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汝が歩まんとするその道に

 W浅井カップ無事終了しました。
 大会を企画したのは3月頃、そこから何事もなくちゃんと開けてちゃんと終われるってすごいことだと思う。願わくはきてくださった皆様に存分にお楽しみいただけたことを祈りつつ。ご参加いただいた皆様、SNSで拡散してくださった皆様、ゲストの浅井裕介プロ浅井堂岐プロ、そして一緒に運営(の大半)をしてくださったあーしゃさん、本当にありがとうございました。以下、雑記を少し。


 早いもので浅井堂岐プロを応援しはじめて、一年が経過した。いつから応援しているのかというのは中々難しい問いなのだが、初めてバーゲストに行った日が2023年7月14日であったので、間違いなく一年は経過したといっていいと思う。今日は2024年7月15日なので。まだ一年しか応援していないのか、もっと長いと思っていた、と時々言われるが、私にとっては一年というのがそもそも長い。

 一年間応援し続けた推しは人生で、おそらく、初めてだ。

 もともと移り気で趣味が幅広くよくわからないものを見つけてくることには定評がある人間なので、だいたい半年もすれば別ジャンルに移動していた。その中で消したTwitterアカウントは数知れず、消してしまった一時の友人も数知れず。フォロワーとリアルで会っていたようなジャンルであっても、一時の熱狂で何万も課金したジャンルであっても興味がなくなればすぐ消した。もうその時名乗っていた名前も覚えていない。
 それは別に誰が悪いわけでも無くて、半年も続けていれば鬱々としたどうしようもなく浮上できない時期がかならずあって、そのときに衝動的にアカウントを消してそのままおさらば。二度と振り返らないがやたら知識だけが豊富なジャンルが出来上がる。未だに、いつか役に立つかもしれないけどすぐには触れられない情報を沢山抱えているのはそのせいだ。

 それが浅井堂岐プロに関しては一年間、アカウントにすれば一年半以上残りつづけているのだからこれは私にとっては大革命で、奇跡で、特異なことなのだ。

 何度もアカウントを消してしまおうと思ったことはあった。し、実際に定期的に消していた。それはほとんど私の精神状態と結びついていて、テンションが下がれば魅力的だったものが敵意を向けているように思えてしまって。そもそもnot for meなものが私への当てつけのように見え、ほんの少しの正論が私への攻撃に見え、私の呼ばれていない交友に嫉妬する。ただ、周りは何も変わっていないのに、私の見方一つで全てが良くなく見えているだけ。それでも、そんなものの積み重ねで今がとてつもなくしんどいと思う日がある。そういうときに、Twitterのアカウントを消してそのまま消えてなくなって記憶からも消すという作業を取ってきたから、過去に捨て去ったSNSアカウントの数は両手じゃ収まらないわけで。一旦、好きだった自分ごと死んで、辛いことをすべて捨て去って、生まれ変わって何もなかったことにして、そうやって人格ごと捨て去って楽しい記憶を封印するために、Twitterをやっている。

 でも時折、こんなことになるのならずっと熱量をもって追っていればよかったと後悔する日が来る。いいことでも、わるいことでも。

 いいことだとたとえば、山崎八段のタイトル挑戦だとか、マヂカルラブリーのM-1優勝だとかがある。私は確かに過去にその人を好きでいたのに、世間の誰かより先に見つけていたのに、それを主張するにはあまりにも熱がこもらない。今でも好きであることにはなんら変わりないのに、好きという枠だけあって中身はからっぽ。無理もないと思う、だって最近の彼を知らないのだから。私が知っている山崎隆之八段は、B級1組であと一勝でA級に上がれるという戦いに挑む山崎隆之だ。今のじゃない。その間の山ちゃんも、文字ではずっと追っていたはずなのに、心が向いていないから追いつけていない。タイトル挑戦は文字通り本当に本当にうれしいことであるのに、山ちゃんがすきな私はあの頃に置いて行かれたままだった。

 わるいことだとたとえば、藤岡康太騎手が亡くなった。人は死ぬ。私の好きな人は別に不死身ではないので突然に死ぬ。その訃報が世に出たとき、数日前からやばいかもしれないとわかっていたにもかかわらず、私はそれを信じていられなくて、献花に向かった。追悼で推しが愛されていることを浴びるなんて、二度としたくない体験だ。追悼という名の悲しみと愛情とが雪崩のように襲いかかってきては、いつか溺れて死んでしまいそうだった。亡くなったのだから、もう私にできることは何一つなくて、私以外の人にももう何もできない、何もかもが決まりきって全てが済んだ状態であることはわかっているけれど、どうして私は何もできなくなる前にもっと応援できなかったのだろうと思った。御冥福を祈るのが私にできる唯一の愛情表明であるなんて、これほど悲しいことはない。どうか、安らかに。

 人は死ぬ、それぐらいとっくに身に染みてわかっているのにどうして応援し続けられないのだろう。それは私が、推しが負けるのに耐えられないからだ。推しの負けている姿を直視していられないからだ。負けを見るのって、正直きつい。たとえ次は勝つかもしれなくても、明日は勝つかもしれなくても、推しがつらい目にあっているのを見続けるのはやっぱりきつい。

 わかっているのだ、麻雀は常に勝てるゲームなどではなくどんな強者であろうと負けることはあるものだと。そんな当たり前のことはわかっている。でも、見ているだけの私は耐えられない。自分はただ画面を眺めているだけなのに、心が潰されて苦しくて、目を逸らしてしまわねば息もできない。じゃあ見なきゃいいじゃないかと思われるだろうが、そこに勝負がある以上勝ち負けはある。勝ち負けはあることを知っているので、見なくたって結果だけで死ねるのだ。本当にばか。

 負けてしまっても素晴らしく盛り上がった良い対局を観られたら嬉しい、それが熱戦だと褒められているのは嬉しい、負けたけど強かったといわれるのも—それは私のトラウマなのだが—見た人に評価されていることが嬉しく思える。しかし、それでも負けは痛いのだ。心の柔いところがスリスリとやすりで削られていくような摩耗。推しの辛いところってどれだけ見ても慣れない。かつてよりは慣れたと思うのはどこか痛覚が鈍くなっただけで、やっぱり見られない。

 これでも人生23年目なので、他人様の勝ち負けでメンタルが左右されるのはどうなのとは常に思っている。いい加減、勝負の世界にハマるのやめたらいいんじゃないかとも思う。でも、どうしようもなく勝負の世界って魅力的だ。その一局の勝ち負けと、時には人生を、背負って、たった一つの選択をも悩んでる姿が魅力的じゃないわけがない。たとえ、その下した選択が、どちらに触れようとも。本人の悔しさに比べたら、話にならないようなちっぽけで意味の分からない感情だけど、私にとっての推しはそういうものだ。喜びも痛みもまるで自分のことのように揺れ動く。何かを肩代わりできるわけでもないのに。

 だから私は、推しの未来など想像して応援したことがなかった。未来を見る前に、私が息も出来ずに潰れてしまうから。未来を見ようとすればするほど目の前の負けがつらくなっていくから。それなのに、今の推しは未来を見せる。誰よりも明確に、数字にして。

 浅井堂岐プロが一年前に書いていたnoteを、覚えているだろうか。

 「Road to Mリーグ」

 そう題打たれたnoteは、本当に沢山拡散された。それは去年の浅井堂岐プロがそれだけMリーガーになることを期待されていた証である。

 私は目標を明確に言語化して、表明できる人を尊敬している。誰もが目標をもって邁進しているとしても、それを表明して実行するのってまた違う労力がいる。麻雀は絶対がないからこそ、結果は必ずついてくるとは限らない。ついでにこればかりは結果だけじゃない。選ばれなきゃいけない。それなのに今まで自分が走ってきた道は間違っていないとそう断言して、これまで以上に大々的にMリーガーになるために努力することを宣言して、世間から期待されて。なおその期待に潰されることなく輝ける浅井堂岐プロにどうしようもなく憧れた。ドラフトで選ばれなかったという後ろむきの事象がつい最近起きたばかりだというのに、そんな自信満々に、前向きに、力強く、「いつかはMリーガーになるために精力的に取り組んでいく」なんて、一年後の未来まで努力し"続ける"ことを約束した人が、他にいただろうか。いやいない。

 私は初めて、一年後のMリーグのドラフトで浅井堂岐プロの名が呼ばれているところを夢見た。それは多分険しい道のりだろうと想像しえたけれど、浅井堂岐プロならばきっと出来ると無責任にそう思った。彼がどこまでも前向きで明るい言葉を吐くからたぶん、そうなるのだと。

 だからこそ、ガッティーニャのカウンターの二つ先の席から「自信があるように見せているだけだよ」と笑いかけられたあの日、私は本当に浅井堂岐に心を奪われた。

 自信があることも決して嘘ではないと思う、でも堂々として見せているだけだとその日の彼はそういった。初めて会ったドラフトの夜から、片手で足りるぐらいには顔を合わせた日。きっと本人はとっくに忘れているだろうけれど私はその日のシチュエーションでさえ思いだせる。たしかに浅井堂岐プロは自己肯定感が低い方だと時々配信で溢すし、文字情報としては知っていた。それでも普段の言葉を素直に受け取っていたから、それが心からの自信である以外の可能性を考えたことがなかった。

 自信があるように見せかけるなんて、その覚悟が決まっていなければきっと出来ない。

「1 ヵ月後、半年後くじけそうになったときに振り返るための道標です。」

 思えばそう浅井堂岐プロはnoteでかいていた。つまりきっとくじけそうになる瞬間があるとわかっていたわけで。冷静に考えれば当然だ、一年は長い。一年間ずっとあるかもわからない一年後のドラフトのために努力することの果てしなさは私には想像もつかない。それなのにMリーガーという目標から目を逸らさないでいられるなんて、それが浅井堂岐プロの何よりの強さなんじゃないか。

 だから、彼が配信で「こっそりじゃなくて、SNSで積極的に応援してください」といったのを聞いたとき、私は勝手に一人で決めた。ならば私ができる限界まで世にある数を増やせばいいじゃない、熱を上げてみせればいいじゃない。私に大量ツイートより得意なことないんだから。結局記憶にも愛着にも単純接触回数にまさるものはない。見る回数が多ければ、皆自然と覚えていく。特にSNSでの単純接触回数を増やす方法は簡単だ。ただ、呟けばいいので。SNSのうるささなら任せてくれ、量ならいくらでも増やせるから。ツイートに関しては本当に苦も無くできてしまうからそのためだけではないけれど、結局広めたいなら沢山投稿して全てをRTするのが一番だ。数こそが力。数さえおおければそれだけ人の目に止まる可能性が上がる。対局の結果は何をしようと変えられない、ツモも配牌も変わることはない。変えられるのはただ、対局の反響だけだ。逆に言えばそれに関してはファンがいくらでもできることで。

 どうしても、Mリーガーになってほしかった。努力が報われてほしかった。この世には多分報われるべき努力をしている人がたくさんいる。沢山いるかもしれないけれど、私は浅井堂岐プロの努力がどうしても実ってほしかった。これはすべて、私のためだ。私が無責任に夢見たMリーガーの浅井堂岐の姿をどうしても実現してほしかったからだ。

 この世の誰よりもいち早く報われてもらうには、本人の努力だけじゃきっと足りない。この世には数え切れないほどの叶わなかった努力がある。ならば。いま私は浅井堂岐という素晴らしく格好良い人をみつけているのだから、さらにどこかの誰かに見つけてもらうために、大きな声を上げなくてはならない。浅井堂岐がMリーガーになっても、私の人生には何も変わりがない。藤岡佑介がG1を勝とうが、山崎隆之がタイトル挑戦しようが、私の人生は何も。それでも、誤解を恐れずに言うならば私の愛する人たちの人生が沢山喜びに溢れてほしいので。その努力が多くの人の目に止まってその声が大きくなるために、ほんの0.01でもきっかけを増やせるのであればやらない理由はない。

 笹崎氷織は麻雀に否、浅井堂岐に捧げる名前だ。浅井堂岐ファンの名前だ。それ以上でも以下でもない。推しとともに進む一喜一憂のそのすべてをこの一年笹崎氷織にはぶつけてきた。応援の言葉を認めるのも随分上手になった。文章に愛を込めるのは難しい、それでも丁寧に見せてきたつもりだ。

 6月に入ってからどうも挙動が変だから、もしかして、なんて淡い期待はしていたけれど、まさか、浅井堂岐プロがMリーガーになったことがこんなに嬉しいとは思っていなかった。二週間経っても、まだ昨日のことのように嬉しい。どころか日に日に増してきている気さえする。思えば私はすぐジャンル移動するから、全力で推している間に推しの大はっぴーいべんとに立ち会うことなんて、本当にまれなのだ。

 一年前本当に無責任に夢見た姿が、実現されている。それを私もリアルタイムで見届けられたことが、本当にうれしい。私の見ている画面で、その瞬間、推しはMリーガーになった。「Mリーガーになってファンが増えたら、私は別の人に移るかも」なんて冗談めかしていったことがある。その時はきっとそうなるだろうと本気で思っていた。でも、無理だ。こんなに魅力的な人が、これからMリーグに立つというのに、どうしてその姿から目を逸らすことができようか。

 今は開幕式が楽しみで仕方がない。ただでさえ好きでずっとみていたMリーグの舞台に最高の推しが立つのだから。きっとまた、辛いと思ってしまう日もあるだろうけれど、それもきっと追いかけよう。こんな喜びに立ち会わせてくれたその感謝をどうか、少しでも伝えられたらいい。

 私を浅井堂岐プロに出会わせてくれた、過去の全てにありったけの感謝を。私の夢を叶えてくれた浅井堂岐プロに、いま持てる限りすべての愛を。きっとまだ感謝の言葉は尽くし足りない。だからこれからも夢を追うので。

 汝が歩まんとするその道に、沢山の祝福があらんことを。


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