鳥取砂丘にホテルを作ろうとしてる数学教師の話 〜先生になったんだけど…〜
誰もが知っている日本一のすなば「鳥取砂丘」。
そこで過ごす特別な一夜をみなさまにご提供する「サンドホテルプロジェクト」の実現に向けてボクは動き出しました。
前回はサンドホテルを考え始めたきっかけをお話したのですが、今回はボクのことをお話させていただきたいと思います。
『ワクワク』は父から
今は鳥取で高校の数学教師をしているボクですが、
思えば、ボクの人生は『ワクワク』したものはとりあえずやってみたいというものでした。
新しいゲームが出ればとりあえずやってみたい。
新しい遊び、とりあえず参加したい。
気になる知識、学んでみたい。
起業、やりたい。
ハマったものは寝る間も惜しんでやってきました。
これは親父の影響だと思います。
親父は教師でありながら気付けば陶芸していたり、庭にプールをつくってみたり、紫陽花畑を運用してみたり、突然ヤギを飼い出したり。
ちなみにヤギの名前は「メェ」(芸がない。。。)。
数学教師になったこと、残念だったこと
そんな源流がありながらも現実的に生活していくことも考え、得意だった数学を生かす道として、教師になるための大学を選びました。
そこで出会ったのが「数学教育」です。
今までは数学を解くことが好き(得意)だったのですが、大学でいかに数学を教えていくか、つまり、どのような問題だと生徒の活動が活性化するか、そのためにどう授業をデザインするか、どのように支援をするか、という方法に出会い、その面白さに『ワクワク』しました。
教えてくださる先生が素晴らしかったんです。
そして、数学教育の本質は「問題解決」だったので、そこに『ワクワク』しました。だから、もっと学びたいと、大学院への進学も決意し、念願の中学教師になることができました。
そうやって学んだ「数学教育を活かすぞ!」と意気込んで中学校の先生となったのですが、いざ現場に出てみると、研究してきたこと現場とのあまりのギャップに愕然としました。
中学校内には教科教育について議論できる人はほとんどおらず、仕事は生徒指導と事務処理がほとんど。
初任者指導についてくださった先生からは
「君の言ってることは理想論だよ」
と、切り捨てられます。
しかし、実際に研究で学んだ事を実践すれば生徒はちゃんと変わってくれるのを実感していました。
それ以降、その先生は何も言わなくなりました。
公立中学校の先生での生活は、ワクワクすることもありましたが、ほとんどが「こんなことをやるために先生になったんじゃないんだけどな…」という毎日。
「じゃぁ辞めればいいじゃん」って思われるかもしれませんが、その当時は、就職と同時に結婚、妻の妊娠、そして、学校という世界しか知らなかったため、他の職業のことがわからない。辞めようにも選択肢がない。
正確には、辞める勇気がありませんでした。
そうやってズルズルと公立中学校の先生をやっていました。
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