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マスクと、ソーシャルディスタンスと、日本語と。それでもわたしは、音のある世界をも大事にしたいから。

まぁ、そんなもんだよね。

友達と待ち合わせてカフェに入り、店員さんが放った
「感染症対策のため、お席は横並びでお願いします」
の一言に、特に憤るでもなく「しょうがない」それ以上でもそれ以下でもないと感じた。

もちろん、騒がしい店内で初対面のマスクをつけた店員さんの声はわたしの脳内には届かなくて、友達の復唱を頼りに知った一言なのだけれども。

聴覚障害と言っても人それぞれで。
わたしときこえは、左右でだいぶ差がある。

左耳は補聴器をつけていて、ある程度聴き慣れた人の声であれば音として認識はできる。これに「静かな場所」という条件をつけて、言葉として聴き取れる。

右耳は、補聴器をつけても辛うじて音の存在を伝える振動が分かるレベル。
しかも、飛行機のエンジンの前に立った時くらいの大きさの音くらいでやっと反応する。(まぁ、飛行機のエンジンの前に立ったことがないから、本当に振動がわかるのかは謎)

これらを考えると、3人の友人とカウンターに並ぶとき、わたしは一番右側に座る……というわけでもなくて。

補聴器で集音できる距離が大体2mくらいだから、一番右にいても一つ向こうの友人の声なんて存在すら分からない。結局真ん中に座る。すると、両端の友達が会話をしていても、アイコンタクトを取り合う2人を眺めることで「会話がはじまった」ことがわかる

という理由で真ん中の席を選ぶ。

これくらいの思考を、店員さんが
「感染症対策のため、お席は横並びでお願いします」
と放ってから席に着くまでの間に、めぐらせる。

いざ席について、やっと、マスクを外して良いのでは……という暗黙の了解のもと3人揃ってマスクを外す。

口の周りを覆うものがないだけで、開放感が、すごい。
一瞬、それぞれが新鮮な空気にホッとする間があって、そして、おしゃべりがはじまった。

序盤は、ついていける。
それでもやっぱり、カウンター席で会話が交わされるたびに右へ左へと相手の口元を読み取っていては、満足に手元のカフェラテを飲むことすら難しい。

そういえば、こういう世の中になる前はテーブル席に座っていたんだっけ。

テーブル席だったら友達2人が私の正面に座ってくれるから口の形を読み取りやすいし、友達にもわたしの話についていけていない表情をつかみ取ってもらいやすい。

今までは、わたしも友達も無意識にテーブル席を選んでいたから全然気付かなかったけれども。
いざ選択肢に「カウンター席しかない」という状況に置かれてみて初めて、あの無意識な選択がわたしにとってとても大事だったのだと知った。

わたしには、たしかに「手話」という言語がある。

だからといって「じゃあ、手話を使えばいいじゃない」なんて簡単な話ではなくて。
だって、わたしのいる世界は音のある世界と音のない世界の狭間だから。

音のある世界の住民たちと円滑にコミュニケーションをしていくには、やっぱり、日本語が必要だ。

むむむ。
マスクもソーシャルディスタンスもまだまだ必要なこのご時世。

狭間で生きるわたしは、この状況と日本語と、はて、どう向き合っていったらいいんだろうか。

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