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「連載小説」姉さんの遺書9

       
                          




                         (ミモザの章)
         花言葉 『密かな愛』


遮光カーテンの隙間と夜が同化する頃、
「何処かで食事をしながらでも、僕の妻に会ってくれないか」
枕の上に組んだ両手に頭をのせて、暗い灯りの中に浮かぶ天井を見上げながら亮一は言った。
その言葉をゆかりは軽く打ち消した。
「ううん、外はイヤ!亮一さんのお家だったら、会ってあげてもいいわよ」
自分が『会ってみたい』と言ったくせに、ゆかりは平気で我が儘な条件を亮一に押し付けてきた。

珠姫と生活を共にする空間へゆかりに足を踏み入れさせたくはなかった。
亮一は自分が背負った後ろめたさの重みと自分の心の居場所を他人に荒らされる痛みを天秤で測った。
数分の辛抱と一年間の憂鬱と引け目、いや、その後も珠姫と生きていく限り続くかもしれない。それなら共犯意識を三人で分け合うのは卑怯なのか?
最後は単純に時間の長さだけで結論を出していた。

「…分かった」
「ねぇ、亮一さん、それよりもう一回しよっ」
ピンク色のシーツをはね退けて白く軟かな腕が亮一の首に巻きついてきた。
ベッドの中のゆかりの身体は亮一の身体にしっとりと張りついて離れない。ゆかりの片足がイタズラをするように、亮一の両足にからみついて閉じていた足をゆっくりと開かせた。


義父の計画は亮一から聞いて知っていた。
亮一さんの子供を知らない女の人に産ませて私が育てることも……そんな時代錯誤なことを現代でしなければならない。でも私は亮一さんの子供を産めなかった。
何も考えないで赤ちゃんが届く「その時」を待っていればいい。どうせ養子をもらうなら、亮一さんの血を分けたよく似た子を。それならきっと私も愛せるはず…


何も考えないでいればいい。
コウノトリが運んでくれると思って待っていればいい。

珠姫は、そう自分に言い聞かせ続けていた。
先週、亮一が
「一度、彼女に会ってくれないか…」
そう言い出すまでは。
嫌だ、珠姫は断りたかった。でも最近の亮一の浮かない顔をずっと見ていると、それで心が少し軽くなら…
悩んだ末に珠姫は
「いいわよ、赤ちゃんのお母さんですものね、一回だけ会ってみるのも仕方ないわよね」
わざと明るく答えていた。


ゆかりは何度も入念に鏡を覗き込んだ。
胸を強調するように襟元が大きく開いた短い丈のワンピースを選んだ。若さを主張するのと下品とのギリギリのライン。
マツエクはサロンに行ったばかりで完璧な量だ。
最後にわざとむせ返るようにオーデコロンを全身に吹き掛けた。亮一が来た時にそっとジャケットに吹き掛けていたエリザベス・アーデン ミモザの香り。
最初は、ほんのイタズラのつもりだった。それが祈りに似た「おまじない」になり、やがて「呪い」のように姿を変えるとは、その時のゆかりは思ってもみなかった。

ピンポーン

亮一の迎えを知らせる玄関チャイムが、戦闘開始のゴングの音のようにゆかりを奮い立たせた。

地方都市の中でも高級住宅街の一角に亮一の家はあった。紫陽花が咲き乱れる門の脇を通り過ぎると芝生の中庭が広がる。
大きな窓の向こうがリビング?
幸せを絵に描いたような佇まいだとゆかりは思った。この庭で亮一によく似た男の子を遊ばせる自分の姿を想像してみた。小さなブランコを置いて、その下に砂場を作ってもらおう。原色のスコップやバケツが散乱する中で
「ママ〜、パパ〜」
無邪気にはしゃぐ子供の姿、その隣にしゃがんで砂の山を作る私……
悪くない。
この若さで子供を産むつもりなどなかったゆかりの心が揺れた。亮一は中年にしたらスマートで美形な男だ。そしてなによりバッグに父 高柳 健三の莫大な資産がある。
「これって人生を変えるチャンスかも!」
ゆかりは自分で描いていた平凡な人生計画を変更するのも悪くないと考え始めていた。それには一人だけ邪魔をする人が居る…
ぼんやりとしていた思いがゆかりの中で輪郭を成して形になった。

亮一の後ろに続きリビングに入るとその人が立って居た。
「いらっしゃいませ」
決して嫌味ではない微笑みと優雅な仕草でソファへ座るように誘った。
透き通るような肌に黒目がちな瞳、日本人にしたら高い鼻梁の下に異性でなくても見惚れるような唇、ゆるやかにカールされた手入れのいきとどいた髪……華のような人。
ゆかりは驚きと悪意の混じった執拗な視線を舐め回すようにその人に浴びせかけた。
それしか出来なかった。それが自分が描いた未来がやはり夢なのだと知らされたゆかりの切ない抵抗のつもりだった。砂場に作った砂山はさらさらと崩れ落ちて、いびつな形だけが残った。

どんなに美しくても愛する人の子供を産めない女なのよ、この人は。女としての機能なら私の方が勝っている。でも……
亮一に紹介され、

「よろしくお願いします」

頭を下げるとゆかりは、出された紅茶も飲まずにその場から逃げるように立ち去っていた。

次に会った時、美しいその人は白いゆりに囲まれて棺の中に眠っていた。



つづく

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