見出し画像

夫を、「いいように使う」ってどういうことなんだろう。

ズームは面白い。たまに、友達の旦那様がうつりこんだりするから。普段なかなか会えない人に会えた気分になる。
その、レアキャラな旦那様が言ったのだ。
これから赤ちゃんがやってくる予定の、幸せそうなご夫婦の旦那様が。

「赤ちゃんのお世話とか、もちろんするつもりだけどね……、いいようには使われたくないね」

ニコニコというので、その場にいた皆、笑ってききながした。
が、子育てまっしぐらのわが身としては一瞬、(あ、これ、場が場なら炎上するやつや……)と思ってしまった。
だが同時に、この感情って世の旦那様が結構思ってるやつなんじゃないかな、とも思った。

いいようには使われたくない

意外と核心をついたパパの思いであり、

つまりはそれは、
妻の「それくらいなんでやってくれないの」と対であって、分かりあえない感じの火種ではないのか。

いや、そもそも、いいようにつかうとは、いったいどんな場面なのか。(妻の考察)

例えば、育児とは、いきなりサンクトペテルブルクで24時間テレビのマラソンランナーに選ばれました的な始まりかたをするものだと思っている。
(またも急な例え)

「え?どこですか?え?ロシア??地形とか、地理感覚わからないんですけど(私行ったことないので)。
え?パーソナルトレーナーいない?オーディエンスは使える。外野もいる。聞こうと思えば専門家に聞けるんですか。
走り方ですか、もちろんなんとなくわかりますよ。24時間テレビで他の人が走ってるの見たことありますから。講習会とか参考ビデオで見ました。マッサージとか給水とか必要なことも。あれ?サングラス途中で投げ捨てるんでしたっけ?あ、それはオリンピックですか。Qちゃんだけですか。
話変わりますけど……町並みすっごくかわいいですね!!
……あれ?
こんなに走るのってしんどかったでしたっけ?
あ、そうか寝てないからですね。」

みたいな感じで、新生児育児が始まっていく。

要は、基本は教えてもらえるものの、すべてが初めてで手探りで、不安とやること覚えることの多さと、それからこどもが個々で違うから、分からないのにカスタマイズしなければいけないしんどさと、究極的なかわいさ……。
というのが新生児からの育児だと思っている。

いや、これ、誰かの助けがないと無理ですから。
優しい実家の母という、少し情報は古めだが心強いパーソナルトレーナーがついている人は、そりゃ無敵だ。
が、そうでなければ伴走者が欲しい。それか、痒いところに手が届く、強力なサポーター。

それが夫。……であってほしいと、願ってやまないのが妻なのである。

我が家は、私の体調回復事情もあいまって、夫が1ヶ月ちょいの育休を取ってくれたが、それがなかったら私は走り出しのところでつまづき、ロシアの美しい町中で、倒れこんでいただろう

本当の本当は走者として一緒に走って欲しい。けど、夫が育休を取ったときに思った。
これ、私と同じ動きをしてたら共倒れになるワ。ご飯作ってもらったりはありがたいけど、一緒に夜中起きたりしたら二人とも寝不足でフラッフラになって、喧嘩ばっかりになったワ。
だから、夜は寝ていいから、日中、いろいろ動けるサポーターでいてもらえると、非常に助かる。

して、フラッフラで走る妻が夫に、ドリンクを投げてくれといったら、「いいようにつかう」となるのだろうか。

例えばもし妻が、おもらし祭りでシーツとおべべが汚れているのを見た瞬間、娘を抱えながら、「新しいおむつとおしりふきとシーツとおべべ、用意してくれ」と言ったら、「いいようにつかう」ことになるのだろうか。

うーん。そうはならないのではないか。と願いたい。支援がないと、実質的に手が足りない。


(と、ここまで考えて、もしも、おもらしの前で途方にくれた妻の横で、言う前から新しいシーツと新しいおべべをそっと用意してくれる夫だったら……!これは後光がさして見えるな……と思った。Twitterとかで、最高と言われている旦那様は、このタイプか。

そんな麗しの旦那様を日々求めることが「いいようにつかう」となるのか。)

これは夫に直接聞いてみよう

妻側の想像だけを一方的にするのは悪いと思い、夫にもダイレクトにきいてみることにした。

妻「子育てするなかで、妻に、いいように使われたくないって思ったことある?」

夫「しょっちゅうだよっ!」

……夫よ……そうだったのか……まぁ、そういわれると身に覚えがないこともないが……。

妻「それってどんなとき?例えば?具体的に」

夫「うーん、例えば、人が立ち上がった瞬間に、ついでにあれも持ってきてと頼むとか」

思っていたよりも、小さな話になって返ってきたので笑ってしまった。
確かに!それ私やりがちだし、自分がやられることもあるし、やられるとちょっと腹立つやつ!

妙に納得してしまった。

マラソン中に、ドリンク届けようとしてくれたら、「あ、ついでにそこのお土産やさんで、キーホルダーも買っておいて」とか言う感じ?

いいでしょ、ついでなんだから。的な。
いや、終わってから行けるやろみたいな?

確かにそれは持ち場を離れられないがちな、乳幼児の母あるあるなのかもしれない。

夫の気持ちをおもんばかり、対応できるところはなるべく動こう。
お願いするときはせめて、もう少し、申し訳なさそうにしよう。
そう思った、めんどうくさがり妻なのであった(反省してない)。

こどもが生むとき、たてた目標は2つ

私が、めでたく妊婦になったとき。
友人である元職場の栄養士先生と話していて、たてた目標がある。

1つは「今までの保育に囚われない」ということ。

元職場(保育所)はこどもにとって最高の場所を目指してきた。出汁をイチからとったバランスの取れた食事、いつも穏やかで優しい先生、やりたいことを遊び込める環境。
であるからこそ、「こうでなければならない」にとらわれそうで。
「いいんだよ。グダグダになっても。いい加減なご飯の日があったって」
栄養士さんから言われるとなんと心強いことか。

この会話があったから、テレビつけて食事の準備してても、パンだけのお昼の日があっても、まぁ、いっかと思えている。

そして、もう1つの目標は、
「無理はしない。人に頼れる人になる」

妊婦になったときから、無理はしないと決めた。
今まで、点滅青信号をスピード上げて渡っていたのを、渡らない。

私が、非常に甘え下手なので、あえて目標にした。

私の母は、人に頼るのが非常にうまいと思う。仕事を持っていて忙しいのもあり、私はだいたい引き取り訓練は友達のお母さんに引き取られるか学童に行き、夏は祖父母のうちにひと月近く一人で泊まり込んでいた。
でも、寂しいと思ったことも、人と比べてやだなと思ったことはあまりない。むしろ祖父母大好き。周りの優しさをたくさん受けていた。

それは母が、自分を卑下することなく、だからといって変に高圧的になることもなく、感謝とともに人に頼ってきたからだと思う。同時に、私の友の来訪を嫌な顔せず、さらりと受け入れてもいた。

そんな母を見てきたので、母のように上手く人に頼れる人になりたいと思ったのだ。

いいようにつかう、とまではいかないが、上手く人の手を借りる必要が子育てにはどうしてもある。
そんなとき、大変さを隠さず伝えて、好意に甘え、ちゃんと感謝できればいい。
自立した大人になるってそういうことかもしれない。

周りと一緒に我が子を育てる。
感謝を忘れずに(特に夫に対して忘れがち……)。
人を育てることを通して、自分が育てられている気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?