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認知症 or 天然ボケ 

帰省した日の翌朝。わたしは実家の隣家に住む祖母のところにあいさつに行った。祖母の家は二世帯住宅だ。姉の家族が同居している。祖母はリビングダイニングのソファに座ってテレビを見ていた。

「おばあちゃん!おはよう!」
引き戸を開けて、祖母に声をかけた。ハッとした表情で祖母はわたしの方を見た。そして力なく言った。
「ああ…、おはよう」
祖母は今年94歳だ。わたしが会うたびに祖母は背中が曲がり、体も小さくなっていく。若いころは165センチあった祖母の身長が、今は150ぐらいしかない。表情もポヤンとしている。
「おばあちゃん、元気?」
わたしが尋ねると、祖母はうつむいて言った。
「ああ…、なんかもう生きてても楽しくないわ」

わたしは祖母が40代後半のときにできた孫である。仕事をしている母に代わり、授業参観などは祖母がよく来てくれていた。祖母のことを、わたしのおばあちゃんだと思う人はいなかっただろう。その頃50代だった祖母は、どう見ても30代後半~40代前半だった。
おまけに祖母はとても美人だった。キレイなので他の父兄の中にいても目立つ。若いころの祖母は、芸能人のようなオーラを放っていた。

祖母はおしゃれが好きで洋服をたくさん持っていた。しかしそれらを整理整頓する能力はなかった。祖母の家はどの部屋にも祖母の服が山積みになっていた。洋服にうずもれるようにして、祖母は暮らしていた。

今の祖母宅はすっきりと片付いている。半年ぐらい前、祖母が骨折をして入院していた時、母が大掃除したのだ。物の少ないリビングダイニングは、閉め切っていても空気が抜けて肌寒い。スカスカの自宅に、祖母は寄る辺のなさを感じているように見えた。

母によると祖母は入院以来、認知症の傾向がかなり強くなってきているらしい。今はまだわたしのことを認識できている。しかし、その状態がいつまで続くだろう。

祖母は若いころはとても活発な人だった。体操・コーラス・ボランティア…毎日、駆け回っていた。
そんな祖母はかなりの天然ボケでもあった。よく物を失くす。忘れ物も多い。祖母が出かける時は、家族でよく言ったものだ。
「ぜったい、すぐ帰ってくるで」

祖母が出ていってからしばらくすると、玄関からバタバタと足音が聞こえてくる。忘れ物をとりにもどった祖母の足音である。家を出る→忘れ物を取りに帰る、を何度も繰り返すのが外出前のお決まりのパターンだった。

わたしは子供の頃、祖母にこんなことを言ったらしい。
「おばあちゃんが歳とったら、ボケてるんか天然なんか分からんな!」
しかし、祖母が認知症になると、わたしの毒舌は冗談でなくなってしまった。

「おばあちゃん、今日はデイサービスに行くんやろ?デイサービスってどんなことするん?」
わたしが祖母にたずねた。
「子供たちがな、先生に教わりながら勉強したりするんや」
学校に行っていると祖母は思っているらしい。

「へぇ、そうなん。デイサービスに行く前にな、熱を計たってってお母さんに頼まれたんや」
わたしはそう言うと、テレビ台の上のペン立てからデジタル体温計を取り出し、電源を入れた。送迎車に乗る前に、今朝の体温を報告することになっているらしい。

祖母の腋にはさんだ体温計のアラームがピピピ…と鳴った。目が悪い祖母の代わりに、わたしが体温を読み上げる。熱は36度だった。わたしは冗談のつもりで祖母にこう言った。
「!ひゃ…100度!!」
祖母は驚いた顔で口に手を当てた。

「えっ?!一回で??」

何回計っても100度にはならんやろ。祖母のこういうところは、元からなのか認知症のせいなのか未だにわからない。

「そうや、おじいちゃんに線香あげるわ」
わたしは立ちあがって隣の部屋のふすまを開けた。隣は客間だ。客間には大きな仏壇がある。祖父は10人兄弟の長男だった。家をリフォームしたとき、立派な仏間兼客間を作ったのだ。客間も以前は、祖母の私物で溢れかえっていた。今は片付けられている。

仏壇の前には、祖父の写真が飾られていた。デイサービスに通っていたときのものだろう。祖父は運動器具に座ってにっこりしている。
(おじいちゃん、帰ってきました)
線香に火をともし、香炉に立てる。おりんを鳴らしてわたしは手を合わせた。

祖母宅からもどってきたわたしに、母が聞いた。
「おばあちゃんどうやった?」
「そうやなぁ。デイサービスのこと学校と思ってるみたいやったわ。それと、孝さんがこの前泊りに来たって」
孝さんは祖母の弟だ。10年ぐらい前に亡くなっている。
「そやねん、時系列がめちゃくちゃになってるやろ」

わたしの今日の予定は、祖父の墓参りである。祖母が認知症になってから、母もなかなか墓参りに行けていない。チャッカマンや線香など、墓参りのグッズがセットになった袋を母から受け取り、墓のある大阪府太子町にわたしは車で向かった。

温泉好きが高じて20年以上暮らした東京から別府に移住しました。九州の温泉をもっと発掘したいと思っています。応援よろしくお願いします。