普通って何だろう?
こんにちは。さなぎです。
普段あまりドラマは観ないタイプなのですが、今期は「リエゾン-こどものこころの診療所-」を観ています。
というのも児童精神科のお話。
子育てをする身としてはやはり気になります。
特に第3話はASD(自閉症スペクトラム症)がテーマ。
息子にその傾向がみられるものですから、感情移入せずにはいられませんでした。
途中、小学校に上がる前のことを思い出しました。
そしてそんな自分を思い出し、心がキュッとしました。
お母さんの世界ってすごく狭いんです。
すぐ周りと比べてしまう。
小学校に入ると親同士の付き合いはかなり減ります。
でも不安ですよね。心配ですよね。
わたしもそうでした。
今回はそんなお話が出来ればと。
就学前のとある会話
ドラマに出てきたあるシーン。
それは就学前のいわゆるお母さんたちの井戸端会議でした。
今思い出しても鳥肌が立ちます。
あったなー。
あったよなー!
特に就学前はお母さんたちもパート勤務の方が多く、お迎えの後などによく話したりもしていました。
わたしの場合はそれが嫌だったので延長保育を申請して時間をずらしていましたが(笑)
どうしてもそういった会話ってどこか自慢話みたいになってしまったり、誰かの噂話だったりしませんか?
だから取り残されまいと普通でなければならない、キャラを演じなければそこにはいられないと思っていました。
みんな通る道なのでしょうか。
ドラマを観て、ものの見事に頭の中で当時が再現されました。汗が止まらん。
どうしても自分の視野が狭くなってしまうのが、就学前。
離れまいとアクションを起こすたびに逆に孤独感を感じていたように思います。
小学校に入ると景色は一変
小学校に入ってからは親同士の付き合いはほとんどなくなります。
お迎えがなくなるから親が顔を合わせることは格段に減ります。
パートタイムからフルタイムに変える方も多く、そうなると会うのは行事くらい。
明らかに重荷みたいなものは減りました。
と同時に次は子どもが学校でどういう風に過ごしているのか分からなくなります。
想像以上に情報は入ってきません。
みーんな同じ状況ですから、親同士で確認し合うこともありません。
最近はタブレットが連絡帳代わりになっているので、親と先生の連携も実は薄くなっています。(デジタルは大歓迎派ですが、連絡帳に関しては不便に感じています)
ふと気づいた時には子どもが限界を迎えていたり。
先生たちも親にあまり情報をくれません。
ドラマでも描かれていましたが、良かれと思って親に伝えたことがトラブルの元になったりするそうなのです。
「お子さん、学習障害かもしれません。」と言われたらショックは受けるだろうなと思いました。
わたしも指摘されたらドラマの中のように先生にクレームをつけていたかもしれません。
だからこそ本当は親が気づいてあげるのがいいのかなと。
息子は3歳児検診でも、就学前検診でも特に指摘されたことはありませんでした。
いわゆる「おとなしい子」。
分からないよなぁ。
親ですら見抜けないんだから、赤の他人に見抜けるわけありません。
確かに1人行動は好きだった。
いつも周りを見ながらニコニコ過ごしてて「穏やかだねぇ」とホッコリ思っていました。
結局そうしてグレーゾーンの子たちは気づかれぬまま取り残されていきます。
本当に難しいと思う。
もし診断を受けたとしても大きな壁がありますよね。
一番の壁は”普通じゃなくなる”ということでしょうか。
分かりやすいのは”通常級”と”支援級”ですよね。
というか、そもそも”普通”ってなんでしょうか。
大人しく先生の言うことを聞く子が普通なのでしょうか。
授業中、邪魔せずその場にいれば普通なのでしょうか。
小学校になると親は『普通でいなきゃ』と何故か意識してしまいます。
自分たちもそういう教育を受けてきたから。
誰が決めたのでしょう。
わたし自身もそれらに苦しみ、例に漏れず普通の中で大人になりました。
だからこそ子どもにも”普通”でいてくれればそれでいいとも思っていました。
人間はどうしても人と比べてしまいます。
特に日本においては同調圧力がとても強い。
何か新しいことをしようとすると潰されます。
思い出されますよ、役員を。
これが鉄則で、何かを変えようとしたら袋叩きでした。
親になった後の世界でもこんな感じなのですから、子どもにも伝染してます。
保育園では楽しく遊べていた子も、小学校へ上がると人が変わってしまう子もいます。
そのきっかけは「みんなと同じようにいなければならない」ことを強要されるから。
何だろうなぁ。普通って何だろうなぁ。
ずっとそんな壁にぶち当たっています。
小学校卒業を控えて
現在小学6年生の息子。まもなく卒業を迎えます。
先日ウイスク検査を受けました。
総合したIQ自体は平均内に入っています。
が、見事なN型。凸凹ってやつですね。
得意な項目2つは飛び抜けていました。
上と下の数値の差が15以内が一般的と言われる中、彼は30ありました。
そりゃあ生きづらかったでしょうに。
スクールカウンセラーさんにも言われたのですが「おそらく受診しても診断まではされないでしょう」とのこと。
問題行動を起こすわけでもなく、物静かな感じ。
会話のキャッチボールは苦手だけれど、口数が少ないので誤爆もありません。
いわゆるグレーゾーン。
こういうお子さん、きっとたくさんいるんだろうなぁ。
診断するかどうか考えるのは私たち親の判断となるわけですが、我が家としては現状を見守るスタンス。
診断されたとて、何かが変わるわけでもありません。
粘れば診断されるかも?と言われましたが、何を粘ればいいのでしょうか。
わざわざ「診断してください。」と言えばいいのか…?
何だかそれは違う気がしました。
だからこそ環境を変えたかった。
彼のヘルプは6年生の夏でした。
正直ギリギリのタイミングだったと思います。
そこから通える場所を探して、現実的に通えるかの判断。
入学テストがある場所なので秋に入学テスト。そして無事に春からの入学が決定。
最近はですね、春から通う場所に月に1度の体験授業を受けに行っています。
わたしから見たら息子と似た雰囲気の子が多い。
息子もそれを感じたのか、普段なら30人いたらその中になんて入らないのにスーっと入っていきます。
知らない子ばかりというのも大きいのかもしれません。
親としては環境を変えることで全てが解決するとは思っていません。
もちろんこれから辛いことも経験するでしょう。
でも今のこの現状を少しでも変えたいなら動こうと思い、行動を起こしました。
大切な中学3年間。
好きなことを学び、人に慣れ、楽しく過ごして欲しい。
これから”普通ではない”進路に飛び込みます。
それを決断した彼は勇者です。
そんな彼をわたしは応援したい。
そういえば我が家の「普通」は何だろう。
自分が自分でいられる場所が「普通」で良いんじゃないかな。
周りと比べないことを意識するだけでも、フッと何かが軽くなるような気がしています。
親の不安は子どもに伝わります。
どんと構えて過ごしましょう。
今日はここまで。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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