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やり場のない今日の書きたい欲を、noteに。

ここ数日、何年かぶりにパソコンに向かって論文を打ち込む日々を送っている。

確かあれは、3年前の1月最終週。忘れもしない、修士論文の口述試験に向けた追い上げに、自分の書き上げた修士論文を穴が開くほど読みこんだあのとき以来。

論文の書き方というものは、多分人それぞれペースがあるんだと思う。

ある人は、毎日コツコツと
ある人は、気が乗ったそのタイミングに脳みそをフル回転させて、また次のタイミングをのそのそと待ちながら
ある人は、夏休み最終日に泣きながら宿題をやるように追い込まれて。

わたしの同期は、毎日コツコツタイプだった。毎日同じ時間に院生室にやってきて、資料と睨めっこしながら書き進めていた。

そんな同期を横目に、わたしは毎日お菓子を食べ、昼寝をし、Huluでドラマをながめていた。そして、気分が乗った日限定で、12時間くらいぶっ通しで論文にのめり込む生活をしていた。

なお、わたしが修士1年生のときは、夏休みに宿題を追い上げるタイプの先輩の執筆を夜な夜な手伝っていた。自分の論文はコツコツ書けないくせに、人の論文は毎晩コツコツと添削した覚えがある。

文字通り三者三様で、それぞれちゃんと期限には間に合わせて修了した。それが12月20日のこと。

論文を書き進めているときは、とにかく前に進むことだけに集中していた。だから、自分の論文を穴が開くほど眺めたのは、年が明けて1月最終週に臨む口述試験に向けての何週間かだったはず。

なんて言ったって、口述試験では自分の論文の重箱の隅をつつくような指摘がたくさん繰り広げられる。わたしの卒業した大学では、学部レベルでも口述試験のせいで留年した先輩がいたから、そりゃもう必死だった。

結果、口述試験では修士論文の本提出前に添削をお願いして大いに泣かせてくれた(問題提起を指摘されて、論文のほぼ全てに訂正をした。約1週間で)隣の研究室の教授がいたおかげで、特に大きな修正もなく、むしろ学び多き口述試験になったからよかったのだけれども。

ただ、自分の人生であんなにも自分の文章と向き合ってうんうんと唸った日々は後にも先にもあの時だけなんじゃないかと思う。今のところ。

そんな日々から3年が過ぎて、わたしはまた論文を書いている。

今回は、大学に戻らずとも、仕事で必要になったからなんだけどね。「論文を書く」なんてスキルを、社会人になってまでそのまま使うことが起きるだなんて。経験って大事なんだな。

それはさておき、今日もパソコンに向かってカタカタと原稿を打ち込んでいた。

多分わたしは、文章を書くこと全般が好きで、このnoteを書くのと並列に並べても良いくらい論文を書くことも好きなんだと思う。

ワードに向かって文字を打ち始めたら、カタカタと軌道に乗ってきた。

あぁ、これはこのあとしばらく打ち続けられるな、なんて思うとちょっと楽しくなってくる。

と同時に、もうひとりのわたしが、軌道に乗り始めたわたしにセーブさせたがっている声もきこえてくる。

明日も、フルで働かないといけないんだよ。

そう。学生時代は、12時間近く頭をフル稼働させて論文に費やしても翌日はまるっと休憩できる自由さがあった。でも今は。

論文を書くことも仕事ではあるけれど、それはわたしに与えられている業務の一部でしかなくて。いくら残業をしても、明日は始業から終業まで心も身体もある一定の元気さを持って働かねばならない。なんなら今日は、水曜日。

それでも、わたしの経験をもってすると、明日の夕方にまた論文モードに脳みそがフル回転する確率はかなり低い。

ううう。
学生時代、同期に対して「コツコツタイプですごいな」と尊敬の眼差しを向けつつも「ま、わたしも気分さえ乗ればできるんだから大丈夫」と開き直っていたわたしに言いたい。

すぐに開き直るな。試しにでもいいから、コツコツやってみる経験をしてみたらどうだい。

まぁ、夏休み最終日追い込みタイプの先輩のお手伝いは毎晩コツコツやれたのだから、人のためには頑張れるのかもしれない。わたし。

今回も仕事だしな。メインで書くのはわたしだけど、グループ研究だしな。メンバーのためだったらコツコツできるのかもしれないな。

なんて希望を持ちつつ、やっぱり、気分が乗った今日もっと書き続けたかったな、なんて思っている。

抑えきれなかった書きたい欲をnoteで満たして、今日は眠りにつくのです。

今日もお疲れ様でした☺︎

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