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インドで障害者自助具技術を論じるカンファレンスが開かれていた

本業であるブータンでの仕事を差し置いて、インドネシア、ネパールの訪問レポートをお送りしてきました。その最後を飾るのは、カトマンズ(ネパール)のあとに向かったチェンナイ(インド)で、10月5日(木)から7日(金)まで開催された、「エンパワー(ENPOWER)」というカンファレンスのレポートです。



1.エンパワー・カンファレンスとは?

エンパワー・カンファレンスは、インドで障害者自助具の技術開発や利用に携わる企業家、研究者、学生、障害当事者、リハビリ関係者、医療関係者、政策立案者、市民社会組織関係者、投資家、ファブスペース関係者などが、一堂に会するフォーラムです。インド国内各地で持ち回り開催が行われているようで、6回目となる今年は、インド工科大学マドラス校リサーチパーク(IITMRP)がホストしました。(ちなみに、来年のENPOWER2024は、ケララ州トリバンドラムのNISH(National Institute of Speech and Hearing)がホストすることが決まっています。)

主催者発表によると、今回のカンファレンス参加者は650人以上にのぼったそうです。聞けば皆さんデリーやハイデラバード、ゴア、グジャラート、プネ、ムンバイ、カルナタカなど、インド全国から来られており、しかも毎回来られているという方も多く、認知度の高さがうかがえます。また、テーマは自助具技術(Assistive Technology)で、起業をめざす若者たちがそこに大きな市場に成長する可能性を見出している様子がうかがえました。

カンファレンスは、初日は90分単位から半日単位、ひいては1日がかりもあるワークショップで、時間が長いものほどハンズオンで実践が伴うような要素を含んでいました。初日夕方に開会式が行われたあと、2日目、3日目は、プレナリーでの基調報告やパネル討論、これに2つのパラレルセッションでの主催者側招聘者による報告と研究者による研究報告、場外では全国の予選から勝ち抜いてきた学生チームによるファブチャレンジ成果品の展示やポスター展示、さらにはインドから生まれた自助具技術のスタートアップの展示などが行われていました。

トークには必ず手話がついた。インド人のマシンガン英語を、よく手話通訳できるものだと驚いた

2.ブータンからの参加の背景

今年のカンファレンスには、ブータンとフィリピンから訪問団が派遣されました。フィリピンの方は、ケソンのサント・トーマス大学のコミュニティ開発の研究者や実践者の方々で`、ブータンからの派遣団は、米国に拠点を置く「ブータン財団(Bhutan Foundation)」に声がかかり、そこからブータン国内の障害児特別教育指定校(SENスクール)やファブスペースに声がかけられた結果、タシヤンツェ県のSENスクールの先生と、スーパーファブラボ、それに王立ブータン大学科学技術単科大学(CST)が出席了承しました。

CSTから正式な訪問団に加わったのが、ファブラボCSTのマネージャーでもあるカルマ・ケザン先生でした。その彼女から「ファブラボCSTの利用者も連れて行けないか」と私に相談があり、過去に障害児自助具のメイカソンやFab Bhutan Challengeに参加経験のある学生2人を選抜し、これを引率する形で、テンジン君と私も訪問団に加わりました。同様にスーパーファブラボも自費で1名追加がありましたが、このスーパーファブラボからの参加者2人はいずれもCSTの卒業生で、全体的にCSTの色の強い訪問団でした。

ブータン派遣団の勢ぞろい

では、なぜフィリピンとブータンだったのかというと、米国マサチューセッツ州にあるパーキンス盲学校(Perkins School of the Blind)からのご指名だったそうです。フィリピンではパーキンス盲学校の支部があり、一方のブータンは、インド国内活動拠点の1つ、チェンナイ支部の方からのお誘いでした。パーキンス盲学校って、ヘレン・ケラーやサリバン先生も輩出した伝統ある盲学校ですね。

この方はナミタ・ジョセフさんといって、ブータンのSENスクールや僧院、ムンセリン聾学校(タシガン県カリン)、ワンセル盲学校(パロ県ドゥゲル)などを訪問され、障害者団体とのネットワークをすでにお持ちの方でした。ちなみに「青年の船」の第2期の参加者で、横浜の盲学校ともつながりがある方だとうかがいました。

ナミタさんから説明を受けるブータン派遣団

3.カンファレンス全体を通したメッセージとは?

なにぶんインド人のマシンガントークでしたので、どこまで正しく理解できたのか自信がありませんが、ジュネーブのWHO本部から来られた、WHOの自助具技術担当チームの方がおっしゃっていた「市場性のある自助具技術」というのが前提となっていた感がありました。つまり、伝統的にCSO/NGOのドメインでの活動が主であった自助具の開発と普及も、さらにラボレベルでのプロトタイピングから生産への流れのスケールアップが必要で、そこにリサーチパークやスタートアップの果たせる役割があるということです。これは、今回の主催がIITMRPだったことからも理解できます。

しかし、それだけではせっかくの自助具が利用者には届かない。すでに利用できる技術はそこにはあるのに、使われない。それはなぜかといえば、普及啓発(Awareness)や利用促進(Training)にまだ課題があるからであり、さらに届ける側にも利用者が手を出しやすい水準(Affordable)にまで、コストを下げる努力が必要だと指摘されていました。

しかし、チャリティ的マインドセットから市場志向のマインドセットへの転換を求められているとはいえ、自助具技術の商品化には、主にリハビリや医療従事者、障害当事者の側から強い「注文」もありました。その1つは、エンジニアによる技術先行型の研究と臨床技術者側の研究やリハビリ分野の研究者との溝であり、もう1つは、共創デザイン(Co-design)と言いつつ障害当事者を技術検証の協力者としてしか見なしていない、障害当事者自身が技術開発者になるべきとの意見でした。現在市場に出回っている自助具技術のうち、障害当事者ご本人が技術開発したものは25%ぐらいだそうで、これの比率を上げる努力が求められるとの指摘もありました。

あとは、これは個人的には物足りないと感じた点ですが、肢体障害や視覚・聴覚障害といった、比較的アプローチがしやすい領域での研究開発やスタートアップ企業は多いのがわかりましたが、神経内科系や知的障害、自閉症スペクトラム障害、多動症などに取り組んだものは少なく、ある発表者は、「それは対象外」と切り捨てる発言をしていたのに少しがっかりしました。

ブータンでは、視覚・聴覚障害を持つ子どもはムンセリン盲学校やワンセル聾学校に通っているので、地元のSENスクールにいる障害児の多くは、自閉症や多動症の子なのですが…。


4.参加セッション(その1)-作業療法士のサハ教授

ブータンから9人もの派遣団がいて、私以外の8人はほとんど同じセッションに出るという興味深い行動パターンも観察できました。あまのじゃくな私は、こういう時は逆張りの行動をとり、彼らが出なかったセッションにも何かしら重要なものが含まれているかもと考え、裏日程で動きました。

その意味では、彼らが見たものと私が見ていたものには違いもあります。特に大きいのは、全体的にはハイテクを駆使した自助具技術のプレゼンが多く、そういうのに思い切り惹かれていたブータン派遣団に対し、私が障害当事者が開発の主体となる共創デザインのプロセスを強調するようなセッションにばかり出て、メッセージを拾っていたことでしょう。

ここからは、私が出席したセッションのうち、特に印象深かったものについていくつかご紹介していきます。

①Hands-on Workshop "Designing of Low-Tech Assistive Devices to Enhance the Functionality of a Conpromized Hand"
Invited Talk "A Journey to Restore Hand Functions Using Indigenously Developed Frugal Devices: Manipal Model"
この2つは、カルナタカ州マニパルにある「マニパル高等教育アカデミー(MAHE)」の作業療法学科のショーヴァン・サハ教授がリードしました。サハ教授は、WHOの策定した自助技術ガイドラインの策定チームのメンバーでもあり、聞けばブータンの作業療法士の指導をオンラインで行った経験もおありだとのことでした。

①の方は初日のハンズオン・ワークショップで、1日がかりの最も長いワークショップでした。その分、いろいろつまみ食いしてみたい他のブータン派遣団のメンバーは敬遠しました。一方で、終日ワークショップに出ていれば参加者間で顔見知りにもなれるし、サハ教授にも顔を覚えてもらえると私は考え、あえてこのセッションを選びました。②はその復習のようなトークセッションでしたが、これにブータンから出ていたのも私1人でした。

ワークショップには、2人のニードノウアが呼ばれていました。1人目はIITMRPの入居しているハードウェアスタートアップの従業員で、旋盤操作していてけがを負い、右手中指の機能が麻痺してしまった方です。そしてもう1人は、先天的な神経系の障害で左手が麻痺している10歳の男の子です。この子のお母さんは、彼に1人でスプーンを使って食事をとれるようになってもらえればと考えていました。

ワークショップの参加者は大きくエンジニアと作業療法士に分かれていました。サハ教授が私たちに求めたのは、手を動かすという行為が、いくつかの体の動きがシンクロして起きているということへの理解でした。エンジニア的にはサーボモーターでアームを動かせば複雑な動きも再現できると考えがちですが、実際の動きはもっと複雑だといいます。また、ペンを持って字を書くという行為も、単にペンを持つだけだったらペンホルダーでできますが、これに力を加えて字を書くためのペンを動かすには、3点でペンを支える必要があると気付かされました。サハ教授はこれを、「静的安定(Static Stability)」と「動的安定(Dynamic Stability)」という言葉で表現していました。

加えて、右手が使えないとしたら、何に不自由が生じるのか、私たちはニードノウアの日常生活に照らして、徹底的に考えさせられました。例えば、IITMRPで働く1人目のニードノウアに関しては、エンジニア的には、「キーボードを打つこと」とか「携帯でのアプリ操作」とか、自分自身の生活に照らしたアイデアにかなり偏る傾向がありました。しかし、実際にこのニードノウアの日常に当てはめると、①ものを書くこと、②スパナなどの工具を握ること、③荷物を運ぶこと、の3つが優先度が高いといいます。

こうして優先順位付けがすむと、次はシミュレーションに入るわけですが、そこでサハ教授が強調されたのは、「すぐに結果を持ち帰らせること」でした。ニードノウアは何かが得られることを期待してこの場に来ているのだから、「数日後に出来上がる」とか悠長なことを言うのではなく、この部屋を出る時にすぐに持ち帰ることができる成果品をその場で作れと仰っていました。

そうすると、実は3Dプリント出力も場合によっては避けた方がいいことになります。もっとクイックに成果を出すには、手作業で作る方が優れていると教授は強調されました。教授はワークショップで、「アクアプラス」という熱可塑性プラスチック板をお湯に浸したりヒートガンで熱風を当てたりして変形させるという方法を私たちの体験させて下さいました。熱可塑性プラスチックといったら、ユニチカとファブラボ品川が共同開発した「TRF+H」というフィラメントをすぐに私は連想します。教授はご存知ではないようでしたが、TRF+Hも最初は板状に出力するので、アクアプラスと機能は似ていると思い、ご紹介させていただきました。(会場でも、TRF+Hに興味を持った学生がいました。)

このようにサハ教授は、①質素な自助具技術(Frugal)、②機能するソリューション(functional solution)をその場で持ち帰らせる、③現地で入手可能な材料の活用(homegrown mechanism)などを強調されました。また、ワークショップの建付けからも想像できる通り、エンジニアと作業療法士が一緒に共創デザインに加われというメッセージも秘められていたと思います。

ただ、ブータンの場合は作業療法士が2人しかおらず(サハ教授は「6人だ」と主張されていましたが…)、こんなワークショップの建付けをセットするのは難しいと思います。むしろ、エンジニアに作業療法士的マインドセットを持ってもらうよう働きかける仕掛けを考えた方がいいのではないか―――そんなことを考えさせられたセッションでした。

サハ教授のハンズオン・ワークショップの様子
午後の部はアクアプラスの性質理解からはじまった
2日目のサハ教授の発表、いい復習になった

5.参加セッション(その2)-Project Discovery

③Invited Talk "Making an Impact on the Lives by Merging Grassroots Innovation with DISH (Disability Innovation Solution Hub)"
次に私が強い共感を覚えたのは、EnAble IndiaというNPOの方が紹介していた、「Project Discovery」という取組みでした。これは、障害当事者の方々が自分で工夫して行った自助の取組みをYouTube動画で共有するプラットフォームのようです。4,000件以上の草の根イノベーションがアップされ、25州すべてがカバーされています。

ナレーションのほとんどが現地語なので、動画を見て想像するしかないのですが、私がこのプレゼンに感動を覚えたのは、テック系の自助具技術よりも、草の根レベルでの障害当事者によるイノベーションが重視されている点でした。前述のサハ教授もこのセッションは聴いておられましたが、ファブを超えて「これだよ、これ」という思いで話を聴きました。

動画掲載したところ、再生数がとんでもない数にのぼったケースもあったようで、それをアップした女の子は、「こんなに自分の取り組んだことが参考になるんだったら、もっと頑張るわ」と言って次のイノベーション創出に取り組みはじめたのだそうです。

発表では、体の麻痺で動けなくなった妻を外にリフレッシュに連れ出すために、グジャラート州の人が作った自家製のサイドカーがオディシャ州の障害者家族の目にとまり、わざわざアーメダバードまで製作の相談に出かけ、同地で製作してオディシャまで運転して持って帰ったエピソードが紹介されました。動画コンテンツが人びとのエンパワーメントにつながり、ひいてはその開発者の尊厳の向上にもつながったというケースです。

それともう1つ、このセッションがスゴイと思ったのは、視覚障害を持った方の出席も考え、発表者が当日の服装から風貌まで最初に口頭で紹介し、各スライドも何が書かれているか、すべて言葉にして説明していたことでした。情報保証の本当にあるべき姿を見せられた気がしました。また、写真や図といったイメージ情報が、情報保証上あまりよいメディアとはいえない点も痛感させられました。

EnAble Indiaから来られたお二人の方のフロアとの意見交換の様子

6.参加セッション(その3)-必要な道具はもうそこにある

④Keynote "Assistive Technology Lessons from a Billion Devices: Insight from Android Screen Reader used in India"
⑤Keynote "Hussle-Free STEM Accessibility"
⑥Invited Talk "AT Use Among Deafblind Adults in India - How Can We Do Better?"

この3つは2日目の午前中に行われたもので、④と⑤は全体セッションでの基調講演、⑥はパラレルセッションで、SEDBというインドのNGOの視聴覚多重障害の方が、カナダで足止めを喰ってカンファレンスに出席できなくなり、代わりにパーキンス盲学校のナミタさんが代読したものでした。

④はカンファレンスのメインスポンサーであるグーグル社の方が、同社のAndroid携帯に装備されているスクリーンリーダーを、利用者がどれくらい利用しているのか状況を報告したもので、⑤は英バーミンガム大学の研究者が、理数科の図表表現に対する視覚障害者のアクセシビリティ向上の方策を論じたものでした。

面白かったのは、この3つの講演・報告のメッセージが似通ったものだった点です。④と⑤は、すでに開発・実装されているテクノロジーやテキスト言語でも十分対応可能なのに、実は十分に利用されていないという現状が指摘されました。いずれについても、ツールはすでにあるからには、課題なのは普及啓発(Awareness)と訓練研修(Training)だと主張されていました。

続く⑥も、ITエンジニアで徐々に視覚と聴覚を失っていかれた方が、自分の知識を人にも教えることで、多くの多重障害者のエンパワーメントにつなげたという体験談で、ここでも「スマホに搭載されている機能(フィーチャー)を使いこなせば、相当なことができる」と主張されていました。(多重障害に関しては、それが障害者として認知されていないという課題もあると指摘されていました。)

バーミンガム大学の先生の基調講演に質問を投げかける参加者

7.参加セッション(その4)-ジャイプールフットの成功譚

⑦Keynote "Jaipur Limb Technology - Innovation & Impact"
「ジャイプールフット」は、C. K. プラハラード教授の2004年名著『Fortune at the Bottom of the Pyramid』(邦題『ネクスト・マーケット』)でもすでに紹介されていて、BOPビジネスの成功例として非常に有名です。私も『ネクスト・マーケット』を読んでジャイプールフットのことは知っていたのですが、それから20年近くの同社の歩み―――義足から膝関節、膝のローコスト装具開発や、40カ国への技術移転など、お話が聞けて良かったと思っています。40カ国もカバーしているのに、ブータンはカバーしていないのはなぜなのか、疑問ではありましたが。(市場規模が小さすぎて、市場志向型のソリューションとしては分が悪いということなのでしょうか。)

初めてジャイプールフットの詳しいお話を聴けた

私がこのセッションをあえて紹介したのは、質疑応答の際に、フロアから「3Dプリント技術などは用いないのか」との質問が飛び、これに対し、発表者の方が回答する際、日本のスタートアップ企業「インスタリム社」にわざわざ言及されたからです。

実は、義肢装具については他にも米MITのD-Labのフェローの方が立ち上げられた「Rise Bionics」という企業の招待トークもあったのですが、それらを差し置いて「インスタリム」の名が全体セッションの基調講演の中で聴けたことは、日本人の唯一のカンファレンス出席者だった私としては、とても誇らしい思いであったことを申し添えておきます。

さっそく同社の徳島泰さんにはご連絡して、できれば来年のエンパワー・カンファレンスには出展検討して下さいとお願いしました。


8.参加セッション(その5)-自助具は学校で作る

⑧Keynote ”Al Noor School of Special Needs, Dubai"
これはドバイ(UAE)に設立された障害児特別学校の活動紹介でしたが、驚いたことに、この学校では必要な障害児用自助具は内製化が行われており、特別ニーズ教育に必要な教具や学習ツールのほとんどは、学内で作られているそうです。

ブータンで例えるなら、ダクツォ職業訓練センターや各県のSENスクールにファブスペースがあって、先生や生徒が必要な教具や学習ツールを自分たちで作っているようなものです。そう考えたら、ブータンでこれを再現するのは相当難易度が高いとも感じます。

しかし、パーキンス盲学校が指向しているのもそうした方向性ですし、今回フィリピンから参加されたサント・トマス大学のコミュニティ開発事務所も、近々ファブラボを作る予定があると仰っていました。ダクツォやSENスクールがファブスペースを持つことは難しいかもしれませんが、せめて近くのファブラボを利用してもらって、教員と父兄と生徒自身、それにリハビリや臨床の専門家も加わって、共創デザインができる仕掛けは作れるのではないかと思いました。


9.カンファレンス終了後の野外見学

①自助具技術博物館(Museum of Possibilities)
カンファレンス終了翌日、ナミタさんの案内で、タミルナドゥ州障害庁がその敷地内に設立した自助具技術博物館を見学する機会をいただきました。

障害者の自立生活に必要な器具や施設の工夫の展示がとても充実していて、特にトイレや寝室の施設整備のあり方については、学ぶものが多くありました。展示器具にはひとつひとつQRコードがついており、スキャンすればそれらがどのように作られたか、必要な材料は何か、製作者が誰か、などの情報が得られるようになっています。

自助具といえば、ファブラボ品川さんのカタログをすぐに思い出します。それに似たインド版の自助具も見かけましたが、特に台所での調理に必要な自助具としては、ファブラボ品川さんの方が充実しているように思いました。

州障害庁の庁舎がすぐ隣りにあるので、政策立案者と障害当事者との距離の近さを感じました。政策立案者が障害のことを理解していないなどというケースは、かなり制御されているのではないでしょうか。

また、この庁舎の2階にはカフェが併設されていて、カフェ&ベーカリーの技能研修の場となっています。ここでは健常者と障害者が一緒に働く環境を作り、健常者向けの普及啓発も併せて行われていると聞きました。ブータンではこの手の技能研修は障害者だけを集めて行われ、障害者でグループを作って起業を試みるよう促されるのが現状です。

博物館と州障害庁は、同じ建物で入口が分かれていた
トイレの自助具展示スペース
子どもの遊具。これをFacebookに載せたら、
プンツォリンのSENスクールの障害児のお母さんから、
「これホント必要」との即レスがあった

②障害者・障害児職業訓練施設
10月9日には、ビディヤサガル(Vidya Sagar)というNGOの運営する学校と職業訓練施設を見学させていただきました。この2つの施設は、前者は障害児に適切なリハビリと教育を行い、自立生活を送るのに必要な機能を身に付けることに主眼が置かれ、18歳以降は収入創出につながる技能の習得に主眼が置かれるという役割分担だと理解しました。

これは、ブータンでいえば、各県のSENスクールと、ティンプーにあるダクツォ障害児・者職業訓練センターが1つの母体の下で運営されているというイメージです。ダクツォには18歳以下の子も通っているので、ダクツォ自体も、ビディヤサガルと同じ位置付けになるのでしょう。

ただ、決定的に違うのは、ビディヤサガルの運営を支える支援者とスタッフの数です。特に、作業療法士や理学療法士、言語療法士といったリハビリのスペシャリストが常に出入りしていますし、デバイスの開発ができるIT分野の学生インターンが、1カ月サイクルで出入りしている様子も見ました。機械に障害者を合わせるのではなく、障害者の制約に機械を合わせるようなカスタマイズが随所に見られました。

前述した博物館同様、「これならブータンで作れる」という自助具がいくつもありました。これらの施設にはファブスペースが併設されていませんが、チェンナイの街を歩くと医療福祉器具を扱うお店がいくつかあり、すでにボリューム的に商業生産可能な自助具は売られていました。それだけの自助具生産のエコシステムがタミルナドゥ州にはあるということなのでしょう。

残念ながら、ブータンでは、ティンプーにあるダクツォですら、リハビリの専門家が常時出入りしてアドバイスを送るような環境ではありません。地元のSENスクールでSENコーディネーターの先生と話すと、すぐに「言語療法士の協力隊員を学校に配置してほしい」と懇願されますが、ブータン全体でも言語療法士が5人しかいない状況で、特定校に言語療法士隊員を配属するのが適切なのかどうかはわかりません。

これらの職業訓練施設は、ファブラボの私たちの視点からはカスタマイズ自助具のアイデアをいただくという点では実りのあるものでした。でも、ここまで分厚いサポート体制を作るということに関しては、相当難易度が高いと感じました。少ない人的リソースをシェアして、有効に動員できる体制を作ることから考えないといけないのではないかと思いました。

【Thakkar Bapa Vidyalaya】手織物機のシャトル(下糸入れ)
通常のシャトルよりも長めにカスタマイズされている
アクセシビリティを改善させた遊具。車いすの子どもであっても遊びたい
二択を可能にするボタン。かなりの数がすでに導入されている
新聞紙を4層貼り付ければ簡単な家具を作ることができる
読書スタンド
Windowsのペイントアクセサリーで描画を練習している子

10.これを受けてブータンが取るべき道

残り任期が2カ月しかない私がブータンが取るべき道を論じるのは僭越なのですが、今回のチェンナイ出張を終えて、思ったことを述べます。

ここまで述べてきたことは、私の問題意識にもとづくバイアスがかかっている部分が相当ありますが、逆に私が出たセッションには出なかったブータン派遣団の面々は、ハイテク系の自助具技術を見て「勉強になった」と言っていた印象がどうしてもあります。

CSTがそこを狙っていくのは工科大学としての性格上当然のことですが、今回ブータン派遣団を引率していたブータン財団はもう少し地に足をつけて現実的なポジショニングをするべきだと私は思っています。

同財団のフェンキさんによれば、障害児父兄会フェンサム(Phuen-sum)とともに、首都に「自助具技術ラボ(ATラボ)」を開設する構想があるそうです。よくよく訊いていくと、どうやら、チェンナイのMusium of Possibilitiesのような、自助具技術の展示室を考えているようでした。

したがって、これから展示する自助具技術を蒐集するような作業が行われるのであろうと思われますが、ハイテク系の自助具技術の研究開発はスーパーファブラボやCSTにある程度任せて、ATラボは、適正で、利用可能で、利用者が負担可能で、障害当事者が試作を主導できる、シンプルな自助具に光を当てていくべきだと思います。

また、ブータンでありがちな、「そういうものは作れる人に任せろ」という丸投げの発想から、いろいろな専門性やミッションを有する人びとが集まり、障害当事者も巻き込んでその障害当事者が使用する自助具の開発に取り組むべきだと思います。

ティンプーじゃないと作業療法士もいないのがブータンの現状です。ATラボはファブラボと同等な機材を備えて技術開発にまで手を広げるよりも、ファブラボや作業療法士、理学療法士なども巻き込み、メイカソンのような共創デザインの場をどんどん作っていったらいいのではないでしょうか。

もう1つは、作業療法士、理学療法士などのリハビリの専門家の人材不足をどう補うかという点です。

これは短期的には解決が困難な課題ですが、工科大学の学生やファブラボの利用者に、作業療法士の視点を少しでも持ってもらうような短期講座を実施していくことなのではないでしょうか。

サハ教授は、お父さんが昔インド政府の派遣で1960年代にブータンの道路整備のお仕事をされていたそうで、ブータンには協力したいと仰っていましたし、すでにサハ教授の薫陶を受けた作業療法士が国立病院にはいるそうですので、そういう方々の知見を学んでものづくりに生かせる場を、ティンプーやプンツォリンで作っていくのが第一歩なのかなと思います。

そして最後に、ブータン財団には、これらの学びをどう生かし、今後の行動につなげていくのか、マルチステークホルダーで話し合う場を、今月内に設けてほしいと期待しています。

11月になってしまうと、ブータンは下院議員選挙に突入してしまい、年末までそうした会合は開くことができなくなりますし、それが終わってから開催していては、今回のブータン派遣団のモチベーションもだだ下がりして、せっかくのモメンタムを確実に失うでしょう。

ビディヤサガルの講堂をお借りして、5日間の振り返りを行う

11.最後にこぼれ話

エンパワー・カンファレンス2023は、自助具技術の開発にかけるインドの若手スタートアップや学生・研究者のものすごい熱気をじかに感じられる、とてもよい機会となりました。BOPをマーケットとしている見ている企業にとってはインドは魅力的なので、毎年インド国内で開催されるこのカンファレンスを、情報収集やネットワーキングの場と位置付け、毎年出かけることに意義もあるように思います。

特に、今年はチェンナイのIITMRPがホストしたこともあり、研究者やスタートアップ、エンジニアリング系の学生が目立つカンファレンスだったかもしれません。それを強力なリーダーシップで後押ししていたのがIITMRPのアショク・ジュンジュンワラ所長でしょう。

実は、私はジュンジュンワラ教授とお会いするのは19年ぶりで、2004年9月にJICAの地方通信インフラに関するセミナーで、全体のプログラムのキュレーションをされていた恩師の要望で、ジュンジュンワラ教授のインドからの招聘を、私が行って以来でした。教授も覚えていて下さり、ちょっと感激しました。実はインドの科学者としては超有名な方で、インドの週刊誌『India Today』の2010年5月の特集で、教授の紹介記事を読んで当時ブログで紹介したこともありました。

IITMRPは2010年に設立され、徐々に施設を拡充して現在の陣容になっているようです。ここで語りはじめたらただでも長い記事がもっと長くなってしまうため、説明は省略します。

ただ、ジュンジュンワラ教授はIITマドラス校の若い頭脳と活気をものすごく買っておられた様子で、とりわけ「ネオモーション(NeoMotion)」というIITMRP発の電動モジュール着脱型車いすを推しておられました。

ネオモーションは見た目がオート三輪車で、公道をスイスイ走っている様子がIITマドラス校キャンパス内でも見られましたが、日本だったら道路交通法に引っかかるかもしれません。インドだからこそ生まれたイノベーションと言えるでしょう。

ジュンジュンワラ教授ご本人が
IITマドラス校のスタートアップ支援の成果をご説明下さった
ジュンジュンワラ教授のオフィスでお話を伺うブータン派遣団
野外公会堂での車椅子バスケットボール州代表選手が勢ぞろい
何人かがNeoMotionを運転していた

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。以上で約1カ月にわたる学びとネットワークの旅は終わり、残りの任期をファブラボCSTで務めあげたいと思います。

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