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自信を持つ事は人生を生きていく上で必要であると思う。
自信を持つことでチャレンジができるわけで、
自信がない=)不安が多いと、チャレンジすることもできない。

ただ、僕はこの”自信の存在”は難しいとも考えている。
なぜなら、自信は気づくと慢心に変わっていることが多々あるからだ。

サッカーは顕著に出る

小学生の時に、サッカー環境で感じていたことである。
小学生レベルだと、正直身体能力が高ければ地域、県などの選抜に選ばれる。

つまり、上手いという判断を周りから簡単にされる。
選ばれた選手は、選ばれた=自信が生まれる。

自分は上手いんだとプレーにもキレが出てくる。
小学生ともなれば、チームでは中心的選手になるだろう。

すると、自我が出始め、チームメイトを威圧し、上下関係が生まれてくる。
こうなってくると、この選手は戻って来れないことが多い。
(良い指導者に出会う必要がある。)

中学生に上がると、選手としてのレベルが上がらなくなり、停滞する。
そして、サッカーをやめたりしてしまう。実際に、僕の周りには数人いた。

ここから、慢心する事で自分が一番上手いと思い込んでしまいうと
もっと上手くなろうという向上心がなくなり、頑張っている人に簡単に追い抜かされてしまう事を学んだ。

バランスが難しい

そんな事はいっても、このバランスを取る事は容易ではない。
自信を持ちすぎて慢心しないように気を使いすぎていると、
自信を持つことに不安を感じてしまう。

慢心したくないと思うあまり、自信を持つ感覚を忘れ、
気がつくと自信がなくなってしまう。

では、どうすればいいのか僕なりに答えがある。

”謙虚”でいること。

自信を持ちすぎてしまうと慢心に変わるこのアルゴリズムに、
謙虚を代入してあげると

自信を持ち、謙虚さを持つ、つまりは二刀流でいることでこの慢心になってしまうのではないかという恐怖がなくなる。

どういうことかというと

自信を持つ⇨(この自信が正しいのかどうかを確かめるために)謙虚さを持つ⇨慢心になることを防ぐ(自分という原点に戻る)⇨自信だけがつく。

これを繰り返すことにより、純粋な自信だけが抽出される。(僕の場合)

自信は、行動の原動力であり
謙虚さは、己を振り返るものであり
慢心は、己を滅ぼすものである。

自信と慢心は親友(紙一重)である。
この関係性をうまく保つためのには、”謙虚さ”に間に入ってもらうことが重要だと思う

”慢心を持つな、自信を持て”(座右の銘)

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