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当たり前だけど、どこか当たり前じゃないこと。

何をそんな当たり前のことを。今更。

最初から「聴覚障害のあるわたし」と出会った人たち、たぶん、このnoteを読んでくれている人の多くは、きっとそう言うだろう。

でも、あなたがもし6歳の子どもを持つ親で、ある日いきなり病院で

「この子は右耳が全くきこえていませんね。今の医療技術では、きこえるようにはなりません」

なんて宣告されたら、どうだろう。つい数秒前まで「きこえる子」だと思って育ててきた目の前の我が子が「きこえない」と言われてもきっとピンとこないだろう。

それは、きっと、わたしの母も同じで。

左耳にも補聴器を必要とし、手話を必要とするようになった学生時代も、彼女はどこか上の空で。手話を使って友達と会話をしているわたしを見ても、

「あの、きこえないお友達のために手話を使ってあげているんでしょ?」

なんて言っていた。

そりゃそうだ。わたしは母の口元を読み取り慣れているし、声も聞き慣れている。当然円滑にコミュニケーションが取れる。それでもって、日本語の習得に人一倍時間がかかったこと、人の話を「きかない」ことも全部「早生まれだから」と「そういう性格だから」で済ませてきたんだから。

ある意味「きこえなくてかわいそうな子」という視線をどこからも向けられることなく、のびのびといろんな経験をして育ってこられたことで、わたしの視野は大きく広がったと思う。

それでも。

いざ自分が補聴器を使うようになって、更には手話を第二言語として用いるようになって、いかに自分が「きこえていないのか」をまじまじと思い知らされたときの衝撃は、本当に大きかった。

学生時代の友人はもちろん、恋人やその家族の方がよっぽどわたしのきこえに理解があるように感じていた。実際、手話だって使ってくれていたし。

だからと言ってわたしは母のことが嫌いにはならなかったし、相変わらず母とのコミュニケーションは慣れからか比較的スムーズに取れていた。

「きっと、これからもそんな関係が続いていくのだろう」なんてぼんやりと考えていた休日の午後。

自粛が明けて久しぶりに会った母が、わたしの補聴器を見ながらこう言った。

さっき電車にね、男の子が二人乗っていたの。一緒に乗ってきたのに二人とも耳になんかつけていて、変だなぁと思っていたら手を使って話し始めたんだよね。あ、sanmariと一緒だって思ったんだ。ただそれだけなんだけれども。

数年前、わたしが手話で話しをする姿を見て「友達のため」と言った母が、手話で話す人たちを見ながらわたしを連想していたのか。

わたしはほら、生まれてこのかた「きこえる」という経験をしたことがない。でも、母にとっては少なくとも聴覚障害が発覚するまでの約6年間は「きこえる子」を育ててきたわけで。それに、手話を日常で使うようになったのは、実家を出てからだもんね。

わたしにとっても、「聴覚障害のあるわたし」しか知らない人にとってもきっと当たり前な事実。でも、母にはきっと、いろんな葛藤が昔も今もあるんだろうな。

そんなことをぐるんぐるんと考えながら

そうなんだー。

なんて、気の利かない相槌を打つことしかできないわたしが、そこにいた。





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