一人で幸せになる方法がわからない

生まれてこの方、恵まれていたこともあるが、ずーーーーっと心が沈んだまま生きてきた人間です。
昨日は自分が無いと言う記事を書いたけれどそれに関連して
自分が幸せだなと感じる時ですら、自分がない私であるということも思ったので書くことにした。
学生時代から遊びの空間ですら、ずっと他人の顔色を伺い、他人の顔色のために楽しそうなフリをずっとしてきた結果、自分が本当に楽しめるものはなんなのかわからなくなってしまった。
結局、自分の価値においても、人より上回っているか、人より良いものを着ているか、人より優れた人と付き合っているか、人より良い会社に勤めているか、そういう価値観も持ちつつ、対して、清貧であるか、謙虚であるか、弱者を気にかけているかというわけのわからない正義感も発動していて、何に価値を置けばよいのかわからず、結果、
自分の価値観や本当の幸せがなんなのかわからなくなってしまった。
社会に出て、私が就職した業界では年収は良いのだが社会人デビューの人が多く低年収の人を馬鹿にしたり、本当に気持ちが悪い人ばかりだった。
でも、お金がないと困る。そういう矛盾が生まれてきて、本当に苦しかった。

結局、人生で幸せになろうと思ったら他人に依存しない一人で楽しめる何かを見つけないといけないんだわな。
自分がない分、好奇心は旺盛でいくつか手を出してはきたけれど
どっぷりはまって継続出来ているものがなにもない。
大体、ちょっとお金がかかって教えてくれて足代わりをしてくれる人がいてくれたおかげで身についたものが結構ある。結局この時も目の前の人を喜ばせていることがわたしの幸せだったんだろうなと思う。
人間関係も方程式みたいな、パターン化されていて、しかも簡単なものしかわからない。
時事問題を見るにしても結局素人のコメントとかを見てしまってドット感情が疲れる。
今はこうやって何もない自分の揺れる気分を文字に打っているときが幸せなんだろうか。一番無心になれて、少し心が落ち着く。
ほんま、つまらん女やな。

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