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音の世界と音のない世界の狭間で

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聴覚障害のこと。わたしのきこえのことを、つらつらと。
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#手話

どうかどうか。初日の出を美しいと言える朝が、やってきますように。

本当だったら あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします! のひとことから始めて、年末に書いたBUCKET LISTをここに書いて宣言でもしようかと思っていた。少なくとも、サッカー日本代表の試合が終わって伊東純也選手が「キャプテンマークをつけていましたね」という記者の問いかけにハニカム姿をテレビ越しに見て「かわいい……‼︎」と悶絶していた頃までは。 ところがどっこい、その数分後にテレビから緊急地震速報が流れてきた。観測したのは、石川県。だというのに、テ

声と手話とその狭間で

聴覚障害のあるわたしには、コミュニケーションモードが3つある。 ひとつは、音声。この日本という国で暮らしていると、やっぱり音声日本語を使う人が圧倒的に多いので。高校卒業まではこの音声日本語というコミュニケーションモードだけで生きてきたのもあって、これはわたしの第一言語。 もうひとつは、手話。これは、音声を伴わない方。大学に入ってから使い始めた手話も、気づけばもう10年以上わたしのコミュニケーションモードとして思考の言語としていつもそばに居てくれている。手話で受け取った情報

ラーメンを啜る距離感。

時刻は19:00、ここは新大阪。 「さぁお家に帰ろう」と意気込んで気付く。わたしたちは、空腹だということに。 一人で空腹でいるのなら、ちょいと豚まんでもかじれば良いかもしれない。がしかし、今日は隣に好きな人がいるので、どうにかしてでもお互いにご機嫌のまま帰路に着きたい。 そんなわけで、改札内にあるラーメン屋さんにやってきた。 わたしも彼もラーメンは好き。でも、二人でラーメン屋さんに来るというイベントはこの数年間で数える程度しかないと思う。というか、彼に限らず、誰かと出

聴覚障害のあるわたしの、ことばたちとの付き合い方 episode2〜手話で思考するわたしも、日本語で思考するわたしも〜

わたしには聴覚障害があるけれども、片耳の聴力がまぁまぁ良かったことや特別支援学校ではない一般の小中高等学校で育ってきたこともあって、母語は日本語だし、ちょっと舌ったらずな程度でだいたいの日本人が聞き取れるような発音で喋ることができる。 母語というのは、ある人が幼児期に周囲の人が話すのを聞いて自然に習い覚えた最初の言語を指すらしく、聴覚障害者には「手話」という言語があって、この「手話」を母語とした人もたくさんいる。 18歳まで日本語だけの環境で育って、高校卒業くらいのタイミ

「雨の音が聞こえたから窓の外を見る」ことと「激しく降る雨をみて初めて、その雨音が聴こえてくる」ことの狭間で。

「雨の音、すごいね。分かる?」 わたしの肩をトンっとたたいて、彼女はそう言った。窓の外を眺めると、雨の線がくっきりと見えるような豪雨だった。自分の目でしかとその様子を確認したのとほぼ同時に、わたしの耳に「ザーザー」と激しい雨が降りはじめた。 「……わかった。これは、すごいね。」 一度音として認識できると、そこから先は、わたしの世界にも雨の音が流れ始める。その雨はさらに強く地面に打ちつけた後、30分ほどで止んだ。 GWに地元に帰省したときのこと。大学時代からよく集まる友

マジマジと見つめられた視線の先で、この世界に惚れ直した。ちょっとだけ。

補聴器をつけることや手話をすることは、わたしにとって必要なこと。だけれど、それをマジマジと見つめられる視線が、なんだか苦手だった。「わたしは聴覚障害者です!」と宣言しながら歩いているようで、それがとっても恥ずかしい気がしていた。 *** ヘロヘロバタバタな平日を終えて、やっと迎えた土曜日。「今日くらい……」とお昼頃までベッドでゴロゴロして、軽くおうどんを食べた昼下がり。 平日は軽く済ませるお化粧もちょっぴり丁寧に時間をかけて、いつもは黒いゴムで束ねるだけの髪型も一手間掛

手話ができることは、正義なのか。正義だけでわたしたちは救われるのか。

手話の苦手な人がわたしに向かって話すとき、わたしは相手の手話が間違っていてもその場で正すことはあんまりない。実際は、事前にもらっていた文字資料を思い出したり相手の口の形を読み取ったり話の文脈からその内容を推測することで頭がいっぱいで、正している余裕なんてほとんどないってのが正直なところ。 日本に住んでいる英語話者だって、日本人間違えた英語の単語と文法を常に正してくる人はないでしょう。だいたい伝わればオッケーみたいなかんじで。 「手話を学んでいるから間違っていたら直してほし

自意識過剰、万歳。 #tokyo2020

あの日、オリンピックの開会式を中継したテレビ画面に、手話通訳者のワイプ映像が映らなかった。 ピクトグラムの演出で沸き上がり、長嶋茂雄さんが聖火を持って走る感動に包まれたあの開会式の最中、複雑な気持ちを抱えた人たちが、確かに存在した。わたしたち聴覚障害者の中にも、複雑な思いをもった人が少なくないだろう。 わたしの記憶の中で一番古いオリンピックは、2000年のシドニーオリンピック。当時わたしは小学1年生で、担任の先生やクラスの友達が「オリンピックだ!」という話題についていきた

音の世界と音のない世界が、ほんのり明るくなって、青いピンが赤に変わった。

夏を前にやっと宣言が明けて、「今年こそは実家に帰省しよう。おじいちゃんが待っているんだ。」と帰省の予定を組んでいたら、またもや緊急事態宣言が発令されてしまったらしい。この夏も、おじいちゃんと一緒にお墓参りにはいけない。 そんなことを考えていたら急にショボンとしてしまっている今日このごろ。緊急事態と緊急事態の合間の、おそらく「緊急」ではないにしろ「蔓延防止」なんていう「これは緊急な事態ではないけど、平常ではないんだろうな」というそのタイミングに、ひっそりと友人に会った。 そ

目で理解するわたしと記者会見のこと。

都民への自粛要請以降、都知事だったり首相だったりが入れ替わり立ち代わりのようにテレビの画面のその先で、会見をしている、ようだ。 「なんか大きな発表があるらしいよ」 そう目にするたびに、テレビをつけて記者会見の様子を眺めてきた。 テレビの画面のその先で、「なにか深刻な問題について話がされている」ことはわかる。それでも、難聴のわたしにはその会見の内容の全てはきき取れない。 字幕をつけてくださる方が懸命に字幕をつけてくださっていることは、画面のその先からも伝わってくる。それで