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「短編小説」絶望と言う名の列車

作中出て来る僕はこんな子↓


「チッ」

自動改札機が大きなトランクを転がした体格のいい若者を拒絶した。
「僕はどうやら合格しなかったみたいだな」
未練がましく改札機を振り返りながら去って行った。次の番の私はドキドキしながら「希望行き」と書かれた切符を入れた。
パーン
見事に自動改札機の扉が開かれた。必要最小限の衣類や化粧品を詰めた小型のトランクを引きずりながらホームを歩く。人影はまばらだった。
やがて
「13番ホーム 希望行き列車が到着します。白線の後ろまでお下がり下さい」
場内アナウンスが流れて暫くすると「絶望」と書かれた列車がホームに滑り込んできた。
軽いトランクを持ち上げて車内に入る。乗客はあまり居なかった。
「絶望」と言うだけあって車内の灯りも心無しか薄暗い気がする。
私は誰も居ない二つ並んだ席を選んでトランクを荷棚に乗せると窓際に座った。どんな景色を見せてくれるのだろう。

それは先週の事だった。眠れない夜に私のスマホが震えた。
「深夜に何処からのDM?」
こんな時刻にメールを送ってくる友人は居ないから何処からかの宣伝メールだと思った。
眠れなかったからだろう。ふとした気まぐれで普段は見ないDMを覗いてみた。一面のお花畑の中に

『絶望中の貴方に贈る希望への旅』

と書いてあった。出発時刻と金額……
「えっ?三千円?」
三千円で希望が手に入れられるの?
ダメダメ!変なサイトに引っ掛かかっちゃ!理性が私を引き止める。
「あ、でも……」
どうせ死のうと思っていた。主人も愛犬も亡くした。今の私に他に失くすものなんて何もなかった。後から大金を吹っ掛けられても個人情報を読み込まれても、その時には此の世に居なければいい。
私は自分を笑っていた。
さっき飲んだ睡眠導入薬が効いてきたのか、薄れていく意識の中で申込みをしていた。
そんな旅行の申込みをしたのさえ忘れていた3日後に宅急便コンパクトが届けられた。その中に「希望行き」の切符が入っていた。


午後6時発の「希望行き」は滑るようにホームを走り出した。一人の腰の曲がった小柄なお婆さんがハンドバッグとエコバッグを持って近づいて来た。
「此処だわ!よっこらしょ!」
「えっ?」
お婆さんは何も言わずに私の隣に座った。
指定席ではない筈だけど……
こんなに他が空いているのに何故この席なの?
「お姉さん、みかん食べるかい?」
「え、あの…」
私の返事を待たずにエコバッグからみかんを取り出すと私の手に押し付けた。
一人旅が寂しいのかしら?
「ありがとうございます」
あら?この顔…何処かで見たような…記憶を辿っても思い出せない。
「お姉さんも希望へ行くのかい?」
お婆さんは小さな手でみかんを剥きながら、話し掛けてくる。こんなお婆さんがネットで切符を買えたのかしら?やっぱり騙されている?
でも後戻りは出来ない。停車駅は「希望」だけだった。
「五十年以上になるかな〜」
「…」
「旦那と小さなクリーニング屋をやって来たんだよ」
「そうですか、素晴らしいですね」
「一時は凄く流行ってね、飛ぶ鳥を落とす勢いっていうの?税務署が入ったくらい儲かったもんだよ」
「それは良かったですね」
お婆さんは話し続ける。
「なにね、良い時なんて人生の中でほんの一瞬だったよ」
遠い目になった。
「今日はクリーニング店はお休みなんですか?」
「息子の代になってね」
ああ、それで骨休み?
「バブルが弾けて大型のチェーン店があっちにもこっちにも出来ちゃっただろ?」
「そうですね~、そういう時代になっゃいましたね」
「個人店は厳しかったよ。でも息子は頑張ってくれたんだよ」
いつの間にか、お婆さんは涙ぐんでいた。
「そしてコロナだ!やれ、マンボーだ、緊急事態宣言だ!って、誰も外出着なんて着やしない」
「そうでしたね〜、本当に大変な時代」
「外出着を着ないからクリーニングに出す人もいない」
「うんうん」
「私等夫婦、歳だから爺さんが呆けちゃってね」
「そうですか」
「息子の足かせになるのは、分かってても生きてるしか出来ないじゃない」
「ええ、でも今まで立派に働いてきたんですから」
「息子はね、自分で死んじゃったんだよ」
「えっ」
「一人で責任取って首吊ってね」
「……」
「私達が生きていられるようにって保険金掛けてね。それで店も廃業さ」
お婆さんは静かに涙を流していた。
「あの子の重荷になるなら先に逝っときゃ良かったよ」
その時、列車は長いトンネルを抜けた。驚いた事に其処は真っ昼間に変わっていた。小さなクリーニング店が見える。西陽を浴びながら、よく似た二人がワイシャツにアイロンを掛けている。親子なのだろう、そっくりだ。
「一夫〜!一夫〜!」
いきなり小さなお婆さんは立ち上がって、大きく手を振った。その声が届くはずはないのに一夫と呼ばれた人は汗を拭いながらお婆さんに向かって大きく手を振り返した。
「お袋〜〜、元気かーー?大丈夫かーー?」
私にもはっきりと一夫さんの声が聞こえた。
「うんうん、お母ちゃんは大丈夫だよ。一夫、一夫……」
別れを惜しむように列車の速度は緩やかだった。お婆さんの泣き声が静まってから、私は声を掛けた。

「良かったですね、お婆さん」
隣に居たはずのお婆さんの姿は跡形もなく消えていた。
私の手の中に食べかけのみかんだけが残っていた。
「お婆さん、良かったね。希望に着いたんだね」

列車はまた速度を上げて走り続けた。
夕暮れの中にダンプ、トラック、ユンボが並ぶ工事現場が私の目に飛び込んできた。
「あっ!」
私は、さっきのお婆さんのように立ち上がっていた。全部見覚えのある重機だった。私が主人の医療費を作るために売り飛ばした主人の宝物達。
ヘルメットが見えた。
あの人がいつも被っていた会社の名前が付いたヘルメット。それを、それを被った主人がスコップを握って立っていた。その足元に戯れつく小さな影。
ゴン!ゴンちゃん!
逢えたんだね、二人…
私も涙が溢れ出していた。

「おーい!」
ヘルメットを脱ぎ捨てて、いつものように大声で主人が手を振っていた。
その後は「今から帰るよ」って言うはず。
ううん、「今日の晩めしは何だー?」かな?いつものように言うはずだ。

「俺は元気だからーーー!」
「ワン、ワンワン」
「大好きだよーー!!」
「ワンワン」

主人はいつまでもいつまでも列車に向かって手を振っていた。
良かった。あぁ、これで私もお婆さんのように安心して消えられる。
私は静かに目を閉じた。もう思い残す事は無かった。 あの二人の元へもうすぐ私も行ける。


「次は終点 希望、希望。本日はご乗車頂きまして誠にありがとうございました」

軽いトランクを下ろしてホームへ降り立つと其処は出発したあの駅だった。
「えっ?」
狐につままれたような気持ちで改札口を出ても何も変わっていない。いつもの私が住む街が、眼の前にに広がっているだけだ。
「どういうこと?私だけ何故消えないの?何故、また元の街に戻って来たの?」

(幸せは自分の心が感じるものだって教えただろ)
見上げた夜空からダーちゃんの言の葉が、ひらひらと星の雫のように舞い降りてきた。



目覚めると睡眠導入薬を飲み過ぎたのか、昼に近い朝だった。
私は、もう泣いていなかった。









※主人の亡き幼なじみとそのお母様に捧ぐ



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