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BOOK ESSAY『語り部としてのフィル・バーバンク』

このnoteは【SANBON RADIO No.019】にあわせ書かれたエッセイです。長く続けていくためにも、イベントが面白かったな。もっと続けて欲しいな。という方は投げ銭代わりにご購入いただけますと幸いです。


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トーマス・サヴェージの『ザ・パワー・オブ・ザ・ドッグ』の物語を理解するうえで、ひとつの重要な視座になるのが、ハワード・ホークスが監督し、ジョン・ウェインとモンゴメリー・クリフトの共演で制作された映画、『赤い河』です。
1948年に公開され大ヒットとなったこの作品によって、ジョン・ウェインは西部劇のスターとしての地位を名実ともに確立し、また、これがデビュー作となったモンゴメリー・クリフトは一躍、銀幕スターの仲間入りを果たすことになります。

『赤い河』は、戦争で疲弊したメキシコ州の南部の牧場から、牛肉市場のあるミズーリ州まで、約1600キロの道のりを一万頭の牛を引き連れた大移動「キャトルドライブ」に挑むカウボーイ達を描いた作品です。この隊を率いるトーマス・ダンソン(=ジョン・ウェイン)は、トラブルはまず銃で解決、力で相手をねじ伏せる、まさにマチズモを体現する旧弊な牧場主。一方、彼の義理の息子であり右腕とも言えるマシュウ・ガース=(モンゴメリー・クリフト)は、家父長的なジョン・ウェインの強引な遣り口に次第に反発を覚える、専制君主的な義父に対してより民主主義的な考え方を持った、新しい時代の若者として描かれています。(完全に偶然ですが”ダンソン”の音が男尊の読みと同じなのは、ちょっと面白いですね。)

このダンソンとモンゴメリー・クリフトという、新旧の二人のカウボーイの対比=確執を、確かに『ザ・パワー・オブ・ザ・ドック』のバーバンク兄弟、フィルとジョージに重ねて見ることもできるでしょう。
ただ、ここで着目したいのは『赤い河』のメインとなる物語の時代が、1865年だということです。そして、『ザ・パワー・オブ・ザ・ドッグ』は1925年の物語で、そこには、ちょうど60年の隔たりがあります。『赤い河』では数か月間の、命がけの過酷な旅だったキャトルドライブも、バーバンク兄弟の時代になれば、鉄道網の発達により、たった一日の遠出で済んでしまう。むしろ、時代を見れば、『赤い河』が公開された1948年の方が、23年と近い。
バーバンク兄弟の兄フィルは、トーマス・ダンソンよりも、ダンソンを演じたジョン・ウェインの時代に生きているという点は、非常に重要だと思います。フィルは19世紀ではなく、20世紀の人物なのです。バーバンク兄弟が、はじめて牛追いの旅に出たのが1900年だというのも象徴的でしょう。
そして、20世紀が如何なる時代かと言えば、それは「映画」の時代だと答えることができるのではないでしょうか。

作中でも、バーバンク兄弟の農場のカウボーイたちは、

若い男たちは飯場に映画雑誌を持っていて、ウィリアム・S・ハートという俳優を神のように崇めている。(p18)。

ちなみに、ここで言及されている、アメリカ映画黎明期の西部劇のスター、ウィリアム・S・ハートは、1864年生まれです。それは、まさにダンソンとマシュウが過酷なキャトル・ドライブへと旅立つ前年です。

ちなみに、ウィリアム・S・ハートが2丁拳銃を両手に、銀幕の西部に颯爽と登場する以前、西部劇のスターの代表と言えば、1907年から16年にかけて制作された「ブロンコ・ビリー」シリーズで知られる、ブロンコ・ビリー・アンダーソンでした。
このブロンコ・ビリーと、作中でフィルが”憧れる”、伝説のカウボーイ、ブロンコ・ヘンリーが同名なのは果たして偶然でしょうか。


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