飲み会で思うこと。聞き手の振る舞いについて。
4月はスタートの季節。
歓迎会や新年度飲み会の時期でもある。
飲み会に参加してると、みんな話を聞くのが上手いなぁと思う。
「うんうん」の相槌にしろ、
「へぇ〜」という感嘆の声にしろ、感情がこもっている。
表情もコロコロ変わって豊かだ。
「そうなんですね」の一言にしても、いろんなバリエーションがあって聞いてて面白い。
私は相槌も大人しいし、表情もほぼ変わらないので、もうちょいどうにかならないものかと考えてしまう。
以前、一生懸命笑っていたつもりだったが、
「あなたはもっと笑いなさい」と言われてしまい落ち込んだ。
そんなこと言われてもなぁ。
自分も心の底から凄いと思えば、感情こもった驚きの声があがるし、本当に面白ければお腹を抱えてケラケラ笑うのだが。
10か100かのリアクションしか出来ない。
感情が動かないとリアクションができないのだ。
以前、意図的にリアクションを頑張ってみたが、どうにもうまく出来ない。
自然に振る舞えない。
無理やり頑張った感じになってしまう。
話し手にとって気持ちいい聞き手になりたいのだが、
上手くいかないので自己嫌悪に陥る。
ここでよく考えてみよう。
私はリアクションが上手い人よりも、話をちゃんと聞いてくれる人が好きだ。
私のパートナーは、相槌も静かだしリアクションも限りなく少ないが、私はそれを不満に思ったことはない。
むしろそれが心地いい。
聞いてて話してて疲れないのだ。
リアクションよりも、話をちゃんと聞いてくれることが嬉しい。
むしろいちいちリアクションが強い人だと一緒にいて疲れてしまう。
たまに会うならそれでもいいが、常に一緒にいるとなると話は別だ。
要するに私は、(私が思う)相手が疲れないようなリアクションを無意識でやっているワケだ。
それが相槌が大人しい聞き手ということだ。
このnoteを書いているうちに気付いたことだ。
これだからアウトプットは面白い。
書いてるうちに考えがまとまり、新たな発見に繋がるのだから。
特にモヤっとした時は、書き出してみるコトをおススメする。
このような意外な着眼点が見つかることもある。
書いているうちに解決策が見つかり、自己嫌悪や自己否定になることなく、ありのままを見つめることができるのだ。
そのうえで自分がどうしたいか決めればいい。
今月は数件の飲み会が予定されている。
少人数なら話すこともあるが、大人数飲み会だとほぼ聞き役に回る。
相変わらずリアクションは上手くできないだろうけど、ちゃんと話を聞いて、的確に話に突っ込んで、みんなで楽しんで、私らしく振舞おう。
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