考えすぎて何も発信できなかったわたしがnoteを始めたきっかけ

以下点線内4/20 FB投稿内容 一部編集

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書き出したら長くてわかりづらくなってしまったけどおすすめおしえてください~っていうお願いです!

娘が保育園に行かなくなって10日程、実は登園自粛の前から登園を嫌がる娘を見過ごせずに休ませていた。
事の始まりは入園前の用具購入。娘は3月までは小規模保育園にいたが、4月からは幼稚園型?のこども園に通っている。保育園に通っていたので制服に違和感、登園したら脱ぐとのことで仕方ないかと思いつつ、登園の靴を白指定されたときわたしはどんな顔でいただろう。また体操服の短パンも指定で履かなければいけない。4月1日から数日間で違和感がみるみる膨らみ胸が引き裂かれる思いで娘を休ませるに至った。

なぜそんなにも辛い気持ちになったか
娘はおしゃれが大好きで2歳半頃には自分が身に着ける服は全て自分で選んでいたし、購入の際も娘に選ばせないと着てもらえない程度には服に関してこだわりがある。
おしゃれのアイテムは日に日に増え、登園前にはリップクリーム、チーク兼口紅、髪を結んでもらい、ヘアピンやカチューシャを日替わりで楽しみ、お気に入りのグッズを気分に合わせたカバンに詰め登園していた。
しかしそのルーティンがほぼ出来なくなってしまった。

毎朝「なんで着るの?」「なんで?」と聞かる度、白い靴を履く理由、制服を着る理由を言えなくて苦しかった。わたしも用品購入で聞きたかった、でもわたしの中で勝算が見込めず諦めた。

娘が登園したくない理由はもちろん制服問題だけではなかったと思う。もし再開され、落ち着いた園運営が始まれば適応していく可能性は十分にある。
行かなくなってみて、親の私が行かせたくない、というかもっと娘がのびのびできる場所を選んであげたいというか出来うる選択肢を最大限用意して選んでもらいたいという気持ちがとても強くなってしまった。

わたしは教育学部に入ったがこの制度で先生になりたいとは思わず、脇道にそれながら様々な人生を見て歩いた。留年して数年、上杉教授の別荘に招かれ、プロジェクトベースラーニングの存在を知った。サドベリースクール、イエナプラン、モンテッソーリ、自分の興味関心は無視してがむしゃらにもがき光を目指していたわたしが受けたかった。しかし、留年するまで出会えなかった。

そんなことも忘れて数年後の今、子供を育てている。
余談だが、前田恵理子さんのコロナは10年仕事という記事をみてとても共感した。学校が再開されない場合を見越してフルのホームスクーリングをすぐにはやれる気がしないがコーチングを少しづつ学ぼうと思う。もし再開されていけば既存の学校等とのマッチング。

ちなみに、なぜ今日この長文に火が付いたかというと、一部の職場や学校で「マスクは白で」という記事を見たからです。白じゃなきゃいけない理由で一つ上がっていたのは「色や柄を許すとだんだん派手になり、そこから乱れが生じる」とのこと。ここから娘の上履きを思い出しました。もう学校ってテレビだったり大企業じゃないか。ベンチャー普通の世の中で、学校だけの選択肢は無理がある。どこにいってもいいよねって、なってるか。

私自身見識が狭いのかもしれない。これを問題提起してるのは古いなら未来は明るいな。猛スピードでキャッチアップしてきます。おすすめの記事、本、なんでも吸収したいので教えてくださると嬉しいです!!!!あともし賛同?なりしてくれる仲間がいたら嬉しいです!意見交換したいです。

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この投稿をきっかけに、たくさんの友人と意見を交わしながらたくさんの視点に気づくことが出来た。自分の返信も併せてコメントは50件を超えていた。

疑問に思ったこども園の規則から始まり、教育者目線からの子供のためにより良い教育、母親であるわたし自分自身の好みの問題、自分がどこで、どう生きていきたいのか。様々な視点に思いを馳せながら返信していくのはとても楽しい時間だった。

「ステップエデュケーション」という造語を思いついていたので、このキーワードと共に、手の届かない教育ではなくて、現場から出来る選択肢の広げ方を具体的に整頓していきたいと思っている。

整頓の前に自分の中に言葉がたくさんあるので、全部出してから再編集していければと。駄文ですがしばらくはとにかく出す練習をします。


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