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心はキャプテン・ハーロック

手術から一週間がすぎた。経過は順調だ。リンパ液の色は透明に近づいている。チューブが外れる日もそう遠くないだろう。

その日の朝の回診で、大谷先生はわたしに言った。
「もうドレーンを取りましょう」
それを聞いたわたしは、うれしいような恐ろしいような、複雑な気分になった。

わたしの胸に巻かれているバストバンドは、一日に2回外される。回診の時と、看護師さんが蒸しタオルで体を拭いてくれる時だ。わたしはバストバンドを外す時はいつも、胸から目を逸らしていた。自分の胸を見る勇気がまだなかった。
ドレーンが外れたら、蒸しタオルは卒業だ。自分でシャワーを浴びることになる。嫌でも手術した胸を見なければならなくなるのだ。

ドレーンはズルンという感じで体から離れていった。バイバイ、一週間ありがとう。
先生はドレーンを外した後、胸元でバチンバチンと何かを切っているようだった。
(あれ?糸を切っている?)
抜糸は必要なかったのでは?胸元から目を逸らしているわたしには、何をされているのか分からない。そうこうしているうちに処置は終了した。
「今日からシャワーをあびて構いませんよ」
大谷先生はわたしに言うと病室から出ていった。
(何の音だったんだ…)
わたしはモヤモヤしたが、すぐに「ま、いっか~」となった。

大谷先生と初対面のとき、わたしは「無愛想な人だな」と思っていた。入院後、毎日顔を合わせているうちに先生もわたしに慣れてきたようで、ニッコリしてくれるようになった。いつしかわたしも、先生の笑顔を見るのが毎朝の楽しみになっていた。
(事情があって切らないとといけなくなったのかもね?)
例の音のことを、わたしは深く考えないことにした。

回診の後、わたしは談話室に行き窓際に座った。八幡竈門神社に手を合わせる。毎朝のルーティンである。

国立別府病院の建物は、八幡竈門神社に合わせて設計されたのかもしれない。神社の拝殿から一直線に、石段が別府病院へと続いているように見える。まるで龍の通り道だ。
入院病棟からは神社の建物がよく見える。これも粋な計らいだと思う。

(神様が見守って下さっている。辛いけどがんばろう。)

そう思えるのである。わたしは空になった缶をごみ箱に捨てると、お風呂セットを持ってシャワー室へ向かった。シャワー室は患者が好きな時に利用できる。夕方以降は利用者が多くなるので、空いている午前中にシャワーを浴びることにした。

のりおちゃんの性別は男だとわたしは思っている。根拠はない。男だと思ったから“のりおちゃん”と名付けたのだ。のりおちゃんがお風呂の中までついてきたことは、これまで無かったと思う。
「幽霊になったら心霊スポットなんかじゃなく女湯に行く」
男の人がよく言うセリフだが、女湯に入ろうとしないのりおちゃんはジェントルマンだ。

医療センターのシャワー室はめちゃくちゃ狭い。ユニクロの試着室より狭い。せいぜいしまむらぐらいだ。のりおちゃんも入ったらギューギュー詰めになってしまう。
(のりおちゃんは外で待っててな)
そう心で念じながら、わたしは個室のカギを閉めた。

わたしは脱衣所の鏡を見ながらパジャマを脱いだ。緊張で高鳴る胸を抑えながら、バストバンドのマジックテープに手をかける。

ビリビリビリビリ…

マジックテープが外れて、止血用のガーゼの束が落ちた。鏡に写った自分の姿を見たとき、わたしは心の中で歓声を上げた。

(キャプテン・ハーロックみたいやんけ!)

極太の針でガシガシ縫った跡が、わたしの右胸にたくさん付いていた。
松本零士作品なら、女性でクイーン・エメラルダスという顔にキズがあるキャラがいる。しかしわたしは、片目のハーロックのほうが片胸のない自分には相応しいと感じた。それに、松本零士の描く女性は美しすぎる。自分になぞらえるのはおこがましい気がしたのだ。
松本零士の描く女性キャラは、わたしが子供のころから女の子の憧れだった。最近はポリコレうんぬんでセクシーな女性を描きづらい。しかし、松本零士のキャラがやり玉にあげられたことは無いように思う。少年マンガのイメージが強い松本零士だが、デビュー作は少女マンガだったという。女性のために作品を描いていた経験が生きているのかもしれない。

予想では、わたしの胸はスパッと乳房を切り取った感じになっていると思っていた。実際はクレーターみたいにえぐれている。わたしはぽっちゃり体形なので、周りの肉の加減でそう見えるのかもしれない。
(ダイエットしたらもっとカッコよくなるんとちゃうの?)
手術跡を見てこんなにぶち上るとは。変な奴だと我ながら思う。わたしは「変わってる」と言われるとうれしくなっちゃうタイプである。他人と違うことが何より好きだった。おっぱいだって片方なくてカッコイイ!縫い目もイケてる。ロックじゃん。はぁ、惚れ惚れ…
「退院したらダイエットがんばるぞ!」
わたしは心に誓ったのだった。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。