接客をする側、される側の心構え

数日前に対面接客の良さについて書いたが、今日は真逆の話。
今日は一番イヤなタイプの人間に接客され、不快な体験をした。
気の強い女店員である。
教養のない気の強い女店員は、自分の意思で他人を動かしたい欲求が強いので質問の意図を正確に読み取れない、真心のある接客ができない、
突っ走るあまり基本的なコンプライアンス意識が抜け落ちていることが多い。
あるサービスについて、加入するかは自由意思で決定できるものを加入は必須であると言ったり
事前に説明せずこちらの同意を得ることなく加入登録設定をしていたり、勝手に購入機器の設定をしたり、重要事項説明の動画視聴中に話しかけてきたり、もう、倫理観ゼロで本当に怖かった。
散々、低コンプラな対応しておきながら、最後は「商品を出口までお持ちします」って、ほんま笑てもうたわ。
自分の体験から、不自然なまつげエクステをしている人間には身構えてしまう。


自分が接客する側になった時にどんな相手であっても労りの真心を持って
接客するにはどうすれば良いか考えてみた。
私ならまずはこう想像しようと思う。
接客している客が大病を患い、劣悪な家庭環境で育ち、明日亡くなってしまう人間かもしれないと。
いくら極悪でもそんな人間、邪険にできないし、どうにかして損しないサービスを提供しようとするだろう。しかもそれで信用を得られればリピートや高評価の口コミにもつながり一石二鳥だ。

同じように接客シーンで不快な思いを多くしてきたのが、病院の受付、歯科医院での接客である。
患者という絶対的弱者を相手にしているのに、私の出会って来た病院の従業員である彼女らは女性でありながらよくもまああんなに強気になれるなと思う。たまに、優しい人に出会うが、それだけで癒されて治癒力も高まる気がする。
男性の店員さんではあまりみかけないが、なぜなんだろう。
お育ちなのだろうか。

しかし、よくよく考えてみると、
自分が接客される側であってもされる側になったとしても同じ考えを持った方が良いのかもしれない。
あの最低な接客をする女性店員たちは劣悪な家庭環境で育ち、もてなされるという立場にもなったこともなく、最悪なプライベートを過ごし恵まれない人生を生きているのだという設定の想像してみる。
そうなるとこちらとしては、憤慨するよりも同情するしかなくなりストレスが少しでも減る。
もしくはそこまで対人間としての心を込めなくても良いのかもしれない。
壊れたロボットだと思い、最低限の敬語だけ使っておけば良いか。
たかが〇〇〇〇。

近年カスハラが問題視されているが、クレーム処理してきた身としては
大体、顧客が怒り出すときは、頭の悪い店員のちょっとしたマウンティング、説明不足、語彙不足、聞き手の理解不足、傾聴不足である。

まあ、とにかくお金にからむ話をする時はボイスレコーダーを持って行くこと。
高圧的なコンプライアンス意識の低い店員が1日でも一掃され、
真心のある人に置き換わっていくなど
対価を払う側が一切の不快感を感じない世の中になることを望む。

ほんと、某航空会社の一流の接客を一度受けてしまうと、
一般的な店での接客が苦痛になってしまうアナ~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?