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香川県のゲーム規制条例はそんなに悪いのか?

香川県のゲーム規制条例。旬の過ぎた話題なので、皆さん、もう興味もないと思うが、1年以上経っても未だに本質的な所が議論されていないように、自分には思える。自分のネットの情報源などまとめサイトやヤフコメの反応という極端なものしか見ていないので申し訳ないのだが、「ただゲーム好きなオタクが自分の好きな物をけなされて怒っている」だけで、ゲームがもたらしてる問題について「ゲームを規制したからといって不登校や引きこもりの人が減るわけではないだろう」と、「俺は不良で勉強できないからワルするしかねえよ」みたいなことを言うのはどうなのだろう?と。

しかし、この問題を語ると、長くなるので、目次を付けて順番に書き留めたい。

(注)自分のこの文章は専門家でもなく、実際の人を見たこともなく、憶測で書いているので、この記事が正しいか分からないが。他人とは際立って違う意見なので書く。

①勉強できる子は別にゲーム無制限で問題ないけど。

②なぜ政治家が条例を作成するのか。自由はどこに?→子育ての外注化

③引きこもりや不登校の人に必要なものは?

④感想。反対する人はもっと考えてくれ。

①勉強できる子は別にゲーム無制限で問題ないけど。

まず、偏差値70の子がゲームをやり過ぎても、社会的仕事と趣味を両立できているので、何も問題ない。親も好きにやらせるだろう。でもそういう特別な子だけの特権なの?と言われると偏差値50~53ぐらいまでは、ゲームを2、3時間やってても、「勉強得意ではないけど、ゲームぐらい普通の子もやるし、そんなもんだろう」となるだろう。

問題は「教科書さえまともに読めない」日本語能力が低い子がゲームを沢山やっていることだろう、と思われる。自由とは云われても、これを放っておくと、社会問題の予備群になったり、日本が貧しくなって皆困ったりするので、政治としては対策せざるをえない。

だから、この問題はそういう人達向けで、普通に勉強する半分ぐらいの学生には全然関係ない話題なので、そういう人たちの救済について話さなければならない。



②なぜ政治家が条例を制定するのか。自由はどこに?→子育ての外注化

なぜ自由主義と民主主義が両立する日本で、こんな条例を出さないといけないのか。

それは今の日本の親に教育能力が無いからだろう。

それが象徴的なのは貧困界隈の朝食配給問題だ。

貧困界隈では親の都合(忙しい、子どもが起きれない)で子どもが朝食を食べられないので、学校等で朝食を配給するのが良い、ということが話されている。

これは貧困界隈の問題は解決するが、親の子育ての責任とは何なのかを曖昧にしてしまう。学校はただ学問を教える所に過ぎないのだが、マナーや社会常識、思想や(科学主義も含めた)宗教まで教えて、子どもの飯から娯楽まで、全部面倒をみないといけないのだろうか? これは些細な問題で今の学校はそこまで極端ではないが、そういう傾向が日に日に進んでいるように感じる。

勉強やゲームのバランスのしつけ、対人関係について教えられない親は、全ての教育を外注で教えるしか無くなる。そういう親が増えてきたので、政治家もこういう条例を作るしかないのだろう。



③引きこもりや不登校の人に必要なものは?

だからといって学校という社会から距離をとっている引きこもりや不登校の人に条例という社会の縛りつけはどうなのか?

最近、旭川のいじめの本『娘の遺体は凍っていた』を読んで思ったことだが、最近の子どもは、親とも先生とも違う友達的な大人と知り合う場所、学校の価値観と離れた場所、が荒野行動とかぐらいにしか無い所を知った。学童保育や学習ボランティアだとガキくさかったり殺菌された綺麗な大人しか出会えなかったりするからだろうか?

ただ、ゲームをしたいだけなら、オフラインのゲームでもやっていたと予想するので、こういう綺麗じゃない大人やゲームセンター的な居場所をどうやって作って、そして半グレのようにせず、かといって学歴主義・損得感情、功利主義ではない感じの人間たちの場所を作るのか?と最後は香川県条例の話ではなく、自分が社会に対してやりたいことの話になってしまった。


④感想。反対する人はもっと考えてくれ。

自分の憶測というか妄想が合っているかは分からないが、ゲーム規制条例について何か言いたかったら、こんなふうに分析じみた感じにしないと駄目だろう。

ゲーム規制条例に反対したかったら、行政に文句を言うだけじゃなくて、ちゃんと対案を出せ、と。ゲームをやっている人だけ、そういうことから逃げたら、ゲームが汚い大人がやってる物とみなされるから、勘弁してくれ。

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