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ぼくは不登校じゃない。

こんにちは。さなぎです。

集団生活を辛いと思っていた息子が、頑張って毎日学校に通っていた理由。

それは『ぼくは不登校じゃない、通いたいんだ。』という信念があったから。

この話はつい最近になって本人から聞きました。

気づくまでには実に3年の月日がかかりました。

無理をさせてしまっていたな、と親としては反省しています。

今日はそんなお話。

教室に入れない

思い返せば3年生の春。

息子が授業を廊下で受けている」との情報を聞き、焦って学校に連絡しました。

どうやら教室に入れないから、廊下の、しかも前の扉のところに机を置いて授業を受けていると。

当時わたしには理解が出来なかった。

目立ちたくなければ教室の中のいちばんうしろの端っこにいるはず。

それをなぜ、前の。しかも廊下って(笑)

この『廊下で授業』は始業式などの区切りのタイミングで恒例行事のように5年生になるまで数日続くことになります。

ありがたかったのは周りの子が普通に接してくれていたこと。

授業では本来いるべきの席でグループが組まれ、ディスカッションなどをしますよね。

その時にもグループの子が廊下の扉のところに集まってきてくれて話し合いをしてくれていたそうなのです。

集団が苦手”と分かったのは6年生に入ってから。

「目立ちたくない」と初めのうちは言っていたのですがどうやら本人、どう表現したらいいのか分からなかったようなのです。

『そうか、集団が苦手なんだ』


このことに本人もわたしも気づいた時にハッとしました。
息子なりの信念というか、無意識に考えていたルールがあったんですね。

彼の中では『教室は”集団”の中』というポジションに分類。

だから入れなかった。

なるほど。それならこれまでの数々のことも合点がつきます。

  • 山の学習の集団行動が辛くて離脱した

  • 運動会のダンスの時間は辛いけど手伝いは出来る

  • 委員会やクラブには参加できる

  • 中に入ることが出来れば発表もできる

つまりは”決められた集団”の中でずっと過ごすということが彼には辛かった。

それが10人程度なら普通に参加が出来たのです。30人を超えると苦しい。


学校には行ける

思い返せば保育園の頃。

サッカーの時間が大嫌いで、ずっとゴール前に立っていました。

わたしはてっきり”いいとこ取り”したくて立っていると思っていたのですが、ここまでの話的にどうやら違う様子。

先日本人に聞いてみたところ「あぁ、あれもみんながワチャワチャしてるところが無理だった」と言われました。

なるほど〜。

この話を聞いてもう1つ納得したことがあります。


息子。登校前、家では全然グズらないのです。


学校に行きたくない、と騒ぐことはほぼありませんでした。

普通に準備して、普通にテレビを観て、普通に時間になったら車に乗り込む。
(もちろん送迎はしています。通学班のルールが苦手だから笑)

そうか。


彼は学校には行きたいんだ。
学ぶことが好きなんだ。


3年の月日を経て、ようやく1本筋が通った瞬間。

正直いつ不登校になってもおかしくないと思っていました。
でも彼は毎日学校までたどり着き、教室前でストップする。

深呼吸を数回して、切り替えて教室に入っていく。


「ぼくは学校に行けるんだ。不登校じゃないんだ。」
という意志だったんですね。頑張っていたんだな😢

気づけなかったことが少々悔やまれますが、集団に違和感を感じてから4年間彼はほとんど休まずに通い続けました。

6年の秋になった今。

教室に行くことを休憩して、相談室登校をしています。

集団に入らず、相談員さんと過ごす日々。

毎日キラキラと登校しています✨

環境が変わるとこんなにのびのびと過ごせるんだと驚いたのが本音です。


ぼくは不登校じゃない

わたしは30代。
6年生の親の中では若い方。

この世代のわたしたちですら「学校には行かなければならない」という義務感強要感がありました。

ずっと”前にならえ生活の中”にいたものですから、そこから外れるなんて考えもしなかった。

というか”休んだら逃げ”だと思っていたし、”休み続けたら人生詰む”と思っていた。

4つ離れたわたしの妹は息子と同じ考えを持っていたようです。

保健室登校を続けているのを、何も出来ないまま見つめるわたし。

彼女には当時から「わたしを不登校扱いしないで」という意志がありました。

”不登校=登校せず”ですもんね。
確かに通っているから”登校”です。

不登校予備軍なのは確かだけれど、不登校ではない。

もう20年以上前のことになりますが、妹がなんとか頑張って通っていたのが目に浮かびます。

あの時もっと声をかけてあげていたら…とも思います。


「違うんだ、学びたいんだ。」


彼の行動に気づいてから、わたしたち親の意識が変わりました。

どうしたら彼がのびのびと生きれるのだろう。

学びたいけれど辛い子をどうサポートしたらいいのだろう。

その答えが「フリースクール」だったのかもしれません。

ただ息子が通うのはフリースクールの中でも中身はかなり前のめりな場所。

中学校でもない、いわゆる従来のフリースクールでもない、新しい場所。
社会に出るための学びを実際に社会を通しながら学ぶ場所。

”義務教育ゴリゴリ前ならえ世代”としてはある意味賭けですが、このままずるずるいくわけにもいきません。

息子の意思を尊重しつつ、学習環境を整える。

春からどんな生活になるのか。今から楽しみです。

今回はここまで。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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