会社の帰りに居酒屋へ寄ろうとすると、会社にクルマを置いていきーの、翌朝、嫁に会社まで送って貰いーの、とにかくよっぽどの対策が必要なのである。休日にいたってはお酒を飲む前に「もう運転しないよな、大丈夫だよな」と自分のスケジュールを反復し、嫁に何回も確認しなければならない。都会に暮らす、車を持たない、持つ必要のない皆さんがうらやましい。
なので以前から気にはなっていたけれど、なかなかその機会に巡り合わせないものが、大きな町にある(といわれている)いわゆる「立ち呑み屋さん」だ。
今回の東京行きのついでに、私はかねてからの懸案だった立ち呑み屋を初体験してみることにした。だっておらの住む田舎の町にはないんだもん。
帝都大東京、御徒町
謂わば飲んべえのメッカ。酔っ払いの聖地!帝都大東京、御徒町の立ち呑み屋はこんな田舎者を受け入れてくれるだろうか。

さてこの時節、陽は長くまだあたりは明るいが、すでに夕方5時半。御徒町駅で降り、線路の南側、飲食街へと進んだ私は、その中間くらいに一軒の立ち飲み屋を発見。でもこんなおっさんでも一人で入るのには少し勇気が要る。
店の前にそっと近づき、少しあいた間口から内部をチラ見する。きたねえカウンターが見え何人かがいる。でもちょっとこわい。10メートルほどやり過ごしたあとで、意気地のない自分の背を押す呪文、experience is the best teacher、意を決して店に突入した。

「いらっしゃい」低い声がした。
そっと店の中に入ると、左手のかどに立って店内を見渡している一人のおっさんがいる。
おっさん、低い声でウエルカムをだしつつも、すぐにおれ   (以後、私→おれ)に向かってカウンターの向こう側を指さすのだ。指さしつつ顎をそちらに向けて合図を送っている。そこへ行けということらしい。
「あ、はい」
空いていた一角に陣取ったおれはおっさんの顔をみて一挙に緊張してしまった。何故ならこのおっさん、どうみても日馬富士そっくりの強面。その店のカウンター上のテレビで、ちょうど相撲か中継されていたというタイミングでおれは思わず「日馬富士、引退してこんなとこで働いているん」と思ったくらい。ほんとだよ。気に入らないやつは灰皿で頭たたいちゃうぞ、いやほんとに、こわい!めっちゃ恐いのである!
「や、やべえとこ、はいっちまった」心の中で思ったが、もうおそい。すると間髪入れずこの日馬富士、オレに聞いてくる。
「なに?」
いきなり、なに?ですよ。
おれ「え?なにって?」
日馬富士「飲み物だよ」こ、こわい。
おれ「あ、ビールお願いします」もう、おれは丁寧語を使い出した。
日馬富士「生?ビン?」主語も述語もない。ただそのまま聞いてくるのだ
おれ「な、なま、おねがいします」
日馬富士「つまみは?」
うひゃ!すぐに決めなきゃあかんのね!壁にはきたねえ字でかかれたメニューが貼られていて、その一番端に書かれていた肉じゃがが目に入り、あわてて、
おれ「に、にくじゃが、お願いします」
日馬富士は軽く頷くと、やっとオレから目を離してくれた。ホッとする。テレビをみるとちょうど相撲の中継、郷土の出身力士が出ていて、待ったなし!その一番を見ていると、いや見ている振りをして店内をチラ見していると、カウンターの中にいた可愛くねえ少し太った姉さんがビールを置き、カウンター奥のばあさんが肉じゃがを鍋から小皿に盛りオレの前に置く。
ねえさん「600円!」
おれ「え、いま、ここで払うの?」
ねえさん「そう」
どうもこの店のスタッフは言葉少なげだ。愛想というものを商品にしていない。お金を払いやっと少し自分を取り戻したオレは店内を見渡してみた。

すると他の客も皆、あとから注文した際はいちいちその場で、注文毎に決済しているのである。しかもみんな全員男で全員が単独客。しかも無言、いっさいの会話なし。
あ、あとからまた一人客が入ってきた。日馬富士さんはその客にも先ほどオレにしたように、店の開いた一角を、いかちい顎とぶっとい指でそこへ行けやと誘導する。客は黙って、慣れたようにそこへ向かうのであった。
おれはこの緊張感からか、腹にたまったビールの炭酸ガスがゲップとして出てこない事に気づいた。腹が少し、苦しい。膨満感とともに店内を見回して、また手元のビールを取る。
アルコールが血液に溶け何とか緊張が解けぬものかと、ビールをおなかに詰め込んだので、ジョッキはすぐに空になり、お替わりしてみた。
ねえさん「410円」
ただそれだけ。税込み。システムに一切の無駄がない。しかし、安い。安すぎるほど、安い。
お替わりの生ビールを流し込むとオレは慌てて「ごちそうさま」、一声発して振り返らず、そのまま店をでた。背中で例の日馬富士が「ありやとやんしたーあ」と言ったのか言わなかったのか憶えていないが、店の前で大きくゲップをした、というか出た。読者には下品で申し訳ないが、やっと下界にもどった宇宙飛行士の気分。
約20分で1000円と少し。安さもさることながらこの、「立って飲む」「単品その場会計」というシステムと、店員と客との会話に一切の無駄がない事にすっかり感動してしまった。素晴らしい?ひとときを過ごしておれは元気を取り戻し、アメ横の有名店、中田商店を見学してから駅へむかったのである。いや本当は、ムラサキスポーツ本店でクイックシルバーのパーカーを買って帰路へと気分を切り替えたのである。

ところが帰路の道すがら私は考えはじめてしまった。どうしてあの立ち呑み屋は、一品ごとその場の決済なのか、近所にあった同業の立ち飲み屋も、なべて同じシステムなのか、あのお店は、客に立たせる以外は普通の居酒屋の体裁を持っているようだが、「角うち(かくうち)」とはお役所への届け出上も異質なのだろうか。逆に考えると角うちは乾き物のおつまみしか出してはいけないのだろうか、ああして料理を提供すれば「居酒屋」なのだろうか。
深まる疑問とともに、新幹線の中で私はもう一度、東京御徒町の立ち呑み屋チャレンジをしてみようと思い立ち、即刻決心したのであった。
「よし、今度は昼間からだ、うん!」単に飲みたいだけか。おわり。