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欲望の発露


(goo辞書より引用)

『好き』

 好きだから、という理由を行動原理にするのは危険。というかもはや迷惑、どころか犯罪にもなり得る。

 という認識。
 とは言え。

 毎夜、横になれば無音の古いスピーカーから流れる静かな砂嵐の音と共に耳から溢れ出す脳汁に、きらきらと光に透ける小さい好きの文字が無数に混入している事に気付くでしょう。

 ほら、ポエムだって生まれちゃうぜ。

 好きな人には好きですって言いに行きます。どちらかが明日死ぬかもしれないから。エゴです。言いたいだけです。言ったところでどうなるとは思っていません。気持ちの押し付けです。言い逃げです。好きですの矢文は十中八九心臓には当たらない。それが人生。でも、言いたい。
 これ程までに情熱。捨て身の自己表現。必要性はともかく必然ではあるはず。そこで重要なのは、当たって砕ける前に素早くその場を去る事。返答はいらない(本当はいいお返事ならちょっと欲しい)。

 あまりにも自己中心的な感情を露わにさせる回路はどこから生まれるのか。脳内物質の化学反応ですよ、数字で説明できますよ。と言いつつ、運命だとか思いつつ。

 いつの事だか思い出してごらん、、、?

 あの日、出会わなければ。こんなにも心臓が痛む事も、欲望に身悶える事もなかったでしょう。この欲望はあくまでセクシャルな方向ではないと言わせておくれよ。そうじゃないんだよ。降りかかる火の粉から守りたいという気持ち。悲しみや辛さがあるなら代わりに引き受けようという気持ち。なるべく笑っていられるように、伸びやかに生きていけるように。崖っぷちで足を踏み誤りそうになった時は咄嗟に手を差し伸べられる位置にいたいと思うんだ。

 全てを込めての「好きです」を言うことで、満足するのは自分だけ。それでいいじゃない。望まれても求められてもいないかも知れない。それでも間違いなく、私は味方だよって言いに行く。困った時に、どうしようもなくなった時に何かの足しになれるかな。なれないかな。そんな事より困らないことの方が大事。

 ありがとうとごめんなさいと、好きですをちゃんと言おう。できるなら手をとって、もっとできるなら抱き締めて。

 ちゃんと顔見て、大好きって言うんだよ。

 そうすれば目頭から魂の糸が出て前頭葉と前頭葉がしっかり繋がるから。死ぬまで忘れられない走馬灯要員になるから。

 この世を共に生きよう。たとえもう二度と会えなくなろうとも。やっぱりそれは嫌だから、会いに行くよ。頭からひと飲みにしたいなんていう気持ちはおくびにも出さないで。

そう。これは食欲。食欲なんだってば。



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