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小学生のうちに伸ばしておきたい力③「暗算」

注意力散漫な小学生が、途中式や筆算を書かずにいい加減な計算をして答えを間違える。
それを見た保護者や教師が激怒する。「計算を丁寧にやりなさい」と。

ありがちな光景だ。
確かに、丁寧に筆算をすれば正しく答えが出せるような計算を暗算して間違えるのは愚かしい。だから、途中式や筆算を書けという指導自体が必ずしも不適切なわけじゃない。

ただ、いつも適切なわけでもない。

計算が正確な人というのは総じて計算が速く、暗算力が高い。
もちろん計算が速いばかりで不正確な人も少なくないので、計算の速さと正確さが必要十分の関係にあるとは言いがたい。ただ、計算の速さや暗算力の高さは計算の正確さの必要条件と言えるんじゃないかと思っている。
なぜなら、計算がゆっくりで暗算は苦手だけど丁寧に途中式や筆算を書くので計算ミスがほとんどない、という人を見たことがないからだ。むしろ、そうした人達は途中式や筆算を書きながら、その過程の中で実に単純な計算ミスを発生させる。
つまり、計算ミスが発生する背景には粗雑さやいい加減さといった姿勢の問題以前に、純粋な計算力不足という問題が存在しているケースがあるということだ。

そもそも、筆算をするにしても初歩的な暗算は必要だ。
足し算であれば1桁足す1桁の計算が、引き算であれば2桁引く1桁の計算が頭の中で行えなくてはならない。掛け算の筆算は九九と1桁足す1桁の計算ができれば十分だが、割り算になるとn桁掛ける1桁の計算が頻発する。それを一々筆算で計算しなければならないようでは答えの導出が覚束ない。
筆算を書きながら計算ミスをするということは、上記レベルでの計算に正確さを欠くということだ。つまり、「$${8+6}$$」だとか、「$${14-9}$$」といった計算が正しく行えていないから間違える。

もちろん、ほとんどの小学生は「$${8+6}$$」や「$${14-9}$$」の答えを直接問われれば正しく答えられる。それは、注意をその計算にだけ向ければ済むからだ。
けれども筆算においては複数の計算をこなさなければならず、繰り上がり・繰り下がり処理の存在もあって注意力が分散されてしまう。筆算で初歩的な計算ミスが発生する背景にはそうした原因が存在する。
だから、1桁足す1桁や2桁引く1桁の計算での間違いが目立つからといって、それだけを反復練習することにあまり意味はない。この手の計算力不足が孕む問題は、どちらかと言えば集中をコントロールする力やワーキングメモリの不足にあるからだ。つまり、「$${8+6}$$」の答えが正確に出せることだけじゃなく、「$${38+6}$$」だとか、「$${58+26}$$」といった計算の過程で「$${8+6}$$」を間違えないかどうかが大事になってくる。

逆説的なのだが、筆算や途中式を書きながら計算ミスが目立つ子に対し、同じ計算を暗算させてみた方が計算精度が上がる場合というのが存在する。それはおそらく、暗算になると自身の集中力やワーキングメモリをフル活用せねばならないからだろう。
途中式や筆算は計算過程の可視化によってワーキングメモリへの負荷が減らせるという点では非常に合理的なのだけど、それはともすれば演算処理への集中を却って散漫にさせてしまうといった負の側面がある。
計算ミスとは多少異なるのだが、途中式を丁寧に書く子に目立つ誤りとして数式や演算子の転記ミスというのが挙げられる。俺達は普通、既に書かれている文字や数式を複写するという作業に認知処理上の困難を感じない。そして、たやすくこなせると感じるタスクに割かれる注意力は散漫になりがちだ。計算ミスの多くも、「こんなのは計算できて当たり前」といったレベルの処理で発生する。
このように、作業の認知的な負荷の軽減は正確性にとって両刃の剣だ。元々の負荷が大きい処理ならその軽減には正の効果の方が大きいが、大して困難でもない作業の負荷を低下させると却ってミスが生じやすくなる。それはすなわち、タスクの難度をあえて高く設定することでミスが減らせる可能性があることを意味する。

したがって、計算の精度と速さの両面に鑑みても、ある程度のレベルの暗算がこなせるだけの計算力、もっと言えば集中力やワーキングメモリを鍛えておくに越したことはない。目安としては足し算・引き算なら3桁の数同士、掛け算なら3桁掛ける1桁、割り算なら3桁割る1桁ぐらいの暗算ができる程度は目指したい。

自分には、あるいはうちの子には難しいと思うだろうか。

もちろん得手不得手の程度はあるのだが、暗算の妨げになっているのは心理的な障壁である場合が多い。つまり、「計算を間違えたらどうしよう」とか「自分にはできるはずがない」と思っているから積極的に試みようとしない。試みなければ熟達もしない。
暗算の多くは筆算を頭の中でイメージするか、既に暗記された計算の解を引き出すかのいずれかによって行われる。だから計算技能の面だけ見れば、筆算ができるなら当然暗算もできるはずなのだ。
では、暗算の何が難しいのか。それは計算結果を頭の中で一時的に保存し、必要に応じて呼び出す作業が脳のワーキングメモリに大きな負荷をかけることだ。たとえば「$${58+26}$$」を計算しようと思えば$${8+6=14}$$という計算結果を記憶に保持しつつ$${5+2=7}$$の計算を行い、そこに繰り上がりの1を加えるという処理が必要になる。加えて、最終的な答えを出す際には一の位の4という数字も思い出さなければならない。当然ながら、桁数が増えれば増えるほど一時保存しなければならない計算結果も数を増すため、一般的な計算技能の持ち主だと暗算できる桁数には限りがある。
ただ、3桁足す3桁程度の暗算までなら、その気になりさえすれば大抵の人がこなすことができる。一方、それ以上の桁数になると筆算を用いた方が正確さ、速さの面で合理的になる場合が多い。先述した暗算レベルの目安というのは、「これぐらいの計算なら暗算できた方が速く正確に計算でき、しかも出現頻度も高い」というものだ。

ただ、暗算ができることの効用は単に計算の正確さや速さの面に留まるものではない。

暗算力がもたらす大きな恩恵の一つに、「計算の工夫が意識できるようになる」というものがある。
たとえば「$${24×45}$$」という計算をすることを考えてみる。これを筆算せずに答えよと言われたとき、多くの人は頭の中で懸命に筆算を思い描きながら解を求めようとするかもしれない。けれども暗算に慣れた人であれば、「$${24×45=12×2×45=12×90=1080}$$」だとか、「$${24×45=24×5×9=120×9=1080}$$」といった計算手順を考えるものだ。
計算の工夫というのは交換・分配・結合法則の利用に留まらない。ほかにも「$${128, 157, 131, 145, 129}$$の平均値を求めよ」といった問いにおいても計算の技量は発揮される。5つの数を単純に加えるのでは暗算が困難だが、最小の128を「仮平均」として定め、その差分($${0, 29, 3, 17, 1}$$)の平均値($${\dfrac{0+29+3+17+1}{5}=10}$$)を加えることで簡易に平均値($${128+10=138}$$)を求めることができる。正負の数を学習した中学生以上なら、仮平均を140ぐらいに定めておくとより計算が簡便になるだろう。
非常に便利なこの「仮平均」の考え方、実は学校でもちゃんと教わっているはず。しかしながら、ほとんどの子供が仮平均を用いずに生データの単純な合計値を標本数で割るやり方を選択する。それは言うまでもなく、思考への負担が要求されるぐらいなら計算の負担が大きい方がまだマシだという学習者の選好に基づくものだ。
暗算を要求するという指導はこの手の思考を厳格に拒む。そうして、最初に思いついた方法にただ飛びつくのではなく、複数の解き方を候補として挙げたうえで、最も楽そうな解法を選り抜くという思考作業を促していく。その効用は一つの計算場面に留まらず、様々な問題における発想力や応用力の涵養にも繋がっていくはずだ。

加えて、暗算ができることは「先の手を読む」うえでも不可欠になる。
数ある解法の中から「最も楽な解き方」を選ぼうと思えば、それぞれの手法を用いた場合どのような後工程が発生するか、脳内でシミュレーションできなければならない。その際、具体的な計算結果が物を言うケースというのがある。
たとえば、「$${1026×378+122×486-270×756}$$」という計算が与えられたとする。もちろんこの手の問題では真正面から筆算で答えを求めていくことが期待されてはいない。必ず工夫の余地があるはずだ。
ポイントは「$${756=378×2}$$」であることに気付けるかどうか。すると、上式は「$${1026×378+122×486-270×2×378=1026×378+122×486-540×378}$$」と変形できる。そこで378を共通の因数とする2項に注目すると、今度は「$${1026-540=486}$$」となり、真ん中の式との間に486という共通の数が生じることがわかる。
つまり、「$${1026×378+122×486-540×378=486×378+122×486=486×500=243000}$$」と、煩雑な筆算を繰り返さなくても答えが出せるということだ。
こうした発想は暗算による結果の予測ができないと出て来ない。原理的には暗算でも筆算でも同じ結果が得られるのだが、「とりあえず」筆算してみるという試行は効率性が低い。ゆえに、役に立つかどうかわからない結果を得るためにわざわざ筆算をしてみるぐらいなら、いっそ真正面から筆算を繰り返していった方が速いじゃないかという思考にならざるを得ない。
こうした暗算による結果の予測は、図形問題で殊に重要となる。たとえば二等辺三角形や相似な図形の組を扱う際、内角の大きさや辺の比が瞬時に計算できなければ図形の発見そのものが難しい場合があるからだ。また、高校数学に入れば二次方程式が実数解を持つかどうかを判別したり、高次方程式を因数分解する際に式の値をゼロにできる代入値を探したりするなど、計算による簡単なシミュレーションを要求される局面というのが数限りなく存在する。そこでちょっとした計算に筆算を使わなければならないようでは解答は覚束ない。

中学受験をするなら言うまでもないが、公立の中学校への進学を考えているような場合でも、暗算力は絶対に鍛えておいた方がいい。
中学そして高校へと進むのに伴い、こなさなければならない演習の量も難度も増していく。計算が速くできるということは、単純に一つの課題を終えるのに要する時間を節減するとともに、解法の考案といったより思考力を要する部分に認知のリソースを多く割り当てられるという恩恵をもたらしてくれる。
ただ、現実には中学生になっても2桁同士の足し算や引き算を行う際、筆算に頼っているような生徒が少なくない。これは小学生の頃から「筆算を使って丁寧に計算しなさい」という指導に素直に従ってきた結果なのだろう。こうした子の多くは実に「真面目」だ。
けれども、その「丁寧さ」や「真面目さ」が必ずしも正確な計算という結果に反映されるわけでもないのが現実である。その先にある計算の工夫だとか、解法のシミュレーションについては言わずもがなだ。むしろその辺の要領は適当に式を書き散らしたり、精度には欠けるがある程度の暗算に抵抗がない子の方が良いと言えるかもしれない。あくまでも実感レベルに過ぎないが。

もちろん、暗算をすることで却って時間がかかったり、精度が落ちてしまうようでは本末転倒だ。大事なのは、計算の複雑さや局面の重要さに応じて簡便な暗算と、筆算を用いた丁寧な計算とがきちんと使い分けられること。「この計算を間違えたら、以後の計算も全て無駄になる」といった場合には慎重を期さなければならないのは言うまでもない。
ただ、繰り返しになるが、筆算を正確に処理するにしても暗算力は必要だ。なので、計算を多少間違えても差し支えのない家庭学習時などには積極的に暗算の訓練を積んでおくといい。暗算で一度答えを出しておき、改めて筆算を用いて計算した際に解答が一致させられるかどうかを試してみる、そんな練習ができれば最良である。

そして、大人の側としてはそうした暗算の試みを「雑だ」などと言って単純に切り捨てないことも必要だ。むしろ大事なのは、暗算にせよ筆算にせよ、自分の計算をきちんと検証するという姿勢を徹底させることである。

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