ひまわりコアラ

以前は保育園や児童館で働いていましたが、親の介護のためやめました。そして今は60代で夫…

ひまわりコアラ

以前は保育園や児童館で働いていましたが、親の介護のためやめました。そして今は60代で夫を亡くし1人暮らしです。 人生何が起きるかわからない、日々終わりに近づいていると思うとやりたいことをどんどん見つけたいですね。 死ぬまでにやりたいことの1つはこあらを抱っこしたい!

最近の記事

自宅へ帰って1週間痛みが強くなり急遽受診する⑦

少しでも食べられるように!良くなるように願いましたが 思ったようには食べられず 痛みも強くなってきました 帰っきて3日目くらいには 痛みで眠れなくなりました 右上の胸のあたりにある大きなこぶのようになっているガンが 当たると痛いので左側をずっと下にして寝ていて 褥瘡ができないか心配でなりませんでした 4日目には「難儀だ 死にたい」 というようになり 本当にショックでした 明るかった夫がそんなことを言うなんて… 上手く何か言ってあげることができませんでした 少しでも

    • 無事自宅へ帰る!在宅の生活や食事|⑥

      様々な準備を終え 当日は息子にも手伝ってもらい 先生や看護師さんたちに挨拶をし 「もう帰ってこないからねー」とすこし涙ぐみながら お別れしていました 本当にそうだったらどんなに良かったか… 思い出すと悲しみがよみがえります 今もずー―――っと悲しいままですけどね 福祉タクシーを頼んで 車いすのまま乗り込み酸素ボンベも装着して 夫も自宅へ帰ることができ大喜び! 私も無事終えてホッと一息という所でした はじめは夫も家に帰ってきた安心感とうれしさで 少し食欲も出てきたよう

      • 在宅介護への準備|病院編⑤

        右肺は真っ白になっていたところが 放射線治療で気道が出てきたので 呼吸もちょっとはラクになったようでした 本当に良かった! ちょっと落ち着いている間に 「自宅へ戻りますか」と主治医から話がありました これには夫は頑張って良かった!と思ったようでした 今思えば、先がわからないので今のうちに自宅へと 考えてくれたのだと思います それでも自宅へ帰れたのは良かったです 速攻でケアマネさんに連絡して準備したので 病院側の予定が間に合わないくらいでした ゆっくりしてその間に進

        • 在宅介護へ帰る準備をバタバタとする|自宅編④

          ”1回目の抗がん剤治療が終わった後自宅へ帰り通院する” という予定が、効果がなかったことから自宅へは帰れず 夫のショックは大きかった が、いつでも帰れるように とりあえず最初の予定に合わせて家の掃除を始めました 呼吸器の病気ですから、部屋のほこりやカビがなるべくないように 窓の桟をきれいにしたり 照明やエアコンの掃除など 日頃さぼっていたので頑張って掃除しました 2階が寝室だったので重点的に寝室だけやっていたのですが 県外にいる娘から 「お父さん2階に上がる体力大丈

        自宅へ帰って1週間痛みが強くなり急遽受診する⑦

          気道がふさがり放射線治療を提案される③

          抗がん剤の治療があまり効果が出ず 右肺は真っ白になって気道をふさぐような状態 呼吸が苦しくなっていました 主治医からの提案で 「右肺の部分だけ放射線で焼き、気道を確保できるようにやってみますか」 というような事を言われました 「しかし成功するかどうかわからない」 「副作用でさらに悪くなるかもしれない」 「放射線医師がOKするかどうかわからないので診察を受けてほしい」 というような説明でした 夫も迷ったようですが これ以外にないと言われるとやるしかなかったんでしょう 私

          気道がふさがり放射線治療を提案される③

          抗がん剤の効果はなく食事療法を考えた心の中は嵐②

          から元気でいた夫も 心中はあらしが吹きまくっていたと思う 抗がん剤の効果もあまり出なかったんです 私も毎日病院の行きかえり道 運転しながら号泣していました 家に帰っても不安で不安でしょうがなく号泣 こんなに急で進みが早いことに気持ちが追い付けなかった 私の心の中も嵐 面会中やLINEではなるべく日常のなんてことない話や ステージ4でも回復した人の話とか 余命宣告されても食事療法で回復したとか このお茶ががんに効くとか… 希望が持てるような話をしていました そうなるよう

          抗がん剤の効果はなく食事療法を考えた心の中は嵐②

          非小細胞肺がんの診断を受けた夫はすでにステージ4だった①

          2023年5月ころかな、もっと前だったろうか タバコを吸うから普段から咳は出ていたけど なんか咳が長すぎると思って 医者に行け行けと言ってやっと行ったのが6月初め 普段かかりつけ医がなかったので 近くで呼吸器科のクリニックを探して行った そこでは全然体を見ることなくただ薬だけを処方された 聴診器を当てれば分かっただろうし 年齢を考えても(60代)レントゲンくらい撮っても良いと思うんだけど 医者も信用できない人がいるんだと改めて思った その2週間後くらいか、やはり治らな

          非小細胞肺がんの診断を受けた夫はすでにステージ4だった①

          はじめまして

          こんにちは! ひまわりコアラと言います 60代からブログを始めて4年くらいたち、大して稼げもしなかったけど 書いたり調べたりは好きだったので続いていました しかし… 2023年の6月夫の咳がなんかおかしいので 病院に行ったらすでにステージ4でした それからが怒涛の日々で まさかまさかという感じで病状は進み 願い叶わず4か月もたたずに逝ってしまいました 私も家族も、夫本人も誰も予想もしない 肺がんと分かっても今の時代治るだろう 闘病するにしても何年かもってくれると思って