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「短編小説」祈りの雨

二階の寝室の窓に打ちつける風の音が、うぉーうぉーとまるで狼か野生動物のような音を響かせていた。
 ー窓がきちんと閉まっていないのかしら?
美奈はダブルベッドからそっと降りて、出窓を確かめた。窓の下では枯葉がくるくるとつむじ風のように踊っているのが、ぼんやりと照らす半月の光で確かめられた。どうやら季節はずれの台風が来る予報は当たるらしい。出窓の施錠をしっかりと確認して振り返ると
「どうしたの?眠れない?」
やはり、この風の音で起きてしまったのだろう。夫の誠司が、眠たそうに声を掛けた。
「やっぱり嵐になるみたいね」
そう答えると美奈は白いネグリジェの下の少し膨らんだ下腹部を大切そうに押さえながら、ベッドの中へもぐり込んだ。
「でも、まだ月が出てる」
誠司は薄明かりの外を見ながら、そう言うと美奈に身体を添わせた。
「なぁ、もうそろそろいいだろ?」
耳たぶに掛かる荒い息遣いが、誠司が起きてしまった事を美奈に告げていた。
「ダメよ。初めての妊娠だし、まだ怖いわ」
「そういうもんなのかな~。ちぇっ」
舌打ちをすると誠司はくるっと美奈から背を向けた。そして直ぐにまた規則正しい寝息をたてた。
 ーごめんなさい、あなた。私、どうかしてたのよ。あの日、私はあなたを裏切ってしまったの…

風は一層大きな音を立てながら、雨雲を引き連れて来たようだ。半月の姿は消えて窓の外は闇に包まれた。
美奈は、半年前のたった一度の過ちを思い出していた。
 ー神様、ねぇ、この子は、いったいどちらの子なの?
雨粒が其処だけカーテンを掛けていない出窓にポツリポツリと降りつけるのが見える。
「あっ」
くぅ~と締めつけるような鈍痛が、美奈の下腹部を襲った。
 ー怒ってるの?あなたを殺そうとした私を…
最初、美奈は墮胎を考えた。女が誰の子供か分かるなんて絵空事だ。元々美奈は生理不順だった。妊活もしていなかったから基礎体温も付けていなかった。夫の誠司と結婚して三年になるが、まだ妊娠の兆候が表れないのは、勝手に自分が妊娠しづらい体質だと思って油断していた。
あの同窓会の夜、学生時代から憧れていた斎藤 隆に二次会で
「抜け出そう」
と言われた時、心が踊った。そのままホテルへ行くなどとは思ってもみなかったが。
よくある同窓会の一夜限りの恋だった。
その一月後、美奈は自分の身体に変化が起き始めたのを感じた。乳首がヒリヒリと敏感になった。そのうち食欲が落ちて、一日中ムカムカと気持ちが悪い日が続いた。美奈はドラッグストアで妊娠検査薬を買いトイレに閉じこもった。

「やっぱり」

その時に墮胎を選択肢の一つとして考えたが、勘のいい誠司は既に気付いていた。
「美奈、赤ちゃん出来たんでしょ?」
遅かった、何もかも…
 ーどちらの子なの?あなたは?
ずっとずっと呪文のようにこの子に問い続けてしまった。

「あ〜」
鈍痛だった痛みは、キリキリと子宮を突き刺すような痛みに変わって美奈を襲った。青ざめた彼女の額に脂汗が滲む。
雨は大粒に変わり、暴風雨となって重々しく家を包み込んだ。
「あなた、起きて!お願い!起きて!」
我慢の限界に達した美奈が誠司の肩を揺さぶった。
「うーん、どうしたの?美奈」
「お腹がお腹が痛むの!病院へ連れてって!」
「この台風の中を?」
誠司が呑気な声を上げる。
「お願い、痛むの。限界なのよ…」
「朝まで我慢出来ない?」
「無理!無理よ!あなたがダメなら救急車を呼ぶわ、私のスマホを取って…」
誠司はベッドの横のテーブルに置いた美奈のスマホを窓辺に向かって放り投げた。
「何するの?!」

窓の外で一瞬、昼間のように明るく稲妻が光り、誠司が惨忍に微笑む顔を照らし出した。
「僕が気付いてないと思ってたの?僕はおたふく風邪に遅くかかって、元々精子が殆どないんだよ」
「えっ」
美奈が犯した過ちへの懺悔のような祈りの雨は降り続く。誠司はパジャマのズボンを下ろした。
「だから、いいだろ?」
「いや、ヤメて!ヤメて!」
バタバタと足で誠司を払い除けながら、痛むお腹を押さえて美奈はベッドから這い出した。カーペットにペタリと座り込むと
「私に罪はあっても、この子には罪はないわ」
誠司はベッドの上に醜い形相で仁王立ちした。
「今更、そんなこと言っても遅いんだよ」
その時だった。


これより下は残虐シーンが含まれます。ご注意ください。


ダーーーンッ


閃光と轟音とが同時に立ち上がっていた誠司を襲った。
落雷は天罰なのか、美奈の祈りが神に通じたのか、偶然の産物なのか分からない。
下半身をさらけ出した間が抜けた格好で誠司はベッドの上に倒れ込んだ。
チリチリと髪と肌が焼ける音がすると蛋白質が燃える匂いが辺りに漂った。
「た、助けて、助けてくれぇ〜」
焦げていく夫を見つめながら、美奈は
「えぇ、救けるわ。これで救急車を呼べるもの」
そっとまた下腹部に手をあてると投げ捨てられたスマホを取りに床を這った。
 ーあなたが誰の子でも構わないわ。私の大切な子。
ママは、もう迷わない。私があなたを守ってあげる。
祈りの雨は誓いの雨に代わり神々しく降り続けた。




山根あきらさんの企画に参加させて頂きます。
よろしくお願いします。





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