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目で理解するわたしと記者会見のこと。

都民への自粛要請以降、都知事だったり首相だったりが入れ替わり立ち代わりのようにテレビの画面のその先で、会見をしている、ようだ。

「なんか大きな発表があるらしいよ」

そう目にするたびに、テレビをつけて記者会見の様子を眺めてきた。
テレビの画面のその先で、「なにか深刻な問題について話がされている」ことはわかる。それでも、難聴のわたしにはその会見の内容の全てはきき取れない。

字幕をつけてくださる方が懸命に字幕をつけてくださっていることは、画面のその先からも伝わってくる。それでも、前もって打たれたものではないから表示速度も一定ではなく、全部の内容を把握することは難しい。

そんな会見が何度か続いていく中で、「なんか大きな発表があるらしいよ」も、それがわたしに向けられているものなのか、分からなくなってきていた。だって、何を言っているか分かんないんだもん。

いつしか
誰かがSNSに文字情報をあげてくれるだろう
と会見が行われるテレビを付けることさえしなくなってきたここ最近。

4月某日。
この日も通勤電車の中で、前日の報道の内容が何だったのかをSNSで追っていた。

いつもと違って、この日は動画がたくさん上がっていた。そのうちの一つを開くと、会見をする知事の隣にワイプ画面が。そう。わたしの、わたしたちの言語「手話」が会見の放送に乗り入れられていたのだ。

あぁ、わたしたちも日本に住む国民としてちゃんと認めてもらえたんだなぁ。

日本に住む国民として、リアルタイムで情報を得られるようになったんだ。緊急事態宣言なんていう物々しい会見だったにも関わらず、心がほっこりとして、嬉しさが込み上げてくる。

わたしはここでnoteを書くくらい日本語に親しみをもっているけれど、音声情報を全て聞き取ることは難しい。書記日本語も難なく読み取ることができるけれど、その場でリアルタイムに情報を得るのに一番スムーズな方法は手話だと感じている。

そんなわたしでさえ、心がほわっとあったかくなったこの会見。手話を第一言語としている聴覚障害者にとっての喜びはひとしおであっただろう。

確かに

・通訳のワイプが小さくてお年寄りの聴覚障害者にとって見にくいこと
・通訳者のレベルに差があること
・会見の場所と同室で行う場合、通訳者への感染リスクが非常に高いこと(手話は表情や口型も文法のひとつとなっていて、マスクをしていると情報が伝えられない)

などなど。まだまだ課題はたくさんあるかもしれない。

それでも。
わたしたち聴覚障害者も日本国民として、その土地の住民として、きこえる人たちと共に情報を得られることに感謝しつつ、みんなにとってよりよい通訳環境を共に考えていけたらいいなぁ。

このnoteが、その足掛かりのひとつになりますように。

そんなことを考えながら、お家のテレビで眺める今日この頃。通訳者の皆さん、報道関係者の皆さん、通訳を置いてくれる会見主催者の方々への感謝の気持ちとともに。

見に来てくださりありがとうございます。サポート、とっても心の励みになります。みなさまからのサポートで、わたしの「ときめき」を探してまたnoteにつらつらと書いていきます。