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眼鏡フェチの二次元オタクが将棋にドハマりした話

 眼鏡フェチの二次元オタクが、なんだかんだで将棋にドハマりして順位戦で心を殺して疲れ果てた記録。怪文書。


発端

 私は、眼鏡フェチである。眼鏡が好きだから大学で日本史を選んだ程度には。こないだ「人生の大半を眼鏡に支配されてる」とフォロワーに言われた。あながち間違っていない。

 性癖:眼鏡。なので、最早「眼鏡のここが好き」とか「眼鏡が似合っている人が好き」とかそういうことでもない。三次元だろうが二次元だろうが、眼鏡をかけていると自分のなかでの好感度が300%あがって、そのまま「好き」に直結する。ついでに普段は眼鏡をかけていない人が、オフでは眼鏡だったりあるいは企画で伊達眼鏡をかけているのを見ても、心の好き度が一瞬で跳ね上がる。最早、恋。とにもかくにも私は眼鏡の人間が好きだし、眼鏡をかけていない人でも眼鏡を見ると好きになる。こうなればもう、大抵の人間が好きである。

 それと長髪キャラもかなり性癖に刺さる。しかし案外三次元には長髪がいないので、主に二次元での癖。あとおじさまも好きだ。大概推しはアラフォー、アラフィフ。何故なのかはわからない。わからないが大体刺さる。これこそ性癖ってやつだろう。

 とはいえ、眼鏡で長髪でおじさまなんて性癖要素三点セットのキャラなんて、ほとんど見たことがない。まず男の眼鏡キャラは大概髪が短いことが多い。長髪眼鏡っ子なんてリヒターさんしか知らない。ドストライク性癖キャラが少ないものだから、大体このうち二つの属性が当てはまっていたら必然的に推しになっていた。大体各ジャンルに一人はメガネキャラがいるから、見るものが尽きることはない。無限に推しだけが増えていく。そんな感じで二次元で推しを愛でながら生きてきた。

 そして、将棋界には眼鏡がたくさんいる。

将棋を見始めたきっかけ

 将棋を見始めたきっかけは、Abemaトーナメントだった。声優の番組を見ていたときだったか、何気なくAbemaトーナメントのCMをみて、将棋の棋士眼鏡めっちゃいるじゃーんという至極安易な理由で、ドラフト会議にとんだ。リーダー棋士は11人中8人が眼鏡だった。無節操眼鏡フェチにとっては眼福も眼福。最高の界隈だ。せっかくなのでと、唯一すでに知っていた森内俊之先生のいるチーム糸谷対チーム康光を開けば、それが想像以上に面白かった。谷川都成師弟戦はわからないなりにその尊さを享受したし、単純に糸谷康光戦は将棋のルールを知らなくても面白かった。ルールも知らないままにAbemaトーナメントを追いかけた。元々よくわからない深夜ラジオを聞き流すのが好きなので、用語がわからないままに解説を聞いてるだけでものんきに楽しめた。Abemaトーナメントはチーム戦だから、他のチームメイトの反応を見るだけでも十分すぎるほどにコンテンツ力が高い。ずるい。

 そのうちにそれぞれの棋士のキャラクターを覚え始めた。Abemaトーナメントに出てきている棋士はせいぜい50人ほど。もともとテニプリやらワートリやら登場人物の多い漫画を通ってきてる人間にとっては、余裕も余裕。ドラフトを見返しては戸辺先生と藤森先生の解説を聞き、せっせと将棋の対局動画をさかのぼっていった。大学は夏休みで暇人of暇人だから、知らないジャンルに手を出してるぐらいがちょうどよい。

 やがて何人か推しができた。基本的に私は界隈箱推しの人間で「みんな好き」なタイプだが、特にウルトラハイパー推しな人間が界隈に5人ほどできる。Abemaトーナメントを見て特に好きになったのは山崎隆之八段。眼鏡。めちゃくちゃファンの多い先生なので今更どこが好きとも言い難いが、同業者からもその独創性を評価され、やや毒舌かつ自虐的なトークをかまし、特に弟弟子に尊敬されている棋士である。うーん刺さる要素が多い(二次元のキャラクターかのように表現してしまい大変恐縮ですが、どうか許してください)。あとあげるなら、斎藤慎太郎八段や稲葉陽八段、菅井竜也八段あたりだろうか。みんな眼鏡。何気関西ばかりである。

推し棋士との出会い

 そんなこんなで緩やかに推しを作りつつ、Abemaトーナメントを見終わったのは九月のはじめごろだった。とっくにAbemaトーナメントはおわっており、私はアーカイブを追いかけている状態。しかしそれが尽きたとき、将棋との縁は切れかけた。将棋界には興味を持っているが、次に見るべきものがわからない。

 Abemaトーナメントは、将棋の対局の中でもごくごく短い時間で行われていた。大体一局20分。一局ずつ区切ってみれば一日に見る量としてそんなに負担はかからない。大体アニメ一本分。だから私はAbemaトーナメントを見続けられたのだ。しかし、普通はこんなに短くない。ネットで配信されているうちで、一番時間の短い叡王戦は、持ち時間1時間ずつ。合計で一局2時間はかかる。正直、まだ2時間の対局を見れる気はしなかった。将棋のルールわかってないし。いくら知っている棋士の対局だからって叡王戦も竜王戦も見れる気はしなかった。ここで止まっていたらひと夏を将棋に捧げ、来春のAbemaトーナメントを期待して待っているだけの人間になっていただろう。

 そこでふと、私はNHK杯の存在に気付いた。生まれてこの方、「こんなの見てる人いるのだろうか」と思っていたテレビの将棋放送。随分長い時間将棋を放送しているなあと思っていたが、実際は1時間半。叡王戦より短い。今すぐ見れる将棋の対局の中では、一番短いものだろう。ただ一時間半はドラマより長い。それでも「せっかくだから、NHK杯を見てもう少し将棋を勉強しよう」と思える程度には、私は暇だった。大学は夏休みだし。どうせ日曜日は12字まで寝てる。思い立ったら即行動。「NHK杯 将棋」とググってみれば、ちょうどその日に羽生善治vs佐々木大地戦が終わったところだった。どちらも知っている棋士だったので見れなかったのは残念だが、その次の週は山崎隆之vs広瀬章人。まさに一番刺さっている棋士が出てくるところだった。広瀬八段ももちろんAbemaトーナメントで知っていたし、眼鏡だしこれは観るしかない。もはや観ろと言われているようなものだ。「誰が見ているんだ」と思っていた番組を、自分が見る日が来た。

 その次の日曜日はちゃんと朝には起きて、10時にはテレビ前に待機していた。ついでに録画もした。チーム戦でもなければ、短くもない将棋棋戦。楽しめるかどうかは未知。しかし、どうせ睡眠時間だから、楽しめなくても損はしないとあまり期待せずについに訪れた10時半。NHK杯が始まってすぐ。楽しめるのかどうか未知、なんて思っていた3分前の自分はどこかへ行って、NHK杯の存在を思い出し見ようと思った1週間前の自分を全力で褒めた。ついでに録画をした自分の事も全力で褒めた。なぜかというと、心の底から性癖ドストライクの棋士を見つけてしまったからだ。

 松尾歩八段。黒縁の眼鏡をかけていて、やや長めの髪をオールバックにしたおじ様。うわ、好き。好きとかいう次元ではない。自分が生まれてこの方、好きとして処理してきた要素が詰まった、推しも推し。性癖のかたまり。出会ってしまった。言い表せない歓喜のような何かを抱えながら、必死でスマホで松尾先生の情報を拾った。所司門下。40歳。低音ボイスが特徴で、あだ名はセクシー。とてもわかる。そんなキャパオーバーレベルの興奮の中で見た山崎広瀬戦は面白かった。折角だから来週もNHK杯を見ようと思うぐらいには。

 こうして私はとある日曜日に、将棋を見るという趣味を得た。理由は棋士の方が好きだから。見る将というジャンルが一つ確立されているのもありがたかった。きちんと人を推す人間のためのイベントが催されてる。手を出すのは簡単だ。松尾先生も人気棋士。コロナ禍こそイベントは全然ないがいずれどこかでお会いできるイベントに参加できることもあるだろう。あって自分がどうなるかはわからないが、とりあえず一目見たい。

 しかし、どう考えてもイベントにやってきて「性癖なんです!」とかいってくるファンは、松尾先生にとってはただの迷惑だ。性癖ってなんだよって話である。棋士が好きでファンになったとしても、顔が好きと言う理由のほうが比べようもないほどましである。だから私は性癖以外の理由で松尾先生のファンだといえる必要がある。端的に言えば、将棋を勉強する必要があった。将棋を見れるようになれば、性癖とかいうあまりに雑な言葉以外に好きの理由が見つかるだろう。好きが覆ることはないんですけど、まともな理由付けは必要だ。それにここまでいろんな棋士の先生を見て、将棋を指せなくてもいいから見れるようにはなりたいと思っていた。本末転倒、将棋の棋士の方なのだから将棋を見て推せという感じだが、人から将棋そのものにも興味を持ったということで目をつぶってほしい。

 とりあえずようやく私は将棋のルール本を買って、ルールを覚えた。これで解説の符号の意味がわかるようになる。意味不明な記号の羅列が表面上は追いかけられるようになった。だいぶ進歩。ナンプレの代わりに詰め将棋を始める。たのしいのでよし。穴熊だけは組めるようにした。とりあえずひよことぴよぴよ戦ってみたら、最弱のひよこには勝てた。勝てれば楽しい。成長速度は微々たるものだが、たしかに無から有にはなった。

順位戦観戦

 10月ごろには、大体将棋界のシステムは理解した。将棋界にはいろいろな棋戦があるが、特に大がかりで皆が注目しているのの一つが順位戦だ。順位戦とは、棋士がA級からC級2組まで去年の成績でわかれてクラスごとに戦う棋戦である。A級1位が名人への挑戦権を得、他のクラスは各クラスの上位下位が入れ替わる。期間は4月から3月。一年単位。

 私が最初に好きになった山崎隆之八段と松尾歩八段はともにB級1組。上から2番目のクラスだ。鬼の棲み処と形容され、実力者がそろう場所。そして私が順位戦を見始めたとき、山崎八段は昇級戦線を走っていた。山崎隆之先生は、長年実力者と評されながらも未だA級昇級をしたことはなく、多くのファンからその昇級を熱望されていた。

 根本的に私は将棋を応援するのに向いていない。将棋だけではない、勝負事全般を見るのに向いていない。それは昔からそうだった。私は、一人を熱狂的に応援するというよりは、全員好きな中で特に好きな人に少し肩入れするタイプのオタクである。簡単に言えばみんな推し。そのうえで私は推しの負けを見るとつらくなってくる。負けてる推しは嫌いだというわけではなく、「負け」を見るとよくわからないぐちゃぐちゃな感情は湧いて出てきて、何もかもつらくなる。勝負の世界な以上勝敗があるのが当然なのに、負けるのは観たくないなんて端的にいってもアホな性分だが、生まれてこの方そうであるひ変えられない。極端な話、箱根駅伝でさえ2日の間に推しどころを見つけてしまえば自分には一切何の影響もないレースで勝手に心を消耗させるし、野球やらサッカーやらスポーツは一試合全部みていられなかった。まだそこまで強い推しがいないのが救いである。

 せめて、一人をひたすら推し続けいるなら勝ちを祈るだけで済むのでそう心も死ななかったと思う。しかし、私は「特に好きな人」がいることがあっても、その他もみんな好き。つまり、誰が負けているのも見たくなくなる。負けていい人なんていない。しかも界隈に浸かっていればいるほど、無限に「特に好きな人」は増えていく。今やB級1組なんてみーんな「特に好き」だといっても過言ではない。阿久津先生はオンラインサイン会で優しくしていただいて以来大大大ファンだし、木村先生行方先生はチーム酔象の仲良しっぷりにやられていた。ニコ生のゲーム配信で深浦一門箱推しになっていたし、近藤先生は山本先生のTwitterで勝手に好きになって、永瀬先生は私の好きなタイプの黒縁眼鏡なものだからそも推し度200%ぐらいの状態。久保先生はチーム振り飛車のTwitterをさかのぼってみているうちに気が付けばファンになっていたし、屋敷先生は人間将棋のイベントのお茶目な感じが刺さる。郷田先生はどっからどうみてもイケメンで優雅で好きでしかない。丸山先生はニコ生でニコニコお話しされているのをみて一瞬で惚れた。千田先生は(ここには全然書いていないが)二人目の性癖ドストライク棋士である。クールそうで熱く、眼鏡。関西弁。好き。山崎先生は最初好きになってからずっと最推しだし、松尾先生は言わずもがな。

 つまるところ無限に推しがいる私にとっては、軽率に推しと推しの対局が発生するのだ。そして、どちらかは負ける。「推しが負けるかもしれない状態」に耐えられず、勝手に心が追い込まれる。負けるかもしれない状況は当然勝つかもしれない状況なのだが。全然自分の人生にはなんら関係ないというのに、一オタクの心が勝手に死ぬ。あほである。自覚はある。だから私は勝負事を見るのに向いていない。

 10月には、何も考え無しにAbemaトーナメントを見ていたころよりずっと深く、将棋界が刺さっていた。特別ハイパード性癖な推しも出来た。勝ってほしい棋士が増えた。だからこそ、見れない。つらすぎる。しかし、一度刺さってしまったものを抜くこともできない。見なきゃいいという話なのだが、こんな弱小オタクでも課金はできる。イベントでもなんでも。課金している以上情報は入ってくる。知らないことなどできない。ついでに知らないのも知らないので心が耐えられなくなってくる。

 手を出してしまった以上、応援するしかないし見るしかない。リアルタイムでの勝負なんて見ていられないんだけれど、終わった後の「○○先生おめでとうございます!」ツイートを見て結果を知るのも怖い。特に順位戦は、そうだ。おそらく長年の山崎先生ファンの方も、今年のB級1組順位戦はドキドキしながら見守っていたことだと思うが、こんなクソにわかファンも勝手にドキドキしていた。ハマって以来初めての順位戦リアタイに際して私は悩んだ。悩んだ末に、まだリアルタイムを追える方がましだとおもって棋譜速報に課金した。

 課金したその次の日。10月31日。山崎先生は初めて今期の順位戦で負けた。相手は近藤誠也七段。順位戦での一敗は大きい。特に今期は永瀬拓矢王座がおなじくここまで全勝。今日の対局はまだ終わっていない。相手は松尾先生。終盤、永瀬王座が優勢だと棋譜コメントにはあった。ひえ。永瀬王座に全勝で昇級戦線を駆け抜けてほしい思いと、最推し松尾先生の勝利を望む気持ちがせめぎあって、虚無のまま見守る。

 松尾先生が勝った。明らかに玉に迫られていたはずだったが、一瞬の隙をついて王手をかけ、そのまま詰ました。王手をかけだした一手は、棋譜コメが「目覚ましい桂打ち」と評していた。どれだけ目覚ましいのかは私にはわからないが、その将棋はカッコいいなと思った。

 12月24日。クリスマスイブ。順位戦の日。それも山崎隆之vs永瀬拓矢。順位戦をトップで走る二人の、直接対決。そのほか三番手につけるのは郷田先生。これを勝った方は随分と昇級に近づく一局。永瀬王座と山崎先生どっちの昇級の方が見たいとか、ない。みんな昇級してくれ頼むから。そんなことはできないけど。山崎先生初A級も永瀬先生初A級も郷田先生のA級返り咲きも、もちろん他の先生の昇級もみたい。

 その将棋は山崎先生が勝った。山崎先生は昇級候補トップにつけた。

推しVS推し

 1月になった。1月14日。ついに来た。

 山崎隆之先生VS松尾歩先生の順位戦。最推しと最推しの戦いである。当たり前だが、おんなじB1なんだから当然ある。

 しかし、初めての推し同士の対局がこんな状況でなくても良いじゃないかとも思った。かたや昇級がかかっていて一敗もしづらく、かたや降級ラインが見えていて一勝すれば随分安泰になる状態。そんなのどっちも勝って欲しいに決まってる。別に昇級も降級もかかってなくても穏やかに見れるものではないが、しかしこんな状況設定は尚更メンタルが死ぬ。誰の得にも損にもならないんだがオタクは勝手に死ぬ。オタクが死んでも推しは勝たないが。
 朝からそわそわして、大学の講義を聞き流しながら棋譜速報を見た。素人目には、なんとも不思議な将棋だった。双方負けられないからだろうか。初心者には全くもって読み取れないかけ引きが続いていたんだと思う。ずいぶん遅い進行に感じた。

 それでも夜。気がつけば山崎先生がやや優勢になり、松尾先生の玉が入玉できるかという勝負になった。入玉してしまえば、もしかするも持将棋。入玉阻止して詰ませられれば山崎先生の勝ち。時間もない。ひえ。決着はちかづいている。

 ここで耐えられなくなって、風呂に逃げた。金曜日は朝からバイトなので、1時には寝たかったし何よりリアルタイムの攻防を見ていられなかった。勝つか負けるかわからないものを追いかけるしんどさに潰されてしまいそうだった。普段結末のわからないドラマでさえ見てられないのに、非創作物を楽しくエンターテインメントとして消費できるわけない。
 随分長風呂して、寝る準備をして、もう寝るしかなくなったというところで、棋譜速報を開いた。結果は、見事山崎先生が詰まして勝っていた。感情を殺して寝た。

 順位戦はあと二局。この時点で、雑に言えば山崎先生はマジック1。あと一勝。あるいは3敗の郷田先生か永瀬先生の負けで昇級が決まるようになっていた。二人が残りを全勝して、山崎先生が全敗すると、順位の関係上永瀬先生と郷田先生が昇級する。順位戦の順位システムは絶妙だ。もし山崎先生の順位が永瀬王座か郷田九段かどちらかより上であれば、この時点で昇級が確定していたが、順位が低いのでもつれこんでいる。次の対局はなんせよみんな勝つしかない。郷田真隆九段も永瀬拓矢王座も、昇級してほしい。負けてほしいなんて思うわけがない。

 そしてそろそろ降級戦線も明確になってきていた。候補は6人。4勝の久保先生、松尾先生、阿久津先生、丸山先生。3勝の行方先生。2勝の深浦先生。4勝メンバーは勝つと降級からはだいぶ安泰になる。

 それぞれ次の相手は山崎先生は久保先生。永瀬先生は行方先生。郷田先生は松尾先生。

 特に今回、最終戦に松尾阿久津戦が残っていた。両者がこの最終一つ手前で負けて、4勝のまま最終日に突入した場合、どちらかの4-8終わりが確定するため降級が非常に近づく。阿久津先生のことも特別推しな私にとっては、松尾阿久津戦は最高のカードなのだけれど場合によっては、負けたほうが降級確定みたいな状況になりえるしんどい状態だった。負けたほうが降級な推し同士の最終日はつらいです先生。まだ見たくないです。

 2月4日。順位戦最終局一個前。山崎久保戦は、初手9六歩という一年前のパックマン戦法の実戦例と同じ出だしで始まった。残念ながら一年前は将棋を見ていなかったので、私は一年前の棋譜を知らない。しかし、端歩を初手でつくのは珍しいことはさすがにわかる。それをすごいとか流石だとかそんなことを思う余裕すらなかった。

 順位戦は長い。長いのはわかっているのに、10分に一回くらいのペースで更新ボタンを押した。当然全然進まない。LINEを速レスするためにスマホ中毒になるとかそういう話があったが、そんなときよりずっとスマホを見ていた。木曜日一日中順位戦に頭を支配されてる。大学がすでに春休みでないものだから、物理的には無限に見ていられる。どうせ見たって何にもわからないけど、進まない棋譜を見続けた。それで世界の何が変わるでもなし。でも他に何も手につかない。

 山崎先生は負けた。派手な将棋だった。昇級は、郷田先生か永瀬先生が負けない限り最終局に持ち越し。最終局は昇級可能性を残す郷田先生。うわ。どちらかが勝てば昇級できる直接対決なんて、泣く。泣いてしまう。耐えられない。負けたら降級の対局も見たくないけど、これも無理。結果が見たくなくて死ぬかもしれない。永瀬王座は勝った。阿久津八段は負けた。残るは松尾郷田戦だけになった。

 松尾郷田戦も気がつけば、郷田先生が優勢だった。玉のスペースが狭そうにみえたので、クソ初心者の目から見ても郷田先生のが優勢だと思った。うえ、吐く。このままじゃ最終日の私は死ぬしかない。松尾先生には勝って降級回避してほしいし、郷田先生には勝って昇級可能性を残してほしい。むり。そんなことを思っている中で、松尾先生は飛車を回った。かっこいい一着だった。しかし、劣勢は劣勢。決着は近い。むりがすぎて、又風呂に逃げた。あしたもやっぱりバイトだし、寝る準備をして結果だけ確認するため棋譜速報を更新した。

 私が風呂に入っている間に、松尾先生は勝って、山崎先生は昇級が決まっいていた。更新ボタンをおして飛ばされた終局図、郷田先生が投了したというコメントを見て、驚いた私は急いで十数手巻き戻した。飛車を回ってからの攻防でどうやら逆転したらしく最後は後手玉に詰みが発生していた。勝ち。

 偶然にも、私の心の死の回避という意味ではある種もっともよい形で順位戦ラス前対局は終わった。最推し二人は昇級と残留を決め、最終局は山崎郷田戦も松尾阿久津戦もくそやば状態での対局になることはない(阿久津先生が負けると降級の可能性があるがそれでもまだましだ)。ただ郷田先生の今期の昇級はなくなった。感情が処理しきれない。山崎先生の初A級と、松尾先生の勝利&残留と、郷田先生の残留確定とをひっくるめて、いろんな感情がありすぎて、虚無。放心。Twitterでトレンド入りした「A級昇級」を眺めて、自分には直接関係ない出来事の嬉しさとと悔しさと辛さとなんかよくわからないそれをかみしめた。疲れた。

順位戦最終局

 何故これを今書いているかというと明日(もう日が回っているから今日だけれど)がB級1組順位戦最終局だからである。他のクラスはすべての対局がおわり、昇級降級が決定しているので、明日は真に今期順位戦の最終局。B級1組のもう一人の昇級者とあと二人の降級者が決まる。ついに、終わる。見届ける日がやってきた。

 また今回も私は勝手に心を消耗させて、スマホを握りしめているんだろう。誰も負けてほしくないなんて不可能なことを願いながらそっと棋譜中継を見続ける。多分来期も心に負担をかけるのを承知で、将棋を見ているだろう。いつか本当に辛くて耐えられなくて負けを見るぐらいなら死んだほうがましだと思うまで。いずれ心が死んでしまうときまで、せいぜい全力でお金を落としておこう。

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将棋がスキ

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