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東出くんの不倫相手がもし男だったら世間はどう反応したのかなぁ?

不倫と浮気の違いを考えてみると「既婚者がする浮気」が不倫ということになると思うけど、最近は事実婚の増加で「パートナー」という言葉があるくらいだから、不倫と浮気の区別も曖昧になっている。
既存の概念を敷衍して「子供がいる人の浮気」を不倫と再定義しても良いかもしれん。と個人的には思うが、これも不妊治療中のカップルや、同性愛で子供ができないカップルに対して差別的と怒られそうだから、難しそうだ。

不倫と浮気の線引きが最近曖昧になっている一方で「浮気と浮気じゃない」の議論は昔からされていて、現代モラルのベースになっているキリスト教十戒には「汝姦淫するなかれ」という規定があり、それは厳格に言えば「他人をエロい目でみたら、それは姦淫」らしい。また、これは別にモーゼだけでなく、キリストも言っている。

「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく、みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」(マタイによる福音書5章27-28節)

こうなると、かなりの数の人間がOUTになるかもしれない。
キリスト教において、セックスというものは「種の保存」のための行為であって、快楽を求めてはならない。だから「種の保存」に繋がらない同性愛やオナニーですら基本NGなのだ。
浮気云々する前に、もはや性欲自体が「悪」という価値観で、清々しいくらい単純明快な線引きなのだが、人間の本性には酷で「多様性」という現代の価値観とは相容れず、もしテレビのコメンテイターがこういう主張を強固にすれば、

キリスト連れて来いや!神をここに呼べや!

と、品のないリツイートで炎上するだろし、冷静な無神論者たちからは「盲目の時計職人」を説明せよと迫られる。

話を「性欲の肯定」までは戻すとして、実際の所、不倫に関する罰則規定である「通姦罪」は、現刑法では廃止されていて、不倫は公序良俗違反ではあるかもしれないが、犯罪とはまでは言えない。
姦淫は、十戒では盗みや殺人と同列であったかもしれないが、現在、少なくとも法律において、これらと一線を画す。
「多様性」が今まで以上に重視される社会になれば、LGBTQIA+Fって時代が来ないとは言い切れない。
まあ、Fにはジェンダー以外にも格差社会問題の論点があるから、早々にそういう時代になるとは思わないけどね。

何が言いたいのかよくわからなくなってきたが、杏は親父の渡辺謙が白血病になったとき、母ちゃんが宗教にのめりこみ、莫大な借金をこさえ苦労したらしい。歴女で山登りもするというし、とても好感をもっている。(念のためにいっておくと顔がタイプではないのでエロい目では見れない)
だから、亭主の批判が度を越えて、自己責任論的な「見る目が無かった」という話になって、彼女の評判が下がるのが心配でならない。
世間というものはかくも移ろいやすいものだからね。

そうそうヘッダーの画像はアヤソフィアの中の壁画。偶像崇拝禁止するイスラム教徒が、壁のなかに塗りこめていたおかげで、劣化せずに保存されていたそうだ。
「見つける」という英単語はdiscoverだ。ディス+カバーで、覆われていたものが無くなることで「見つかる」わけで、見えないだけで本質は存在していたということだ。Fの本質は何なんだろうね。

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