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自転車で訪ねる式内社、140字の古社巡礼
2024年10月4日 10:23
まるで怪物のようなクスノキ。二つかと思いきや根元で繋がるひとつの木だから驚き。前日「加納に大きな三島神社があるよ」と地元のひとから教えてもらったが、「大きな」とはクスノキのことだったか。二座のうちの一社というが由緒に「カモ」系祭神の記載はない。不思議。写真は静岡県南伊豆町。
2024年10月3日 12:28
拝殿中央に扉なく、賽銭箱の奥には榊や塩、米等の供物。その建て方は地域的な特長か分からないが一方、近隣の神社と同じく天井に千社札多し。郡名と同じ「カモ」にも関わらず漢字を違えるには訳があるのか。道路を隔て「神社が建てられた頃から」という神木のビャクシン。写真は静岡県南伊豆町。
2024年10月1日 13:04
妻良トンネルを北に抜けると一気に下り坂。帰りに再びこの坂を上れるか心配していると、坂の途中から鳥居とその奥に朱色に彩色された拝殿が視界に入る。拝殿後方の本殿には獅子、亀、竜、鶴などの見事な彫刻。東京や神奈川方面から来た巡拝者の千社札が多く張られていた。写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月26日 11:38
山を背にして本瀬海岸を向く王子神社。境内には幹太いタブノキ。三島大明神の縁起を語る「三宅記」には「たみ」という名でタブノキが登場。社名も王子なので三島神社と関係がありやなしや。祭神は穂都佐和気命と思われるが、神名から「和」が抜けているという指摘あり。写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月25日 11:27
諏訪神社への上り口に一台の軽トラ。参道の石段脇に脚立。境内に上がると「何しに来た」との一言。伊豆の神社を回っている旨を伝え、氏子さんから話を聞く。当日は午前中に神事。旧暦七月二十七日が祭礼日だが勤め人多く日曜に。建物内に上がり朱色のお社前に直接参拝。写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月20日 11:29
社前の鳥居は数日前に立てられたのではと思わせる新しさ。鳥居をくぐり急な石段を上がって広前に出、さらに石垣上の拝殿を参る。賀茂郡には「伊波」を冠する神社が五社。すべて「イハ」と読むが、これは岩、つまり磐座を指すのか。それとも伊豆特有の別な理由だろうか。写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月18日 10:43
伊豆には三島神社が多い。ペダルを漕ぎながら感じるのは、昔の式内社も現在は三島神社を名乗る神社の多さ。まるでその勢力下に置かれているかのように。阿米都加多比咩命、そのまま受け取れば女神だが、三島神社を名乗るのなら祭神は男神か? という疑問がわく。写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月17日 12:34
子浦の海を見下ろす高台に八幡神社は鎮座。拝殿は朱色で屋根に鯱ほこを載せる。細い路地の参道から漁港まで足を伸ばし海をのぞくとプカプカ浮いたクラゲの群れ。国道に戻るとサルが道を横切り木に登った。その様子を眺めてたら真横でじっと僕を観察するサルがいた。写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月16日 10:11
「式内社調査報告」で紹介された論社は五社。しかも賀茂郡内において広範囲に点在するのは疑問。南伊豆町の内陸部に鎮座する青野の三島神社。鳥居越しにがらんどうの建物。これって拝殿? もしくは舞殿? 石段を上がり高台上に本殿。左右の常夜灯に安永七年の銘。写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月15日 12:11
大きい神社という訳ではないが、日差しを遮断する社叢は僕ひとりが涼を求めるに十分な木陰を与えてくれる。ツクツクボウシの鳴き声とすぐ前を流れる川のせせらぎ。農作業をしていたおじいさんに声かけて教えを請う。「いつできたかは分からないけど古い神社だよ」写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月13日 10:41
石廊崎オーシャンパークを出て岬へ向かう道は参道になっており途中、鳥居をくぐる。細くなる道を進むと階段があり、その先は岩に納まる石室神社拝殿。手すりはあるものの周囲は断崖絶壁のため足が震えた。小祠が鎮座する海に突き出た断崖からは三宅島をはじめ伊豆の島影。写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月12日 12:33
下田駅近くのスーパーに行こうとすると目の前にきれいな円錐形の山。数分後、まさかその山を登ることになるとは。「下田富士」と呼ばれる山の入口、鳥居の扁額に浅間神社とあるから祭神は木花咲耶姫だろう。意波與命は「いわよ姫」との説もあり女神つながりで祭神変更か。写真は静岡県下田市。
2024年9月11日 10:51
三座とは三嶋大明神と后神、御子神を指すが、弓ヶ浜海岸に近い若宮神社は社名の通り御子をまつる。境内にある由緒は文字が薄く判読は難しいが、月間神社の由緒から祭神は物忌奈命。青々とした社叢は若宮だけに新鮮なブロッコリーのよう。海岸に近い境内は一面、細かい砂。写真は静岡県南伊豆町。
2024年9月6日 13:54
同じく論社の月間神社の由緒によると、神津島から三嶋大明神とともに渡って来られた阿波咩神は八幡社に分祀と書かれてあった。吉佐美の八幡社は后神が鎮まる場所にふさわしく立派な森で社叢の木々が社殿を覆っている。胴回りが太い大きなクスノキ多いが御神木はイスノキ。写真は静岡県下田市。