「100年の時を越えて 展覧会 金子みすゞの詩(うた) 」を鑑賞してきました。
お茶の先生からお菓子のおつかいを頼まれたので、ふらっと銀座へ。『リサ・ラーソン展』(これもまた、会期が終わる前にnoteに残しておきたいおもしろい展示でした)に惹かれて8階へあがったら、お隣で金子みすゞ展もやっていたので伺ってきました。
概要
金子みすゞさんといえば、子どもの頃に教科書で何度か拝見したことのあるお名前。でもそういえば、どんな詩を書かれていたんだけっけ……というのは朧げで。唯一、お名前と彼女が詩を書いていたということは記憶にありました。そういえば、ACジャパンの「こだまでしょうか」は、みすゞさんの詩でしたね。
今年、生誕120年を迎えたというみすゞさん。幼い頃から日々かわいがってくれていた亡き曽祖母と同年代を生きた女性で。だからなのか、彼女の言葉たちや弟さんとのエピソードたちが曽祖母の兄弟たちの語る言葉たちに似ていて、思わずポロッと涙をこぼしながら約1時間かけて展示を拝見してきました。
兄弟を描いてもらえることの嬉しさ
今回の展示では、金子みすゞさんの弟上山正祐氏さんの日記が初展示されていました。どの兄弟やお友達よりも、姉であるみすゞさんを慕っていたとのこと。
わたしの曽祖母も5人兄弟の長女で。嫁いだ先のお家も兄弟が多かったこともあって、祖母は曽祖母の兄弟たちみんなの子どもとして育てられました。年に一度の兄弟旅行が、家族みんなの大行事。だから、わたしにはひいおばあちゃんやひいおじいちゃん、おばちゃんやおじちゃんがたくさんいて。
誰よりも姉と語る時間が楽しかったという上山正祐さんが、晩年姉について語るという役割をとても楽しんでいたという記述は、時代柄もあってとても頷けるものがあって。26歳という若さで亡くなってから、戦争を経て児童文学者の矢崎節夫さんに再発見されて現在に至るとのこと。
弟さん、嬉しかっただろうなぁ。なかなか癖のある旦那様との離婚とか自殺とか、思い出としても誰かに共有できなかったであろうエピソードも多々あるので余計に、とても嬉しかっただろうなぁと思うと、亡くなった祖母や曽祖母を語る親戚たちの顔が浮かんできて思わず重ねてしまったり。
童謡とは、子どもたちにもわかる言葉で書かれた「本物の詩」であり真の芸術
わたしずっと、金子みすゞさんはただの「詩人」だと思っていたのですが、実はそのなかでも「童謡詩人」というジャンルで活躍された方だそうで。
確かにどの詩も子どもにも分かる言葉が選ばれていて。
ようなエピソードたちを掬いあげていくたくさんの言葉たちに思わず
それらは、
そうか、そうだよねぇと、彼女の詩を受け取った人たちのメッセージにまたドキリとさせられて。
なんていうんだろう。一人称でも二人称でもなく、どこか世界を俯瞰しているような。でも、その眼差しがとてもまっすぐであたたかくて。
特に、動植物が出てくる作品たちがわたしはとても好きだなぁと思いました。
自分の言葉に訳したいと思ってもらえるということ
彼女の童謡詩たちはまだまだ発見されて日が浅いけれども、海外版にも翻訳されていました。日本語を学ぶ外国人学生や留学生たちが感銘を受けて自国で出版したというエピソードがたくさんあるとか。
詩って音のリズムも大切だから、翻訳ってとても難しそうだけれども、それでもこの言葉たちを紹介したいと思わせるモノがあるって、すごいことだなぁって。わたしも、日本語とそれから手話という2つの言語をもつので。それでも自分の言語でこの言葉たちを伝えたいって思わせる原動力、なんとなく分かるような気がして。
詩を手話で表現するという経験を、実は何度かしたことがあるんだけれども。それが伝わったときの、それをまた自分の言葉で表現する誰かの手話を見るときの、新しいものを見つけた!という感覚は、なかなかおもしろいものです。今回の展覧会を通して、好きだなぁと思った言葉たち、いつか手話で読めるようになりたいなぁ……なんて思ったりしながら、展覧会を後にしました。
彼女の直筆ノートをコピーした童謡詩や世界を立体的に表現したアート作品会場いっぱいに並ぶ展覧会、とても心の落ち着く空間でした。
見に来てくださりありがとうございます。サポート、とっても心の励みになります。みなさまからのサポートで、わたしの「ときめき」を探してまたnoteにつらつらと書いていきます。