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詩誌「三」74号掲載【詩のトークバトン】

ーー前号からの企画コーナー、詩の座談会改め「詩のトークバトン」第二回です。詩にまつわる話題を一つ、一人のメンバーが決め、それについてリレー形式で一人ずつ自分の考えを述べていくコーナーです。

石山 教科書で読んだ詩作品で、心に残っているものを教えてください。

私は吉野弘の「虹の足」です。

三で作品を書くようになって随分経ってから、「この作品、中学の授業で読んだけど、吉野弘だったんだ!」と遅ればせながら気づきました。

ある村に虹がかかっているのを、書き手がバスに乗っていて気づくのですが、村の人たちは気づいていない。幸福は、他人には見えるけれど、自分では気づかないよね、という作品です。

当時、授業で読んだ時は、衝撃を受けたわけではなかったのですが、詩を自分が書くようになって、一周回って戻ってきたら、この作品の良さに気づいたという感じです。まさに、この作品の言わんとしていることのようにも思えます。タイトルが、虹ではなく、「虹の足」というところもすごくいい。

吉野さんの作品って、優しさに満ちていて、読んでいて安らぐというか、癒されるんだよね。この作品も、読んだあと、じんわり心が温かく、やわらかくなる感じがする。教科書にも取り上げられるくらい読みやすいのに、大人が読んでもハッとさせられるような視点で書かれていて、何度も読みたくなるような作品なので、この場を借りて改めて紹介させてもらいました。もしかしたらみんなもそういう経験があるんじゃないかな、だとしたら、どんな作品か知りたいな、と思って聞いてみました。

正村 「虹の足」という作品を初めて知り、気になって調べて読みました。虹の足という言葉、すごくいいですね。すぐに去ってしまう一瞬の幸運な雰囲気も伝わってきました。虹の足元の人たちはその幸運に気づいていない…詩ってそういう気づきだなぁと改めて感じます。素敵な詩をおしえてもらいました。

私が詩に興味をもったのはまさしく中学の国語の教科書です。谷川俊太郎の「三つのイメージ」と新川和江の「わたしを束ねないで」が載っていたような記憶があります。とにかく「三つのイメージ」は格好いい!すこしファンタジーな言い回しも思春期なお年頃にがっちりはまりました。「あなたに答えは贈らない」という部分に当時めちゃくちゃしびれた記憶があります。
 
「わたしを束ねないで」も格好良く力強く、印象的な言葉遣いがたくさんあって、そして掴みどころなく流れていくようで、今改めて読んでみて、気持ちがいい詩だと思います。二つが同じ教科書に載っていたのかは記憶が定かではありませんが、私の「詩って面白い」はこの辺りから始まっていると思います。

国語の教科書をもらって、パラパラめくって詩を読んで、どんな授業だろう?と楽しみにしていたのに、ほとんどやらずに終わり、がっかりした記憶です…。当時は残念に思いましたが、大人になって現在まで詩をやっていても、それを授業でやるのは大変だろうなあと納得もあります。他の方の教科書の思い出も楽しみです。

水谷 私が心に残っている作品は中原中也「一つのメルヘン」です。

ソネット形式だ、という詩のしくみを紹介しやすいという以外には「教科書っぽくない」というか、これを「教える」なんて出来ないのに、と今読んでも思うけど(全ての詩について言えることなのかもしれないけど)、でもそれが教科書に載っていたのが嬉しいし、好きです。

確か授業では、この詩のイメージを元に絵に描いてみましょう、と言われました。

描けば描くほどイメージから遠ざかるし、それはきっと私の拙い画力のせいではなく、文字でこんなに素敵なものを絵にするなんて、それぞれの心に残る、それでいいのにとなんだかすこしだけ憤った記憶があります。

具体的に情景を並べたり説明したりなんてできない、でも不思議で美しく確実にそこにある光る世界、という感じがして、今読んでも新鮮にうっとりします。

工藤直子さんの「のはらうた」も懐かしく思い出しました。
ひとりずつ前に出て朗読したよなぁ。

私は小学校の時に詩を作る授業で褒められたことがあって、そのうれしさで今まで来ています。詩なんて授業で点数つけて習得するものかよ、と思うけど、でもそれをきっかけにはじめているし、何より「三」も現代詩ゼミの授業からつながってきた集まりだった、という当たり前のことを改めて思いました。
 
飯塚 大変申し訳ないのですが、どんなに頑張っても一つも思い浮かびませんでした。授業で教わった記憶はおぼろげにあるのですが、肝心の作品に関してはさっぱりです。

一回読んで、作者はこういう人でって説明して、簡単に内容に触れて終わり。たぶんこんなものだったんじゃないかと思うのですが。

ただ、正村さんの言うように先生の立場に立ってみると、詩を教えるって相当難しいだろうというのは容易に想像できます。悪い言い方するとテストにも出しにくいですし。自分自身、教育実習で詩をとり扱った際に大変難儀した記憶だけは今でもはっきり残っています。

他の人が印象に残った作品をこんなに上げていて、驚くやら羨ましいやらです。

これだけだと申し訳ないので、国語で印象に残っているのは詩人としても活躍した宮沢賢治の「なめとこ山の熊」。最後のシーンは今思うととても詩的だなと思います。

教職の先生が、「宮沢賢治の作品ははっきりとした主張やテーマが出ている訳ではないので、文学的にはいい作品だが教材としては教えるのが難しい。

だけど、文科省のお偉いさんは賢治が大好きだから絶対に教科書に入れてくる」と言っていたのも覚えています。

 石山 みんな、それぞれの思い出の作品を教えてくれてどうもありがとう。

この質問を思いついた時、教科書の中の思い出の作品なんて、「そんなの無いよ」っていう回答もあるかも…。でもそうだとしても、多分何かはしぼり出してくれるかな、と思いつつ取り上げてみました。

正村さんが選んだ谷川俊太郎の「三つのイメージ」。
構成がカッチリしていて、火と水と人のイメージの展開が遠い国の神話っ
ぽくてカッコいい。

新川和江の「わたしを束ねないで」は、改めて読んでみると、思春期の子達にはもちろん、色んな世代に刺さりそうなテーマと思いました。世間の窮屈さから解放されたい、というね。授業でほとんどやらずに終わりというのは、寂しいね。私の中学の時の国語の先生はその辺は丁寧にやってくれて、詩や短歌の作品の授業の時は、情景を絵にしましょうとか言われて…。絵心無い私は苦労しました…。その辺はサラっとやってくれよ、なんて思ったりね。
 
水谷さんの先生も、まさにそんな授業だったんだね。「一つのメルヘン」、これも改めて読んでみました。この作品が教科書っぽくないと言われれば確かにそうかも。現実と夢の間に漂っているような、幻想的な美しさがあるね。遠い過去には水が流れていただろう川の、今の情景を通してみる、過去の情景の想像。まさに詩だからこそできる表現だと思います。


そして、何とかしぼり出してくれた飯塚くんの「なめとこ山の熊」。私にとっては初耳の作品でした。確かに宮沢賢治作品は教科書によく出てくるね。仕方なく猟をして、自分の生計を立てるために他の命を奪うという、これは思春期の子達もドキッとする内容かも。子ども達の世界も色々複雑で、自分がターゲットにならない為に、見て見ぬふりをしたり、誰かを傷つけてしまったり、そういうことって往々にしてあることだから。先生たちが説教するよりも、作品を通して自分たちの弱さを学んで、自分たちのあるべき姿って何だろうって考えられる…かも?

今回この話題の中で、村野四郎の「鹿」という作品を、大学の梅田卓夫先生の講義で読んだことを思い出しました。森の中で、猟師に命を狙われている鹿が、そのことに気づいているけれど、抗うことなく堂々と立っている様子を描写した作品。十行くらいの短い詩なんだけど、鹿の気高さが、この作品に書かれている通り、キラリと光ってるんだよね。この作品を読んで、詩ってすごくいいなって思ったんです。そんなわけで、最後に私からもう一つの作品を紹介して締めさせてもらいました。

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