見出し画像

「エッセイ」何と呼べばいいのだろう?#見つからない言葉

主人の夢をみた。

そもそも「夢」って、「観る」のか「見る」のか?
いや、正確に言えば観ても見てもいない筈だ。
レム睡眠の頭の中が勝手に妄想して創り上げたのが「夢」じゃないのか?と私は思っているが、詳しくは分からない。現実として「夢をみる」と言う言葉は間違っていると思うけど、日常的に普通に使われている。

でも私が「見つからない言葉」は、それではない。

主人が健康に生きていた時、私は主人を大好きで恋をして愛していた。それは事実だし否定するつもりは微塵もない。
では主人が「植物人間」になった時はどうだ?意識の亡い人を意思の疎通を失った人を本当に「愛している」と言う感情で看続けていたのか?と言ったら、それは違うと思う。
言葉が見つからなかったから、私は植物人間となった主人に対して使う言葉を「愛」で表現した。でも実のところ、あの時の私の感情を表す言葉は何処にもなかった。
「元通りに治す」可能性は、年月と共に費えた。
意思の疎通も出来なければ、外見も私が「愛している」主人とは程遠いものに変わってしまった。

愛しているとも好きだとも違う。
だからと言って「同情」でも治してみせるという「意地」でもない。
赤子を育てるような愛おしいとも違う。
あの感情を表す言葉をやっぱり私は持ち合わせていない。

主人が亡くなってから、最近やっと夢に現れてくれるようになった。その姿は元気だった頃のものだったり病気で眠っていたりとさまざまだが、元気な姿で出て来てくれた朝は、やっぱり気分がいい。
でもこれも「恋」や「愛」とは違うと思う。
だって主人は亡くなって、その身体も精神も実際には存在していないし、夢をみ終わった後にその幻影に「恋する」なんてロマンティックな人間ではないつもりだ。
実体の無いモノ(AI等)に最近の若者は恋をする事が出来るらしいが、私には出来ない。
では「想い出」に恋をしているのか?それを「愛」と呼べるだろうか?

言葉で言い表せない。それはそうだろう。
「言葉」にだって需要と供給がある。
使う人が少ない感情を表す言葉、ましてや言語が出来た頃の医学では生きられなかった人間を想う気持ちを表現する言葉はないだろう。そして、これからも創られないと思う。

この思いを何と呼べばいいのだろう?
もやもやとした形のないこの想いは、一生解明しない方がいいのかもしれない。



この曲を貼るのは2回目だ。
それだけ好きだけど、この「まごころ」とも違う。



山根あきらさんの企画に参加させて頂きました。
よろしくお願いしますm(__)m

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?