自分を自分の中心に据える

家族と話していて

ハッ!!!!

としたことを
覚えているうちに書き留めます


家族とある話をしていて
自分達のお祝いでもらったのだから
二人で使いたいよね
(他の家族に邪魔されずに という意味)


と言ったことに対して
自分は
何か違和感を感じた

それはなんなんだろうと
考えていたら

はたから見ると
その発言は"自己チュー"と
言われるかもしれない

でも
なんだか
なるほどと思ってしまった

なぜなら
自分を自分の中心に据えているからこその
発言のように思えたから

すっごく自分の中心を生きている

昔の自分は
他の周りを立てられるなら
自分が我慢してもいい

とずっと思ってきたから
我慢すること
自分を脇に置くことは
すごく普通なことで

ともすれば
我慢と捉えていないことも
だんだん出てきていた

長年の積み重ねで
それがなんていうのか
すごく当たり前で
我慢の上に自分がいるのは
すごく自然だった


だから自分が自分の中心にいる人を見て
わぁ!
と、なんか分からぬ感動みたいなのが
確かにあった

もう10年ほど前の話で
徐々に自分の我慢とか
脇に置く癖とか
段々薄れてきて
生きやすくなってきたように思う

まぁなんというのか
年齢も重ねて
図太くなってきたというか(笑)

お手本みたいな
自己肯定感の高い人と一緒にいると
自分も段々とそっち側に
なってくるもんなんだな


自己肯定感を高くしたいならば
そういうなりたいひとの隣なり
近くにいることで
その願いは叶えられるということなんだ


なりたい自分を見つけたり
なりたい感じのひとを見つけたり
なんか楽しいじゃない
ひとつひとつ
正解とか不正解とか
そんなのはどこにも存在してなくて
全部ぜんぶマル☺️
はなまる💮

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