見出し画像

【哲人のひとりごと】#1 ディベートに違和感があるわけ

みなさんにとってディベートってどんなものですか?

小学生の頃に初めて授業でディベートをした記憶がある
その時は、よくわかんなかったけど、あんまりしっくりこなかった、と記憶している

大学のときのゼミの授業でもディベートがあった
コテンパンに、論理的に、打ちのめされた記憶がある
その時は、どっちも良い点あるし、悪いところもあるから、どっちが良いなんて決められないじゃん!、って思った記憶がある

そして、自分の役割が「哲人」だな〜と思い、ディベートになぜ違和感があるのかが腑に落ちてきた
僕にとっては、道理を、根っこを、本質を探究することが大事なのである
でもディベートって、本質を考えることは一旦脇においておいて、特定の立場に立ち、その立場が論理的に正しいということを述べることである、というふうに僕は理解している
第三の道を探ることはしない

そりゃ〜、合わないわけだw
根本は何?ということを知りたいのに、そんな事はいいから、特定の立場に立って、その立場が正しいということを証明しろ!
なんて、僕にとっては無理難題である
こっちにはいいところがあるし、あっちにだっていいところがある
こっちにもわるいところがあって、むこうにもわるいところがある
だから、どうしたらいいかな〜って考えることが大事じゃないか!

何事にも良い面、悪い面、得意な面、不得意な面がある
だから、それらをひっくるめて、どうしたら自分たちが進みたい方向に行けるかな〜、実現できるかな〜、誰にとっても幸せだろうか〜、と対話をしていくことが大事だと思うんだよね

二項対立じゃなくて、二つを合わせて、もしくは全くの違う方向から方法を探る

あっ、勝手に問を決められて、どちらかの立場を決めて、というような構造も性に合わないんだろうな
我ながら惚れ惚れするほどわがままだwww

いいね👍を貰えると嬉しいです、励みになります!
コメント💬を貰えると更に嬉しくて、更に励みになります!
そして記事をきっかけに、対話をできると、最高です😎
気軽に声かけてください!

どうぞよろしくお願いします🙏
Pura vida🤙

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?