「短編小説」聖母マリアは死なない 3

「二人じゃ足りない」

保証人を立てなくても借りられる安アパートに帰って実花は考えていた。
トイレと風呂が一緒になった狭いユニットバスルームで焦げ臭くなった髪を洗い流す。
自殺しても死ねないなら、自分を合法的に裁いてもらおう。日本で確実に「死刑」になる為には二人では足りないだろう。
では、どうしたらいい?
風呂から上がると実花は小さなテーブルの上にパソコンを開いた。

日本で最悪の死刑囚と言われた連続幼女殺人事件の宮崎勤は幼女を四人殺害した。オーム真理教の麻原彰晃にいたっては無差別殺人だ。
(でも、私に『殺人』なんて出来るかしら)
実花は濡れた髪をタオルで拭きながら、パジャマの上から自分の身体を眺めてみた。歳は25歳のまま取っていないが、昔の人間だから現代人と比べたら小柄な方だ。実花は「死なない」だけで「バイオハザード」の戦士ヴァースや「トゥームレイダー」のララ·クラフトのように強靱な肉体を与えられたわけではなかった。
でも、この孤独から逃れる為なら何でも出来そうな気がした。
(だって私は何が起こっても『死なない』のだから)
どうせ人を殺すなら、せめて人の為になるような「殺人」にしたい。

そもそも「殺人」が日本で「悪」や「罪」になったのは最近の事だ。何人殺したかで英雄扱いされた「戦争」があった時代を実花は体験している。いや、現代だって他の国では思想や政治が「正義」と言う名前を振りかざして「戦争」と言う大量殺人を行っているじゃないか。時代の流れや国の考え方で、「殺人」への見解は違うと実花は思った。


「闇バイト」「高収入」「殺人」「自殺ほう助」「復讐」……
パソコンにそんな言葉を並べて検索してみたが「殺人依頼サイト」なんて直ぐにみつかる筈がなかった。



数日後、ホテルの部屋をいつものように清掃しているとお客様が置いていった新聞がベッドの上に放り投げてあった。ふと目を止めた三面記事の見出しに

『横浜〇〇住宅火災 原因は両親から虐待を受けていた長女の放火か?』

という文字を見つけた。
記事の最後の方に「少女を助けた勇敢な女性、何も言わずにその場から立ち去る」と書いてあった。
あの子は、やはり罪の重さに耐えきれなかったのだろう。それでいい、その方があの少女が生き易いなら、それでいいと実花は思った。
でも同時にすごろくや人生ゲームのように「ふりだし」に戻ってしまった事に気が付いた。
(私が二人殺した事にはならなかったわね)
「三人か四人…」


毎日毎日、仕事が終わるとパソコンで検索を続けた。そして辿り着いたのが『聖母マリア』のサイトだった。表向きは災害や事故などで家族を亡くした「被害者家族」の心を救うサイトになっていて全く気付かなかった。一番下に小さく書かれた

※貴方も「聖母マリア」になりませんか

の文字を偶然クリックするまでは……


その日から実花は「聖母マリア」と言う名前の殺人集団の一員になった。仕事の依頼を受ける前に実花は自分の身体を鍛え始めた。腕立て伏せや腹筋、夜になるとジョギングをした。長生きをするためでも健康になるためでもない。死ぬために筋トレに励む自分が可笑しかった。
実花の両腕に薄っすらと筋肉がつき始めた頃、最初の依頼が舞い込んできた。
依頼者の主旨は

『交通事故で殺された息子の仇を取って欲しい』

宅急便で送られてきた資料を読んで、実花は自分が我が子を失ったかのように涙が溢れてきた。何百年ぶりに流す悲しみの涙。
事故の新聞記事を張り付けた手作りのスクラップブックを開く。

2020年4月15日 早朝 通学途中の小学生の群れに普通乗用車が突っ込む。
運転していたのは笠松 繁(24)

その中の小学校一年生の男の子が重態。
救急車が到着した時は既に心肺停止の状態でその後、死亡が確認された。

実花は想像した。
黄色の帽子を被って、入学したばかりの一年生の子供が、何の罪もないのに突然車に引き殺された。
その両親の嘆き、悲しみを……

血の跡が残る歩道の写真、お菓子や花が手向けられた事故現場のスナップ写真も添付されている。
スクラップブックに貼った新聞記事は、両親が流したと思われる涙の雫の跡なのか、ところどころ紙が弛んでいた。
事故を起こしたのは、地元の有力者の息子らしい。権力と金の匂いがぷんぷんした。
交通事故で人を死亡させた場合、運転者によほどの過失がなければ交通刑務所に入所する事さえないらしい。
(つまり、お金で解決したってこと?)
運転免許を持たない実花にとって、初めて知らされる事実だった。
三年間、哀しみと憎しみで苦しんでいる被害者の両親にとって、罪とは呼べないようななんて軽い処罰なのだろう。
その上、悲痛な叫びをSNSであげた被害者の両親に追い打ちをかけたのは、心無い人達の誹謗中傷の声だった。

「金目当てだろ?」
「知名度が欲しいの?」
「加害者の人権侵害だろ!」
「また、子供を作ればいいじゃない」
……

「いつの時代も人間って、やる事は一緒ね」
実花は最初の殺しは、「笠松 繁」この男にしようと決めた。
『火事の火元を私が消してあげるわ』



つづく




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