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【短編ホラー】「探してください」 前編

「あっ!」
矢上景子は思わず大声を上げてしまった。

残業が終わって、コンビニで買ったビックフランクソーセージで小腹を満たそうとした時だった。
片方がケチャップ、片方がマスタードの容器をブチッと押し潰した瞬間、ケチャップだけが、これから読もうとしていた新刊本の真っ白な頁に飛び散った。

「なんでよ!んも〜!」
自分のそそっかしさに腹が立ち、丁度読もうとした頁に飛んだケチャップが憎たらしかった。
直ぐにティッシュを手に取り拭いたが、白い頁にケチャップが滲みていった。
拭いても拭いても、紙の繊維の中に朱い色素が薄く広く拡がっていった。
そのシミの模様を見ながら、景子は十数年前のあの日を思い出していた。
あの日も、こんな風に生暖かい夜だった。

大学最後の夏休みだった。地元の中小企業に就職が内定した景子は実家に帰省もせずに友達と卒業記念の海外旅行に行く為にバイトに明け暮れていた。
そんな時にバイト先で出会ったのが、美由紀だった。
男ウケを狙って髪型も服装もお嬢さん風を気取っていた景子とは対照的に美由紀はショートカットに垢抜けたファッションの人目を惹く美少女だった。仲良くなるとバイト歴では美由紀が二年も先輩だが、歳は景子より二つ下の服飾専門学校生だという事を知った。

「ファッションを習いたいんだ〜、夢は私が創った服を皆が着てくれる事!」

地元の中小企業に内定をもらって安定だけを得た景子と夢に向かって進む美由紀は、ファッションも生き方もまるで違ったが何故かとても気が合った。
或る日、美由紀がいつにも増してハイテンションでバイトに出勤して来た。
「景子ちゃん、私、イタリアに行く!!応募していたイタリア留学に選ばれた!!」
「マジ!?えっ、それって美由紀ちゃんの夢への第一歩じゃない」
「うん!」
フランスのパリじゃなくてイタリアって所が美由紀らしいなと景子は思った。
「でも英語は少しは話せてもイタリア語なんて分からないでしょ?」
「ふふっ」
美由紀は、いつも首にぶら下げている有線イヤホンの片方を景子の耳に充てた。
「%$#a@o?bt&……」
流れてきたのは意味は分からないが、確かにイタリア語のイントネーションだった。
「独学でずっと勉強してたのよ、何とかなるっしょ~」

「おーい、ハンバーグあがったよ~!油売ってないで運んでくれよ(笑)」
景子達を夢から現実に引き戻したのは、厨房のマスターの一声だった。
「はーーい!」
景子は白いイヤホンを美由紀の華奢な肩にそっと返した。


景子がバイトする店は、学生で賑わう街の老舗ハンバーグステーキ店だった。学生達をターゲットにした店が連なう商店街の中で、此処は大人を対照にした落ち着いた店だった。大人を相手にしていたから、夜はもちろんワインやビールを扱っていた。

シックな色合いで統一された内装を指して
「マスター!お店の中、茶色ばっかり!此処も茶色、彼処も茶色、おまけにハンバーグも茶色!!」
美由紀は、よくマスターをからかっていた。
「いいんだよ、お前達が華だから」
髭を蓄えたマスターは一見強面だが、穏やかで優しい人柄だった。店のフロアーは学生のアルバイトで賄われていた。何人の学生達が此処から社会へと旅立って行ったのだろう。そして、マスターは何年も何十年もそれを見続けて来た。
そんな中でマスターにとって美由紀は異色で特別な存在だった。景子のように故郷を持ち、学生の間だけ腰掛けのようにこの街に住むアルバイトと違って、美由紀はこの街に生まれ、母と妹とずっと暮らしていた。
高校生の春休みに突然、飛び込みでバイトの面接を受けに来たと言う。
「真っ赤な髪でさ、店の雰囲気に合わないから断ろうと思ったんだけど……」
「意外と使えたでしょ?」
美由紀は当時を思い出したようにペロリと舌を出した。
「どうしても今の学校へバイトしながら通いたいって、親思いな娘だと思ってさ」
「次の日に真っ黒に髪、染め直して来たしね」
「コイツ、見た目と違って真面目なんだよ」

マスターの言う通りだった。やれ、コンパだ!次の授業に出ないと単位が足りないとバイトのローテーションを変える景子と違って、美由紀は絶対に仕事に穴を開けなかった。他の人の急な休みの日には、自分から率先して出勤して来た。
そんな美由紀とマスターは、はた目には歳の離れた仲の良い親子に見える程だった。

夕食の混雑時が過ぎ、フロアーが一段落した頃、美由紀はカウンターの向こうの厨房に声を掛けた。
「マスター、ごめんなさい。私、今月でバイト辞めさせて下さい」
景子と美由紀の賄い食のフライパンを振っていたマスターの手が止まった。
「美由紀、何で?急に?何かあったのか?」
美由紀はマスターと卒業まで、この店でバイトする約束だった。
「留学が決まったんです!!」
「えっ?!」
マスターの大きな眼が見開かれた。
それ以上何も言わずに振り返り、フライパンから二人分のパスタを盛り付けた。大盛りのナポリタンの皿を二枚、カウンターに座る景子と美由紀の前に置くと
「良かったな、美由紀」
「はい!」
出来たてのパスタから立ち昇る二つの湯気の向こうで、マスターの眼が潤んでいるように景子には見えた。



八月最後の定休日、マスターが美由紀の壮行会を開く事になった。招待されたのは、店のアルバイト全員とOG、常連のお客様達……総勢二十数名。
全員が美由紀と関わり合い、彼女を可愛いがっている人達だった。たった二年間のバイトで、美由紀は、これだけの人間関係を築いていた。
そしてマスターがバイトを卒業する娘に壮行会まで開くのは初めてだった。
店内のテーブルが中央に一直線に集められ、まるで小さな結婚披露宴が行われるようだった。
テーブルの上にはマスターの手作りの料理、常連のお客様からの差し入れの寿司桶などが所狭しと並べれていた。
その真ん中に座る美由紀が
「超豪華じゃん!」
と歓喜の声を上げた。
「乾杯しよう!」
マスターの発声と共に常連の男のお客様達の手で、

ポーン、ポーン……

シャンパンが次々と開けられた。
「美由紀は、まだ未成年だからシャンメリーな」
「分かってますよ、マスター」
景子はぼんやりと
(美由紀ちゃんて、まだ十九歳なんだ…)
と思っていた。(約2500字)


つづく






※渡辺 健一郎様の素敵なお写真をお借りしました。
ありがとうございました。


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