見出し画像

生きていれば、いつだってリベンジできる

GWが終わり、また学校が始まった。子供たちもそれぞれ新しい生活に慣れてきたのが表情からもわかる。ちゃんと新しい生活を楽しんでいるようで本当に良かった。

いつもと同じように巡ってきた5月。だけど、子ども達にとっても私にとっても節目の時季。

12年前、娘が5月に1歳の誕生日を迎えてすぐのある日、我が家の大人は私1人になった。当時息子は7歳。気まぐれに2人に戻る事もあったけれど、基本的に1人。大人の事情に関係なく、一瞬も子育ては待ってくれない。

子供達はご飯の支度もできず、娘はまだ母乳を必要とし、寝ることすら1人でできない。1人で子供を育てることになり、24時間をどう使うか、優先順位が自動的に決まっていた。

まずは自分の心身の健康を守ること。これ無しでは家事も仕事も、長期に渡って続けることが出来なくなる。一番の資産は健康な心身だ。 7時間寝て、まっとうなごはんを食べる。

次に子供たちの心身の健康を育むこと。
食べさせ、寝かせれば身体は健康かもしれないけど、寂しい思いをさせたら心は健康ではいられないと思った。成長して心を病んだ知人の多くは、幼少期にもっと親に愛して欲しかったのに、という話をするのを聞いていたから。体だけではなくて、心も同じくらいバランスのとれた、健やかな愛情が無くては育たない。

家事や教育を少しづつでも誰かに頼ればよかったのかもしれない。でも、それには自由に使える資源が足りなかったし、投資を後で取り戻せる自信もなかった。私の24時間のうち、仕事以外は子供たちと食べ、寝て、遊ぶことに使った。

そう決めてから12年も経ったなんて夢のようだ。自分の時間は格段に増えた。お世辞にもあっという間とは思えない。1日1日が、ほんとうに長かった。でもちゃんと3人が元気なままで、こんな日が来てくれたのだから本当にラッキーだ。

子育ては迷路の連続。答えなんてどこにも書いていなくて、何十冊も育児書を読んだけど、いつも悩んでばかり。何一つ解決した気がしなくて、迷いながらここまで来てしまった。

そう、3月の高校の卒業式は息子に「つまらないから来なくてもいいよ」と言われていたけど、行った。時代は動いているというのに、校長先生の講話は多分30年前に私が聞いた卒業式の内容と変わらない。

象徴的で、普遍的で、死ぬほどつまらない。中堅高校でもこの状態だから、公立高校は一部を除いて壊滅的な状態ではと不安になった。

式の最後に、生徒たちが作った高校生活の思い出と周囲の人への感謝の気持ちを込めた動画が流れた。

30分もの長い動画。涙も笑いもあり、構成もいい。まごう事なきリアルな青春が詰まっていて、目が離せなかった。これだけが式の中で価値のあるものだったと少しホッとした。

卒業式を終え帰宅すると、12年前に家を出て行ったひとからメールが来た。

「◯◯の高校卒業、◯◯の小学校卒業おめでとうございます。ここまで二人の子供達を大切にかつ確実に育てて頂いてありがとうございます。二人とも厳しい日を過ごした事は聞いたことがありますが、心の豊かな人間に育ってくれているのは嬉しく思います。心から感謝致します。」

まるで遠いどこかの国からのメッセージに感じた。でも、一緒にいた頃の最後の記憶ではナイフのような言葉しか投げなかったことを思うと上出来だ。時間と経験は人を変える。

卒業おめでとう、は色々なひとが言ってくれても、「ありがとう」と言ってくれるのはあのひとだけだから、過去を考えずに今日はこの言葉を素直に喜ぼう。

季節が変わるごとに、子供たちも私も、これからも少しづつ強くしなやかになれるといい。そう、自分自身もこの12年間、どうやって過ごしていたのか正直覚えていない時期もある。たくさん笑ったり泣いたり、プライドを捨て、泥水をすするような思いもした。思い出したくない失敗もたくさんしてきた。

それでも私の12年間は上出来だった。

やっと遠い遠い国だと思っていた、ここまで辿り着いたのだから。

生きていれば、いつだってリベンジできる。

画像は高校時代の息子弁当。ちょっとした自慢は、クラスの息子の友人が文集に「お弁当うまかった!」と息子宛てに書いてくれたこと。

人気があったのが(友人含め)カツ丼と親子丼。画像にはないけど、塩焼き豚タン弁当!さすがに娘にこれ作ったら怒るだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?