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独立してからの6年は想像以上にハードだった 〜 サンキャクのこれから

皆さん、こんにちは。企業の動画制作やYouTube運用支援などを行う、サンキャクのRYUです。1972年生まれ。20年以上の長いサラリーマン生活から、セカンドキャリアだと思ってのんびりやろうと思っていた独立は、想像していたよりもハードで、ここ数年はたくさん失敗もしました。

宣伝広告や人件費・外注費のコントロールミスでキャッシュが底を尽きそうになったり、採用や教育でも色々ありました。

そういった失敗も糧にして、今期で6年目、周囲の多くの方々のご支援のおかげで、徐々に大手企業さんとお取引をさせていただけるようになってきました。最近では、既存事業に加えて、事業戦略など上流設計や、WEBマーケィング、ライブ配信ChatGPT関連事業もはじめました。

多角的に手広く経営をしているように見えるかもしれませんが、お客様のリクエストにお答えしていたら色々やるようになっていただけで、逆にいろいろやりすぎて何屋かわからず迷走しないために「なぜ自分がこの事業をやっているのか」を再確認するためにこのnoteを書いています。

読んでいてしんどい箇所もあると思います。しかしこれが今考えると起業の原点であり、現在の事業に至った経緯でもあります。

このnoteを読んでもらい「サンキャクはこういう理由で存在し、こういう思いで仕事をしているんだ」と言うことを知ってもらって、応援していただけたら幸いです。


このnoteを書こうと思ったきっかけ〜昨今の「芸能界の闇」

僕はゴシップにそんなに興味がないので、耳に挟む程度ではありますが、ビッグモーター問題、ジャニーズ、吉本、映画業界の闇など、最近ブラック企業や業界の闇が露呈しています。そしてそれを隠しきれない世の中になってきています。

誰もがSNSで録音・録画をし発信できますし、企業にも評判が書き込まれる時代になってきました。どんどんそういうのは表に出てくれば良いと思ってます。

しかし、内部告発がなかなか起きない状況もわかります。氷山の一角であることも。劣悪な環境にいると「自分がそんな事をしても何も変わらないだろう」という絶望感もありますし。告発するには相当な勇気が必要ですし。(今の僕なら思いっきりやっちゃいますね

とにかく、そういった業界の闇のような物が表に出てくる時代になってきたからこそ、いままで積極的に語ってこなかった自分の過去と起業のいきさつを書いてみようと思ったのです。

苦しかった2年間

僕は新卒から4年ほど、神奈川のはずれにある音楽業界のデータベースを作る企業で働いていました。毎日朝から終電までの長時間労働、週休1日の勤務でした。こちらについては細かく書いているときりがないので割愛します。

ブラックな環境ではありましたが、自分からその仕事がしたいという思いもありましたし、この頃に身についた粘り強さや根気は、今でも活かされています。若い頃の苦労は宝物です。

1996年。インターネット黎明期で、インターネットのある未来にワクワクし、会社のコーポレートサイトを作ったり、仕事が山積みだったので、パソコンを改造してスペックをあげたり、マクロでエクセルの処理を半自動にして効率化したり。とにかくテクノロジーで業務改善を日々行っていました。

当時まだ仕事でメールを使うというのは少なかったのですが、自社のWEBサイトからのメールで問い合わせをきっかけに、ソニーが取引先になりました。その後、ソニーの統括部長に、スカウトいただく形でソニー株式会社に転職することとなります。当時は新規事業を担当していました。 

草野球チームから突然メジャーリーグに行ったようなショックでした。
周囲が優秀すぎて、たくさん挫折もしましたし、グループ会社に出向になった頃、チームの事業が成功した楽しい思い出もあります。

ソニーとそのグループ企業で過ごした15年間はとても貴重な時間でした。

15年という節目で、原点である音楽業界への戻りたいという気持ちで、100名ほどの、当時上場を目指す音楽業界関係の会社に転職します。2014年の事でした。これが不幸のはじまりでした。

転職先は想像を超えるブラックな労働環境でした。組織はボロボロで、社長・副社長のパワハラが横行する企業でした。

管理職として入社したのですが、毎週、管理者全員を集めて、端から詰めていくという地獄の社内定例があったり、マニュアル不在、属人化した業務が多いのに離職率が高いため、人が辞めても引き継がれず、取引先とのトラブルもしょっちゅうでした。

その会社の仕組みに問題があるのに、経営者その責任を管理職にぶつけるというクズ組織でした(その後、その会社は上場手前の監査で問題が見つかり、上場は見送りとなりました)部下や同僚が良い人たちだったので、それだけが救いでした。

2年目に心身ともに追い詰められていきました。ブラックな取引先も多々ありました。当時42歳。ちょうど同時期に、電通での事件が世間の注目を集めていた頃ですね。

組織って怖いものです。そこが社会の全てのように洗脳されてしまう。ストレスで、これまで普通にできていたことができなくなります。記憶力が弱くなったり、積極性も低下したり、どんどんパフォーマンスが下がって、ポンコツ人間になります。

自分なりにキャリアも積んできて、それなりに自信もありましたが、それがどんどん削られていって、日を追うごとに「自分には価値がないかもしれない」と思い込んでいってしまっていました。

そしていよいよ、帰り道の地下鉄のホームで「この線路に飛び降りたら、明日仕事しなくても良くなるのかな…」なんてマインドになっていた翌日、妻にSOSを出して、心療内科に連れて行ってもらい休職 → 退職となりました。

しかし、退職してもまだまだ働きざかり。もしかして世の中の企業はほとんどの企業はブラック企業なのではないか?だったら転職しても意味ないんじゃないかと思い込んでいました。

たぶん、いまの自分を知る方にこの話をしても、信じてもらえないと思います。それぐらい別人になっていました。

45歳の再就職は困難を極める

さて、44歳でメンタルを壊して退職を決意して、すぐに転職活動をはじめますが、これが全く思うようにいきません。エージェントやスカウトにエントリーしても、落ちまくりでした。

「自分のような人間はたくさんいるんだな」と、焦りと不安が募り、一念発起して英語学習を始めます。

これまでの経験とスキルに英語という掛け算が生まれれば、新しい世界へ転職するという道もあるのではないか?と、めちゃくちゃ抽象的な希望をもっていました(当時は精神的にロジカルに未来を考えられる状態ではありませんでした)

"TOEIC800点で日常英会話が話せる"を目標に取り組みます。これも今考えると無茶な挑戦でした、人生で一番頑張ったと言えるほどハードな1年でした。
SNSを禁止し、LINEもメインは友人の外国人とする、朝は英語のニュースを読み、昼はTEDを見て、飲み会も絶ちました。

TOEICの受験を年間4回受けることにし、毎日のスケジュールを英語で埋め尽くしました。

それでも、食いつながないといけなかったので、動画制作やWEB制作を個人で受けておりましたが、英語の学習と両立させるのは至難の業でした。

挫折しそうになったときは、パワハラ上司の事を思い出して「見てろよと」悔しさをバネにしていました。

この激動の1年も別で記事にしていこうと思います。

人生の転機となった発信

せっかく英語学習を始めるなら、その活動を記録する目的と、就活でのプレゼンテーションスキルを磨こうと、YouTubeで発信を始めることにします。2016年、きっとこれからYouTubeが一般化する時代がくるだろうという予測もありました。

当時44歳、英語に関するユーチューバーは、まぁまぁ居ましたが、「純ジャパでオジサン向けYouTuber」はレアなポジションだったので、ここを狙っていきます。

当時の英語ユーチューバーのポジショニング

英会話を練習し始めたのが2016年の4月でしたので「半年後の9月に英語を話せるようになってそれをYouTubeにアップする」と固く決意をして、そこまで英語学習に没頭し、半年で英会話できるようになった2016年9月に記念すべき動画をあげます。最終的に13万再生となりますが、もちろん当時は全く再生されませんでした。

帽子を被り始めたのもこの頃で「YouTubeで英語を教える帽子のおじさん」というキャラ作りがきっかけです。

下手な撮影と編集でコツコツ頑張っていき、登録者は1年で6,000人、2年で登録者数は2万人を超えました(現在更新はお休み…)

YouTubeは、話すスキルや、発信する能力(企画・制作・コピーライト力・サムネデザイン・分析・改善)が身につきました。YouTubeは本当に勉強になります。

何より視聴者の方からの応援が支えになりました。もちろんアンチからも攻撃を受けました。これも良い経験でした。

YouTubeで独立?

YouTubeをはじめた頃には、TOEICのスコアも700点ぐらいに上がっていました。日常会話もだいぶできるようになったので、転職活動に集中しても良かったのですが、YouTube視聴者の方から「英語を教えてほしい」という声をポツポツいただくようになり、転職ではなく英語スクールを立ち上げ独立することを決意、横浜の創業支援プログラムを受講して起業の準備に入ります。

当時、自分が会社を作るなら、下記の3つを考え方の柱にしようと思っていました。

  • ブラック企業とは取引しない

  • 「自分ができることでやってもいいかも」ぐらいの仕事を選ぶ

  • 自社を絶対にブラック企業にしない

徐々に癒えていった「自信を無くした自分」

周囲の方に恵まれ、サラリーマンからの起業は驚くほど順調に推移しました。すぐに英語の先生たちを雇わせてもらうことになりました。

運営は楽ではありませんでしたが、毎日好きなところで働ける自由を堪能していましたし、英語で自身を変えていく生徒さんの姿に胸を打たれました。

しかし、実は英語を教えるのが苦手で、先生たちに助けてもらうばかりでした。とにかく広告塔として、YouTubeやYouTubeライブ配信を頑張る日々を送っていました。

YouTubeをやったことで、自分が世の中でどのような存在として求められているのかもわかりました。

英語のYouTubeなので「英語の勉強の仕方」というノウハウを求められているかと思っていたのですが、視聴者の方から「モチベーションをもらえる」というコメントやメールをもらっていましたので、自分は誰かをモチベートし、ポジティブなエネルギーを与えることができる。という発見できたし、世の中から必要とされている喜びもありました。

toB事業も、本当に良いお客さんばかりと出会います。もちろん、先程の3つの柱を軸に取り組んでいますから、直感で合わない方とはビジネスをしないでいたおかげもあります。取引する人を選べるというのは、会社員には無い起業の良さですね。

こうして、自信を無くして自分らしさを失っていた自分が浄化されていき、かつてのように人生がまた愉しくなってきました。

コロナで事業が転落

2018年の企業から順調だった2020年、コロナの影響がウチにも出ました。これまでオンラインで英語コーチングサービスを提供していて、リアルで教室を作ろうと、オフィスを渋谷のシェアオフィスに移転してしばらくのことでした。

もともとオンラインサービスだったので、影響は少ないだろうと考えていたものの、当時の入学生の英語学習の目標の大半は「海外旅行を楽しむため」「外国人に話しかけられても応対できるようになりたい」でしたので、問い合わせ件数がどんどん減っていきました。

YouTubeも波が去るように人気が落ちていき、英語スクールは徐々にフェードアウトしていきます。

問題は創業からずっと助けてくれている英語の先生たちです。担当生徒の数で出来高が変わっていくので、生徒の数も減れば、彼らの給与も減ります。
状況を説明しつつも、もちろん離れていく先生もいらっしゃいました。

何度も先生たちと話し合う時間を作って、英会話の先生の他にも、SNS運用ノウハウを学んでもらい、現在では、企業のInstagramオウンドメディアを運用してもらったり、動画の英語字幕の翻訳業務などをお願いしています。

おかげでコロナで下がった売上は徐々に回復することになりますが、英語スクール事業はフェードアウトしていきます。

企業向けのYouTube運用代行に力をいれる

toCビジネスを復活を待ってはいられませんので、自身でYouTubeを伸ばしたノウハウを活かし、企業のYouTubeのプロデュースに専念しました。

当時、コロナの影響で展示会ができない企業や、住宅展示場に人が来ないという課題があり、ここをYouTubeで代用するというニーズがありました。

また、僕が大企業出身であり、YouTubeを2万人まで伸ばした実績が、他社のYouTube運用代行業者よりもアドバンテージになりました。

「YouTubeの運用代行で、若い人が営業に来たが、信頼できなくてRYUさんに相談した」
「金髪YouTuberからコンサルの営業された、会話が通じなかった」といったリアルな声もありました。

コロナでYouTubeの視聴時間が伸びた影響もあって、ジャンルを狙って作った動画が数万・数十万再生を記録し、クライアントに喜んでいただけました。

なかには、YouTubeだけで戸建てが60棟売れたというヒットも生まれました。

捨てる神あれば拾う神あり。toC事業がシュリンクした後に、こういったYouTubeの運用代行事業、Instagramの運用動画制作、やWEB制作などのお仕事をご紹介でいただくようになり凌ぐことができました。

広告費・設備投資・人件費で会社が死にかける

コロナ禍では人脈で仕事がとれていたものの、この状況は長く続かないと感じ、2022年はリアルネットワーキングに力を入れたいと考え、展示会に出展を決めます。

しかし、展示会にかかる費用は、ブースのレンタル、ディスプレイの設計・製作、資料の印刷、スタッフの派遣などなど、多額の投資が必要となりました。

結論、成果は翌年と翌々年に帰ってきて回収はできているのですが、一時的なキャッシュアウトとしてはかなり大きなものでした。

社員採用と人件費の増加

これまで業務委託が中心だったのですが、縁もあって2名の新卒社員を雇うことになります。”社員を雇ったらその3倍の売上が必要”という事を創業プログラムで学びましたが、それ以上に、教育のために自分の時間がうば奪われ、営業活動の生産性が下がることに気付かされました。

人を雇っているのに業務委託の外注費が減らず、売上も横ばい。という結果にいたります。これによって5期目の決算は過去最悪となってしまいました。

機材の設備投資

新卒の人材は、映像制作においては即戦力であったため、必要な機材を購入しました。撮影用カメラも本体だけで50万ぐらいはザラ、そこにレンズが数万〜30万ほど、それだけでなく周辺機器もなかなかの投資額となりました。動画は大きなデータを扱いますので、それに耐えうるハイスペックなパソコンも必要ですし、メモリ等の記憶媒体もコストが膨らみます。「動画を安く作りたい」とおっしゃる方もたまにいますが、自分で作ってみたらその妥当な金額が分かると思います。それぐらい動画の制作にはコストがかかります。

これらの要因も重なって、資金ショートが目前となってしまいました。自分の個人口座から給料を支払う月もありました。

しかし、この経験によって、政策金融公庫や銀行からの融資も経験でき、結果良い経験となりました。現在も借りれるときは目一杯借りるようにしています笑

「無借金経営だとドヤってる社長は、経営ができていない証拠」と創業プログラムの先生がおっしゃっていましたが、まさにその通りだなと痛感しました。

なぜ僕(たち)がこの事業をやるのか?


2021年、ブランディングデザインの会社、セルワールディングさんの顧問をやらせていただくことになりました。

顧問をやるならブランディングを体験しておかないと何も語れないし、創業から業務委託スタッフが多いので、チームとしての帰属意識や認識を統一したい思いで、同タイミングで自社のブランディングをお願いしました。

これは本当に良かった。ブランディングはチームがまとまるだけでなく、採用にも良いし、良いお客様を連れてきてくれます。言葉にするのはとても大事です。

サンキャクの企業理念はこちら

世界を愉快に。

サンキャクの使命は、人の気持ちを上向かせること。
おもしろいことがしたいと願う人と一緒に、
時に魔法使いのように、時に宇宙レベルの視野で
心からおもしろいと思えるコンテンツをつくり、世界中へ発信していきます。

理念は、もちろん僕一人ではなくみんなで作り上げたものですが、ソニーの会社設立の目的「自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」に影響も受けています。そして、やはり今になってじっくり考えてみると、前職のぶらブラック企業での苦い経験から湧き出てきた言葉であるとも再認識しました

  • もっと仕事は楽しくできるはず

  • 人をリスペクトできる人・組織と取引をする

  • 愉しい=ただ楽しいのではなく、プロフェッショナルな仕事をする

MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)も作り直しました

Mission(ミッション)

人々の気持ちを上向かせ、心から「おもしろい」と思えるコンテンツを創造し、世界中に発信すること

Vision(ビジョン)

世界中の人々がサンキャクの創るコンテンツを通じて、日常に笑顔と興奮を感じる未来を作る

Values(バリュー)

  • 一に愉快、二に愉快:自分自身が楽しむこと、好奇心を大切にする

  • 好きすぎるスキルを武器に:得意分野を活かし、チームで価値を創造する

  • 目的が一緒だから一緒に行く:共通の目標に向かい、成長し続ける

サンキャクのこれから

正直、このnoteを公開するか迷いましたが、なぜ僕がこの事業を、この会社をやっているのか、その理由をハッキリさせることができて、気持ちとしてはスッキリしています。

周囲からよく勘違いされます。サンキャクさんはいつでも業績右肩上がり、うまくいっている、怖いものなし。

そんな事ないんです。SNSではネガティブな発信はなるべくしないだけです。良い事があった時にご報告しているので、それが目立っているのかもしれません。

この記事を通じて、僕たちサンキャクのこれまでと挑戦や学びを共有できたことに感謝します。

僕一人の力だけではなく、素晴らしいチームメンバー、応援してくださるお客様、そして僕たちの取り組みに共感してくださるすべての方々の支援があってのことです。

これからも、僕たちの理念に共鳴し、共に成長していく仲間を大切にしながら、サンキャクの次の章を切り開いていきます。

皆さまの継続的な支援と応援が僕たちの大きな力となります。

長文をお読みいただきありがとうございます。

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