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自転車で訪ねる式内社、140字の古社巡礼
2024年7月27日 12:58
「洪水で流失して大社殿にはなれず」という由緒の言葉にうなづいた。こぢんまりとした姫宮神社。弥生時代からの祭祀遺跡の延長線上にある古社だが昭和三十八年、杉桙別命神社に合祀というのが「式内社調査報告」掲載時の話。その後、笹原に氏神をという熱望から再建。写真は静岡県河津町。
2024年7月26日 10:43
先に見た河津来宮神社の祭神は杉桙別命。ところが八幡野の同社は伊波久良和気命。来宮神社なのに祭神が違うのは一筋縄にはいかない奥深さ。八幡宮に合祀前は海窟にまつられていた。伊波久良とは磐座じゃなく洞窟のこと? 神社出ると幸先よさそうな虹。のちに大雨。写真は静岡県伊東市。
2024年7月25日 11:09
下田港を眺めながら柿崎の三島神社へ。公民館と隣接する境内には由緒はないが南国らしい植物。ふと振り返り、鳥居の間に収まる小山の図にハッとした。多祁富許都久和氣命をまつる神奈備山かと早合点。三島神社に合祀以前は武峯山の武峯神社にまつられてたとか。写真は静岡県下田市。
2024年7月24日 11:05
田に囲まれた平地にも関わらず、遠くから見ても豊かな社叢。太幹のクスノキが目立つこの神社には、酒に酔った命が鳥に救われたため酒とともに鳥食の禁忌が伝わる。それを知り敦賀半島先端の鳥(鶏)食禁忌を思い出した。海に突き出た半島に鳥を神聖視して食べない共通点。写真は静岡県河津町。
2024年7月23日 12:27
降り続く雨のなか民家の間の石段の先へ。丘陵の頂きに鎮座する見高神社。枝を伸ばすタブノキやスダジイ、ほかの木々により古社感が増す。参拝後、賽銭箱横に目を向けると「ぎんなんをどうぞ」と箱詰めのギンナン。参道両脇に狛犬の如く乳垂のあるイチョウがあった。写真は静岡県河津町。
2024年7月21日 10:20
国道から分かれた道の先は海。しかし境内は海を背に鎮座。拝殿参拝後、後方に回ると浅めの岩穴に石祠がまつられ、その前に縄文遺物の石棒に似た石が並ぶ。これが「乳の神」、故に別名子安神社か。遠目に見ると後方の森と一体化した神社は海に近いが海的でなく陸的な気配。写真は静岡県河津町。
2024年7月19日 11:25
由緒によると本殿後方にある祭祀遺跡からは海の向こうの大島、利島、新島を拝したそうな。それを知った上で白浜海岸の鳥居の立つ岩に上がる。遥拝所なんだな、ここは。延喜式における掲載順見ると前後に三宅島の神社。この三島大社の后神は三宅島より遷座とか。納得。写真は静岡県下田市。
2024年6月22日 13:06
敷山神社の境内には漆器神社もまつられる。そういえば神社へ通ずる道沿いには漆器関連の企業がちらほら。敷山神社の説明にも「霊仙ヶ岳から出現した神から桑と漆の木を授かる」とあるように、漆器とは無関係ではなさそうだ。重厚な金属製常夜灯が一際目を引き、狛犬も可愛い。写真は福井県鯖江市。
2024年6月21日 10:54
福井駅から自転車に乗り鯖江市吉谷町の春日神社まで一時間弱。高台の境内に上がる途中、ひらけた場所から北陸新幹線の高架が視界を左右に貫く。「吉谷村に春日社あり、其處を片島といふ」(神社覈録)ゆえに加多志波神社の有力な論社とされた。つまりカタシマ≒カタシハ。写真は福井県鯖江市。
2024年6月20日 11:15
ついさっきまで晴れ間が見えていた空に垂れ込めた雨雲。それだけに境内は薄暗く元々、陽光が差し込まないせいかコケに覆われた参道と狛犬。朱色の鳥居をくぐり拝殿へ。後方に目を転ずると神社境内にお堂! 社叢の倒木使い建立されたそうだ。どれほどデカかったんだろう。写真は福井県鯖江市。
2024年6月19日 10:54
以前、池田町で「能楽の里」の看板を目にしたとき、どこで舞われるのか気になった。水海の鵜甘神社はまさにその舞台で、春大祭では能舞と田楽を奉納。祭礼当日はさぞにぎわうことだろう。しかし六月初旬の日曜昼下がりの境内は静か。空を舞うトンビ、流れの際に1mほどのヘビ。写真は福井県池田町。
2024年6月17日 08:48
日曜朝の境内に響く草刈機のエンジン音。緩い坂に沿って立つ鳥居をくぐり山裾の拝殿へ。説明によれば、拝殿に納められた「木造四天王像三軀」は平安時代末の作とも。「延喜式」の編纂時期と同時代。草刈りの男性に尋ねると社名は「ウカン」で、神社はもとは別の場所にあった。写真は福井県越前市。
2024年6月14日 10:19
駐車場が完備された「刀那清水」。建屋内の二本の筒から流れ出た水をちょうど、ペットボトル一本分いただいた。水を汲んだら雑草を一株抜くのがここでのお約束。濃緑の社叢を背景とした境内。森と水は神社に必須な条件だが、遷座が常の式内社。清水と社は関係がありやなしや。写真は福井県鯖江市。
2024年6月13日 11:04
寺院を思わせる拝殿だが、裏手に回り覆屋に鎮座する社を見るとやはり神社である。須波=諏訪かぁ、なんて思っていると、おやおや神社の斜向かいに茶畑が。平頼盛の御廟所である城福寺は福井藩主が桜を楽しんだ場所。維新後、藩主が東京に移ったあと馬場跡が茶畑に。写真は福井県越前市。