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私が思う家族と時間と自分

「家族」

それは自分にとって、
ひとつしかない「ひとつの塊」

自分が生まれてから
今までのことをほとんど知ってる人。

そんな家族について、
私が思うことを書きたいと思います。

「家族」は自分にとって
家族しかいない

家族という存在は生まれてからずーっといるので、いることが当たり前と捉えがちです。

でもそれが当たり前じゃないこともありえます。


特に言えるのは親の存在



親は高確率で自分より先に死んでしまいます。
いなくなってしまいます。


しかし、生まれてからずーっと一緒にいるがために、親という存在を当たり前に捉えすぎてしまいます。

学生の時とかは特に「心配だ」と色々言われて怒られては「うるさいな」と思ったり、門限がうざいと思ったりして、だんだん家族といるより友達といる方が楽しくなってきて、家族との時間がすごく減ってしまったりすると思います。

いずれ、自分が働けるようになったら一人暮らしをしたり、結婚して別々の生活を送るようになったりしてから家族の有難みを知るとよく聞きます。

でも、その感覚って私的には実際に別々に生活するようになってから知るんじゃ遅い気もするんです。

「当たり前」の毎日

「当たり前のことが、当たり前じゃなくなる」

これは日々私が思っていることです。

こうして普通に毎日電車に乗り、通勤しているけど今夜大地震が起きてとんでもないことになるかもしれない。

また明日やればいいかって置いてきた仕事があるけど、今日急に自分が死ぬかもしれない。


そんな風に思い始めたのは
私が高校生の時でした。


高校1年生の頃、同じ学校の学年の子が朝通学中に交通事故に遭い、亡くなるということがありました。

その日はたまたまテストの初日でその子は少し早めに家を出ていたそうです。


皆は口々に言っていました。

「昨日また明日ねって言ったのに。」
「いつもの時間に出ていれば、、」
と。

その子の親も言っていました。

「朝、気をつけてねって送り出したのに」と。

人生、何が起こるかわからない。
そう思い、とても衝撃を受けた出来事でした。

なので友達からLINEの返事が数日返ってこなかったりすると、生きてるか心配になることもあります、、

親も子どもも同じ

自分自身の人生って、今こうして過ごしている時間すらも初めて生きる時間ですし、小学生になったり中学生、高校生、大学生、社会人とやったことのない経験をたくさんしながら大人になっていくと思います。

でも、それってよくよく考えると
親も一緒なんです。

どういうことかというと、
私らからしたら親はもちろん人生の先輩であり、同じように初めての小学生、中学生、高校生と道を通ってきてますが、今は「親」という道を通っている途中なんです。

私らと同じように、小学生の親、中学生の親、高校生の親、そして社会人の親。
いずれは、初めての義理の親、祖父母としてまた新たな人生を積んでいくんです。

子どものとき、「あの時は酷いこと言ったな」と思うこともあります。
でも、それもそれで親は言われる度に勉強しているんだと思います。

だから言ってもいいんだと私は思っています。

私も親になったらいっぱい子どものことで悩みたいですし、精一杯立ち向かっていきたいです。

しかし、親も人間ですから限度というものがあるのは忘れてはいけないです。笑

何が言いたいかというと

時間が合えば、家族と過ごすことってすごく大事なことだと思います。

同居していれば尚更です。

同居しているからこそ、いつもいるし家族とどっか行くより友達とどっか行った方が、、と思うと思います。

私もそんな時期がありました。

友達も大事ですが、今まで生まれてから今まで寄り添ってくれた親と過ごせる時間って何気に大事なんです。
自分はその人がいなければここにいないですし、親には自分の中の人の中で1番感謝しなければなりません。

もちろん、ムカつくなって思う人もいると思いますし、縁を切りたいっていう人もいたり、ほんとに縁を切った方が自分にとってはいい選択肢であると判断した場合には別ですが、、

なのでそれぞれの事情もあると思うので一概に全ての人がそうだとは言えないです。

何かに成功した時、自分よりも喜んでくれた人は誰かって考えればいいかなって思います。



私の父は3、4年前両親を
たったの2年で共に亡くしました。

その時の悲しみの気持ちを間近で見たからこそ感じることでもあります。

父は普段私や弟にはとても厳しい父でした。

泣く顔なんて全く見たこと無かった。

だからこそ、もう返事をしない祖父に「お父さん」と話しかけたあと、そのまま仕事に向かい、こっそり私たちに隠れるようにして泣いていた父を見て、私はなんとも言えない気持ちになりました。


それから父は毎日のように
母に言っていたようです。


「子どもたちともっと遊んであげればよかった」

「優しくしてあげればよかった」

と。

父はそう後悔していた、
と母からこっそり聞きました。

でも、私はひとつも遊んでくれなかった父を恨んだりしてませんし、厳しくしてくれたそれがあって今があると思っています。

それを聞いてもっと思いました。

「今」という時間は今しかない。
同じ時間は絶対に来ない。
今やるべきことはやる。

それを聞いたからこそ、娘として父と会話できる時はしたり、一緒に洗車したり、車の話をしたり、できることは一緒にやろうと思いました。

お酒は飲みませんが。笑

なので父が休みである日曜日、祝日は両親に予定を聞いてから友達と約束をするか決めるようにしています。


「今」を真っ当する

学生の時には馬鹿みたいなことや勉強はもちろん、甘酸っぱい恋、それに色んなことでたくさん怒られるべきだと思います。

今だからそう言えますが、学生のときにそんなことを考えながら生活していたかというと、そういうこともないですし、20代でやるべきこと、30代でやるべきこと、などなど経験してからそういうものはわかるものだと思っているので、20代でやるべきことが明確に分かるわけではありません。

ですが、「若い時にしかできないこと」はたくさんあると思います。

私はやりたいことは20代でやるべきかと思っています。
もちろん、将来の現実的なことも考えなくてはいけません。

でも、将来の現実的なことを考えられるのも先がある20代だからこそのことだと思っているので、苦でもありません。

後悔があっても、今からでも間に合います。

今という時間は今しかないから。


人間後悔はするものです。

今を考え、今を充実させることに目を向けようと思います。

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