当たり前のこと

2020年、2月頃。
世界中がパンデミックに陥り、それまで当たり前に出来ていたことの多くが出来なくなった。
当時大学生だったわたしは、オーケストラの練習も演奏会も3年前から予定していたヨーロッパツアーも何もかもが吹き飛び、全面的にオンラインに切り替わった就活をなんとなくやりながら過ごすしかなかった。
緊急事態宣言が出て、解除され、また発令、を繰り返し、その度に次の演奏会が出来ることになったりまた中止になったりした。みんなの士気を保ち、繋ぎ止めておくためによくわからないオンラインイベントをいくつも企画しなければならず、そのたびつまらないと各方面からブーイングを受けたりした。

ありふれた辛さ、本当に多くの人が経験した辛さだと思う。国民的アイドルの嵐が最終ライブを無観客でやっているのを観たときは、本当に全員がどうしようもない状況なんだなと変に腑に落ちた。全員が我慢しなければならないのだから、いつまでも自分のことばかり引き摺って悔しがっていたって仕方がないとも思った。
でも、今このときまで、あの時期のことをこうして振り返って言語化する気にもなれないほど、それはわたしにとって薄暗い記憶になった。状況がやっと少しだけ改善してきた今、ようやく整理して吐き出す気にもなってきたけれど、まさにその渦中にいるときにはあらゆる事実を直視することすら耐えられなかったのだ。

国や大学から制限されるという意味で、例えば対面の授業など当たり前だったことの多くができなくなったが、わたしにとっては別の意味でもできなくなったことがあった。
人の顔の下半分を見るのも、見られるのも怖くなり、誰かと外食することが難しくなってしまった。マスクから見えている上半分だけでコミュニケーションをとるようになったせいで、感情が分かりやすい下半分が剥き出しになることが恐ろしいと感じるようになった。友人とランチの約束をした日には、時間が近づくとだんだん動悸がしてきて過呼吸気味になり、目が回った。息がうまくできないからマスクを外したい、でもそれはいけないんじゃないか、そんなふうにぼんやりと考えながらお店の周りをぐるぐる回った。なんとかお店に入っても、顔だけ熱があるみたいに火照っている感覚が酷くて何度もお手洗いに立った。
今まで経験したことがない自分の状態に酷く戸惑った。誰にも打ち明けられず、自分でも向き合うことができず、ただそれまで当たり前だったことができなくなってしまった自分が怖かった。もうずっとこのままかもしれないな、と思った。

結局その後もその事実を直視することはなくなんとか日々をやり過ごし、今はだいぶ落ち着いている。あれは一際不安定な世の情勢と連動したものだったのか、よくわかっていない。
今でもふとそのときの感覚を思い出しそうになるときがある。自分で思っていたより、自分という存在が脆くて壊れやすいものなんじゃないかと感じるには十分な出来事だった。

この約3年間、たくさんの人がそれぞれに辛さや我慢を抱えて生きていたんだろうなと思う。
多くの人のそういうものが、今後整理されてひとつずつでも快方に向かっていきますように。

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