自己紹介
■働く母を見ながら、音楽と過ごした学生時代
幼少期から芸術に興味があって、就学前から絵画の教室に通い、展覧会などで入選していたみたいです。13歳で合唱と出会い、音楽の美しさに魅了され、そこから現在に至るまで歌を歌い続けています。音楽を通じて人に喜びや感動を与えることで、私自身も満たされてきたように思います。高校2年生からは合唱団の指揮者もしていました。演奏全体を良くする事はもちろんですが、私は歌い手の持ち味を音楽に乗せて活かすのが好きで得意でした。
音楽をやっていると裕福な育ちだと思われがちですが、結構家庭は苦労していたようです。私を私立に進学させるために、小さな頃から母は働いていました。当時は共働きが珍しい時代だったので、友達には「さなえちゃんのお母さん授業参観いつもスーツだね」と言われ、私はそれがちょっと自慢でした(親の苦労子知らずとはこの事 笑)
母が朝早くに起きて資格の勉強をしたり、資格を取っては転職をし、大学に行ってはそのご縁で講演をしたりする姿を見て育ったので、女性だって、子供がいたって、努力次第で好きな仕事出来るんだ、と思っていたのかも知れません。
■戦士の様に働いた20代の私
そんな私も社会人になり、周りが大手に行く中、私は当時はまだベンチャーだった両面型のエージェントに入社を決めました。理由は2つ、1つ若いうちは両面型の若い会社でバリバリ働き結婚しても子供ができても活躍できる力をつけたかった、もう1つは理念「関わった人すべてをHAPPYにする」「登録者の感謝をベースに事業を展開する」に共感し、自分らしく働けると思ったからです。
ところが、現実はそんなに甘くなかった。入社してすぐ飛び込み営業、日々テレアポ、新卒でリーマンショック、2年目で新規立ち上げメディカルチーム(看護師紹介事業)に強制異動、感謝とは程遠く、成果を追う辛い毎日でした。
4年目に最初の転機が訪れます。希望していたプロジェクト、看護師を介護施設に紹介するというプロジェクトを任せてもらえました。採用に苦戦する介護施設の役に立てると心踊りました。しかし、新領域を開拓していくので、業務量が地獄でした(笑) 800件近くの案件を私1人とアシスタント1名で担当し、遅くまで残る日・・・ただ、「クライアントが求めてくれている、誰かがやらなきゃいけないなら、私がやりたい!」という謎の使命感で走りました。プロジェクトは軌道に乗り、メンバーを迎えチームとして拡大し、気がつくと私は業績トップ5常連の、MVPプレイヤーとなりました。
■人生最大の転機ー女性管理職登用・結婚・出産
そして7年目、29歳の私に人生最大の転機、プロポーズとマネージャー昇進が同時に訪れ、私の所属部署 東京拠点では初の女性マネージャーでした。「女性初」のタイトルがついたのは、私の業績がたまたま良かったのもありましたが、当時は「結婚したら夜遅くまで働けないからコンサルの仕事は難しそう…」という空気があり、女性社員が続かなかったのもあったように感じます。
私はエージェントの仕事も働いている組織も大好きでした。大好きな仕事を大好きな仲間と続けたいと思い、上司にある相談(というか宣言)をしました。「来年には子供が欲しいです。子供が産まれてもコンサルタントの仕事を続たいです。そのためにマネージャーとして必要なスキルを1年で教えて下さい、出産までに身につけたいです。」
そこから戦略策定を学び、教育を学び、マネジメントを学び、当時プレイヤーとマネジメントを兼務して早く帰れるようになりました。ワーキングマザーとしてやれる手応えを得て、最高の状態で産休に入りました。
■ワーママとしての新たな壁と、新たなチャレンジ
0歳4ヶ月の可愛い我が子を保育園に預け、シッターも病児保育も登録し、万全の状態で復帰した私を待っていたのは、乗り越えるべき新たな壁でした。復職面談で言われたのは、
「子供に何かあった時のことを考えて責任ある仕事は控えようか」「リモートワーク?メンバーの顔が見えずマネジメントは難しくない?」「倉持、最初からそんなに頑張らなくていいよ、焦るなよ。」
私や子供に配慮した上司の優しさなのは頭では分かっていました。ただ、仕事の内容は4年前と同じものに戻り、一時は仕事のやりがいを見失いました。何のために子供と離れて早く復職をしたのか分からなくなり、家に帰って目が腫れるほど泣きました。
みんなと同じようには働けない、雇う側からしたらリスクも有るはず、それでも元のポジションに戻してくれているからチャンスはある、泣いてても未来は変わらない、私がもっと頑張らなきゃ。
突如プレイヤーに戻った私は、元の仕事に戻るべく、猛烈に業績をあげ成果にコミットしました。徐々にマネジメントの比重が戻り、最終的には新規事業や事業部全体の面談指導も任せ頂き、子供がいる中でも色んなチャレンジが出来ました。最後に一緒に仕事をした部長がこう言ってくれました、
「子供がいるとかいないとか関係ないやん。任せたのは、倉持がちゃんと成果を出して、頑張ったからやで。」
会社と支えてくれたメンバーのお陰で、私はワーママとして満足度150点の経験を経て、第二子産休に入りました。
■転職のきっかけー成長を求め重ねた外部との出会い
復帰した後は、リモート勤務が普及したおかげで主人の家事育児比率が上がり、私はフルタイムの勤務にもチャレンジ出来ました。仕事は希望していた新規事業に配属となり楽しい毎日でした。コロナの煽りを受け、予測不能な中で営業戦略を立てるのは手応えがあり、私の学習意欲を刺激しました。
更なる成長と学習機会を求め、HUC(一般社団法人 母親アップデートコミュニティ)という、社会で活躍する母親の集まる外部のコミュニティに入りました。そこには20年勤務した会社を辞めた方、フリーランスで働く方、起業されている方・・・など、子育てをしながら活き活き働く人が集まっていました。「子供が10歳になるまでは子育て優先」と思っていた私の常識が崩されました。
組織に依存せず自立して働けるようになりたい、いつか私も自分で事業をやれるようになりたいそう思い、自分で事業をされている様々なビジネスパーソンに相談をしました。その一人がミライフ代表のスケさんだったのです。
■最後に背中を押してくれたのは、子供達だった
ミライフのお話を頂き、エージェントとしての在り方・ビジネスモデル・VISION「子供達のためにワクワクする未来を創る」どれも私にフィットした魅力的なもので、チャレンジしたい気持ちはありました。ただ、現職での責任と就学前の幼児2人の子育てとの両立、色々考えてとても悩みました。正直、今の安定した居心地の良い場所を離れるも、外の世界で自分が通用するのか知るのも、怖かったのかも知れない。
そんな悩みが続いたある日、息子の寝顔を見ながらこんな事を考えていました、「もし息子が今の私の状況だったら、母親の私は、何て声をかけるかな。」と。
”やりたい事に出会えたんだ、素敵じゃない!やってごらんよ、あなたなら大丈夫!もし、失敗したって、あなたなら立ち上がれるから、大丈夫、まずはやってごらん”
普段、子どもにかけていた魔法の言葉が、私の心に降り注ぎました。
日記の1ページ目に書いてある『子どもに生きて欲しい人生を、まずは私が生きる』この言葉通り、私は転職を決断しました。
(→子どもに生きてほしい人生を書いたnoteはコチラ)
■転職してみて、今、思うこと
思い切ってチャレンジをしてみて、正直、スッキリした自分がいます。「私は他所じゃ通用しないかも知れない…」と謎に怯えてましたが、予感は的中し、まだまだ出来ないことだらけです笑
でも、この感覚が欲しかった。
何が足りないか、どうしたら得られるか、それが分かれば、後はまたコツコツ努力し、真っ直ぐに走るだけ。不安で右往左往してるくらいなら、得たいものを得るために努力をしている時間の方がが、私は好きです。
こうして過去を振り返っても、出来るかどうかもわからないのに、身の丈に合わないチャレンジばかりしてきたなと思います(笑)でも、そのおかげで成長出来たし、夢も増えた。やりたい!と手を挙げた時に「そんなのお前には無理だよ」と言わず、「いいね!やってみようか!」と挑戦を応援して育ててくれた皆さんに心から感謝しています。
そして、次は私がたくさんの人のチャレンジを応援する番です。どんな夢でもチャレンジでもなんでもぶつけて欲しい。全部受け止めます!一緒に楽しく未来を語りましょう。
お一人でも多くの方が幸せに生きていけるよう、キャリアのご相談を通じて寄り添って行けたら嬉しいです。
長くなりましたが、最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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