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アル中なおもて往生をとぐ、いわんや善人をや

     
師走を迎え生命能力の何もかもが益々衰退しております。勃起持続力も例外じゃない。どうですか。元気ですか。哀しいですか。死にたいですか。誰かを殺したいですか。せんじつ冷凍庫のなかからも陰毛が発見されました。周知の通り陰毛は世界に遍在し、「あるはずのないところ」にこそある。だからもう驚かない。やがて原子炉や卵のなかからも発見されるだろう。
私はこのごろ布団から一オングストロームも出たくないし、散歩や買い物は苦行でしかないし、胃腸ボロボロなのに酒量は増える一方だし、全裸オナニーもだんだんやりにくくなってきて困っています。ジーンズのチャックから魔羅だしてシコシコ射精にいたれる人もあるようだけど、まことに羨ましい限りです。繁茂するチン毛が亀頭に挟まらないため三カ月に一度はカットしなければならない僕の粗チンではそんな芸当はできない。というかそもそも裸にならないと解放的な興奮を得られない。ワイルドな色気に浸れない。ケダモノに成り切れない。廉価ウイスキーの薄いお湯割りをチビチビ飲まされているような感じ。全裸で靴下はかえって興奮することがあるけどね。
え、いきなりそんな品のない下半身ネタばかり書くなって? 何をいうんだ。酒とオナニーのことしか考えていない僕に君はいったい何を求めているんだ。名前を入力するだけで脳内を図で表現する「脳内メーカー」という遊びがいちじき流行ったけれども、その流儀でいまの僕の脳内を表示するならさしづめ「酒酒酒酒酒酒酒オナニーオナニーオナニーオナニー哲学哲学」みたいなふうになる。いまだってチンコいじりながらこれ書いてんだ。だからキーボードはいつもキンタマ臭い。
もうこんご糞みたいに惨めな日々しかないに違いないから、みょうちょう目が覚めて昆虫Gになってても絶望しません。実存的不条理なんか感じない。むしろ歓喜のなか冷蔵庫のコンプレッサー付近の暖かい場所にのそのそ引っ越すだろう。そして基本は寝て過ごすだろう。腹が減れば自分がかつて落としたフケでもかじるよ。かつて人間だったから毒餌がどんな形でどのへんに設置してあるのかも熟知している。恐竜絶滅のさなかも生き延びた生命力をなめんな。こんなことを書いているともう冗談抜きで昆虫Gになりたくなってきた。
あえて「輪廻転生」という神話的思考様式に乗っかった振りをして言うなら、「人間」として生きることは悲惨極まる罰ゲームでしかない。この途方もない不快を「再生産」させない意志を貫く人間を私は、「聖人」と呼ぶ。私は底辺アル中オナニートながら「聖人」として生き、「聖人」として死にたい。私に友人がいないのは私が「聖人」であるために彼彼女らの卑小さを理解できず、大抵のばあい同情さえ出来ないからだ。ああ、縁なき衆生は度し難い。
この寒冷化一直線の時期に強くなる抑鬱気分をウィンターブルーとか言うようだけども、スプリングブルーもサマーブルーもオウタムブルーも知っているオイラの耳にはなんら新鮮には響かない。いまこのしゅんかん抑鬱に苦まずキラキラ充実して生きている人間すべての頭上に火星17が着弾することを「聖人」として祈ってやみません。北の将軍様、どうかよろしく。
このごろ在室中にタバコ臭を感知するたび、百均で買ったラベンダーのポプリを袋のまま嗅いでいる。都市は他人をことごとくノイズにしてしまうのよ。「他者」は不快の源泉。それゆえ私も誰かのノイズになっている。誰もがなにがしかイラついている。ウンザリしている。他人のふくらはぎに噛みつきたく思っている。次の瞬間の劇的救済を期待している。「今日で全てが終わるさ、今日で全てが変わる」と。アルコールに酔う悦楽の正体はそうした「疑似的絶頂感」にある。酔いが醒めかけたころのあの底なしの虚しさがそのことを余りなく物語っている。射精した後もそうだね。かりに最高の射精が「個体の死」に直結しているとすればそれはどんなにすばらしい事だろう。最高度に泥酔し完璧なオルガスムスに達するとき、人は昇天できるだろうか。
光熱費膨張を避けるため暖房も付けられない部屋は寒く、そろそろ気鬱と徒労感が強くなってきたから、最後に私の愛する小説の書き出しをそのまま引用して終わります。

星図にも載っていない辺鄙な宙域のはるかな奥地、銀河の西の渦状腕の地味な端っこに、なんのへんてつもない小さな黄色い太陽がある。
この太陽のまわりを、だいたい一億五千万キロメートルの距離をおいて、まったくぱっとしない小さい青緑色の惑星がまわっている。この惑星に住むサルの子孫はあきれるほど遅れていて、いまだにデジタル時計をいかした発明だと思っているほどだ。
この惑星にはひとつの問題がある、というか、あった。そこに住む人間のほとんどが、たいていいつも不幸せだということだ。多くの解決法が提案されたが、そのほとんどはおおむね小さな緑の紙切れの移動に関係していた。これはおかしなことだ。というのも、だいたいにおいて、不幸せだったのはその小さな緑の紙切れではなかったからである。
というわけで問題はいつまでも残った。人々の多くは心が狭く、ほとんどの人がみじめだった。デジタル時計を持っている人さえ例外ではなかった。
そもそも木から降りたのが大きなまちがいだったのだ、と多くの人が言うようになった。木に登ったのさえいけない、海を離れるべきではなかったのだと言いだす者もいた。

(ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』安原和見・訳)

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