「比べない」が難しいから、「意識的に比べ」たい。
2歳児担任になったとき、密かに心がけたことがある。それは、
2歳を年長児にしない、ということ。
以前勤めていた園は、0,1,2歳しかいない保育園だったから、2歳児が卒園児となるのだ。
保育士、幼稚園の先生なら、「卒園児」の重みって他のクラスと違うということが分かると思う。
何かにつけてイベントの花であり、その園の集大成をみせる役割になっている。
0~5歳の園だったら、運動会なら4歳はパラシュート(大きな布をみんなで操る見映えの良い出し物)、5歳は組体操かキッズソーラン節(伝統的な踊りを幼児向けにしたタイプ)、みたいな流れができているところも多い。0,1歳はいるだけでかわいく、2,3歳はなかないで動けたら素晴らしく、4歳はチャレンジ、5歳は集大成。
年齢に応じて難易度が徐々に上がっていくイメージ。
私の勤めていた0,1,2歳の園は、運動会もなかったし、基本自由だったのだが、下の子達のお手伝いをしたり、卒園製作や発表会的なものはあった。 2歳だけが畑をもち、色々育ててもいた。
だから、2歳を集大成にしない。と、心がけないと、うっかりすると、求めすぎてしまいそうで。
いやむしろ、お片付けとか、話を聞くとか、そういう些細な日常で、求めすぎてないか、日々反省しながら生活していた。
比べる対象を0,1歳にしない。
ここでは0,1歳しかいないだけで、世間様の2歳はまだまだ甘えん坊でいいし、5歳までの保育園だったら乳児カテゴリーに入る年齢なんだ。と言い聞かせた。
そこからみると、逆に本人達が、自分たちが年長だという誇りを持って下の子に接した時に、素直に感動できるし、本当にこどもってすごいなぁと思えた。
大人が比べようが比べまいが、子どもはすごい。
最初に勤めていた園(0~5歳児)と、学童を掛け持ちしていたとき、衝撃を受けたことがあった。
それは、学童の子が運動会に出たのを見に行ったとき。
1年生の競技、チェッチェッコリ玉入れ。
それは、向きを変えながらお尻をふるだけの踊りと、玉入れが合体した競技。
あとかけっこ。
1年生、以上。
ええー!去年5歳で組体操とソーラン節とリレーと親子競技やってたあの子達がこれ!!
春の運動会だから、時間がないとはいえ、あまりの落差に肩の力が抜けた。
でも、これだけかーと思っているのは私だけのようで。学校は毎年同じラインナップだったし、保護者の物足りないという声もなく、いつの間にか私も慣れた。
あんなに年長児の自覚を持って、取り組んできたのに、学校行ったらかわいいかわいいひよっこちゃんみたいになる。
これはなんだろう。
そうか。
比べる対象が違うからか。
6年生を集大成に待っていくなら、1年生はそれくらいでちょうどいい。
所変われば、比べる対象が違えば、目の前にいる子どもの捉え方も全然違ってくる。
これは、肝に銘じておかなければ、と思った。
2歳どころか、5歳だってぜんぜん最終形態じゃない。人生100年時代の、たった5年目なのだなぁ!
転じて、娘。
もうすぐ幼稚園か保育園にいくが、まだ家庭保育。
家に比べる対象がないとき、保育園にいた子たちとは比べないように意識している。これがなかなか難しい。自分の知っている2歳児のイメージがそこだからだ。
そんなとき、意識的に比べるのは、小さい頃の娘本人。
ああ、こんなに成長して。
一人で手を洗おうとしている。(なかなか戻ってこないけれど。床びっしゃびしゃだけど)
ことばいっぱいしゃべってる(ほんとは静かに寝て欲しいけど)
きっと、()の中身は、今後娘がまた成長したときに、比べて噛み締められるように、今はとっといてくれてるのだと思うことにした。
まぁでも、今、できないことを過去と比べて落ち込む必要はない。
だって、毎年順調に成長するなら、さんじうウン歳の私なんぞは、円滑なコミュニケーションかつ強靭な肉体とそれから使える魔法一つくらいを、そろそろ獲得していなきゃいけないはず……。
おかしい。何年も全く変わらない気がする……。むしろ、記憶力とか後退しておる……。
比べる、というのは難しくて、深いし、危険がはらむ。
だから、いくつもの角度と切り込み方があることを、心に常にとめておかなくてはなぁ、と、思っている。
子どもの『今』を肯定できるように。