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八支則のヨーガ(ヨーガ・スートラ)

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パタンジャリ著『ヨーガ・スートラ』で紹介される八支則のヨーガ(アシュターンガ・ヨーガ)について、先生から教わったことをまとめています。 自分の理解が至らない点も多々あるかと思いま…
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八支則のヨーガ 1.1【アヒムサー】

八支則のヨーガ 1.1【アヒムサー】

アヒムサー 傷つけない、非暴力

ヨーガ・スートラ、八支則ヨーガの教えはヤマ、ニヤマから始まり、ヤマ、ニヤマの教えはアヒムサーから始まります。
ヤマ、ニヤマは「ダルマ」の価値の教えであり、その中で最初に挙げられるアヒムサーは、代表的なダルマ、ダルマの中のダルマと言われます。

盗まないこと(アステーヤ)、嘘をつかないこと(サッテャ)、貪らないこと(アパリッグラハ)といった教えは、アヒムサーを徹底す

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八支則のヨーガ 6,7,8【ダーラナ/デャーナ/サマーディ】

八支則のヨーガ 6,7,8【ダーラナ/デャーナ/サマーディ】

ダーラナ 瞑想の対象を考えに保つ

デャーナ 瞑想の対象に考えを集中する

サマーディ 考えの私の解決

瞑想の定義

一般的に「瞑想」というと、リラックス、集中、マインドフルネス、坐禅、ヴィパッサナーなど、様々な目的を持つ様々な流派の瞑想があるように思われています。

ヴェーダ(ヴェーダーンタ)の教えにおいては、「瞑想」には伝統的な定義があります。

つまり、瞑想とは思考を止めたり、自他の区別が

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八支則のヨーガ 5【プラッテャーハーラ】

八支則のヨーガ 5【プラッテャーハーラ】

プラッテャーハーラ 感覚器官の統制

感覚器官の統制に関して、バガヴァッド・ギーターではこのように言われます。

ヨーガ・スートラにおいても、プラッテャーハーラがただ感覚器官を閉じること(見ない、聴かないなど)の練習として言われていないことは明らかです。

ヨーガの教えの中で、ジーヴァ、個人はしばしば馬車に喩えられます。

馬車は肉体、4-5頭の馬は5つの感覚器官(※)、手綱はマナス(思考、揺れ動

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八支則のヨーガ 4【プラーナーヤーマ】

八支則のヨーガ 4【プラーナーヤーマ】

プラーナーヤーマ 呼吸の統制

瞑想は、「さぁ、瞑想でもするか。どっこいしょ!」と急にできるものではなく、それなりの瞑想のムードを高めていくことが大切になります。

伝統的な瞑想のステップでは、瞑想の準備としてプラーナーヤーマ、呼吸法を行います。
具体的には、座る姿勢(アーサナ)を整えた後、ナーディーシュッディ(ナーディーショーダナ)と呼ばれる、片鼻呼吸を行います。

鍛錬としてではなく、瞑想前に

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八支則のヨーガ 3【アーサナ】

八支則のヨーガ 3【アーサナ】

アーサナ 座る姿勢

アーサナからの3つの支則(アーサナ、プラーナーヤーマ、プラッテャーハーラ)は、そのあとの瞑想に必要な考えを整える鍛錬と言われます。

アーサナは直訳すると、「座ること」あるいは「座るための物」で、敷物や座布団のこともアーサナと呼びます。

現代の私たちにとっては、アーサナというとヨガのポーズの練習というイメージが強いですが、ヨーガスートラでアーサナについて言われることはシンプ

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八支則のヨーガ 2.5【イーシュワラ・プラニダーナ】

八支則のヨーガ 2.5【イーシュワラ・プラニダーナ】

イーシュワラ・プラニダーナ イーシュワラへの献身・理解・熟考

カルマ・ヨーガの練習がイーシュワラ・プラニダーナ

イーシュワラを想って行いを捧げる態度(アルパナ・ブッディ)、結果をイーシュワラからのプラサーダと受け取る態度(プラサーダ・ブッディ)、つまりカルマヨーガの実践、練習がイーシュワラ・プラニダーナです。

「イーシュワラとは何か」がわからなければイーシュワラを想うことはできませんので、ス

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八支則のヨーガ 2.4【スヴァッデャーヤ】

八支則のヨーガ 2.4【スヴァッデャーヤ】

スヴァッデャーヤ 聖典の勉強

聖典とは

ヴェーダ(ヴェーダの結論部分であるウパニシャドを含む)と、ヴェーダの教えに矛盾することなく書かれた作品(マハーバーラタ、ラーマーヤナなど)が「聖典」と呼ばれます。

ヴェーダとは知識体(知識の集合体)を意味する言葉です。
オリジナルのヴェーダは人間が一生では学び切ることができないほど膨大であるため、より人々がヴェーダの教えを学べるように、聖者ヴャーサによ

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八支則のヨーガ 2.3【タパス】

八支則のヨーガ 2.3【タパス】

タパス 修練

バガヴァッド・ギーター2章48番の詩では、ヨーガ(カルマヨーガ)の定義が述べられています。

この世界で起こる出来事は、「暑さ・寒さ」や「出会い・別れ」といった避けようのない二極の側面があります。
「時間」という法則の中、始まったものは必ず終わるし、得られたものは必ず失われます。
摂理としての二極性(二極に見える性質)はあっても、本来物事はすべてニュートラルで「良い・悪い」「正しい

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八支則のヨーガ 2.2【サントーシャ】

八支則のヨーガ 2.2【サントーシャ】

サントーシャ 知足

アパリッグラハの話題とも重なりますが、所有の願望の対象には、「必要なもの」と「必要だと思っているもの」があります。

「必要なもの」は身体を維持するため、家庭や社会でのダルマ(役割・義務)を果たすために実際に必要なものです。

「必要だと思っているもの」は、「それがあったら安心、満足、幸せ」など、その物の持つ客観的な価値以上の価値を上乗せしているものです。

例えば、職場に通

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八支則のヨーガ 2.1【シャウチャ】

八支則のヨーガ 2.1【シャウチャ】

シャウチャ 清らかさ

シャウチャには、バヒル・シャウチャ(外側の清らかさ)とアンタル・シャウチャ(内側の清らかさ)の練習があります。

バヒル・シャウチャ 外側の清らかさ

外側の清らかさには、三つの側面があります。

①清潔に保つこと
②整理整頓すること
③綺麗に着飾ること

特に女性であれば、綺麗に着飾ることもシャウチャと言われます。
ヒンドゥー(ヴェーダ)の文化では、私たちの体も神が宿る神

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ヨーガ・スートラとバガヴァッド・ギーター

ヨーガ・スートラとバガヴァッド・ギーター

ヨーガと出会って体や心の変化を感じ、なんだか自分にとってヨーガが大事なものに思えて、もっと学んでみたいと思った時、多くの人が手に取るのが『ヨーガ・スートラ』だと思います。

「入門書」と思われがちなヨーガ・スートラですが、実際はサンニャーシーと呼ばれる出家修行者に向けて書かれた、瞑想に特化したテクニカルな経典です。

「ヨーガ」は語源、文脈によっていくつかの意味があり、ヨーガ・スートラにおける「ヨ

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八支則のヨーガ 1.5【アパリッグラハ】

八支則のヨーガ 1.5【アパリッグラハ】

アパリッグラハ 貪欲さのないこと

所有の欲求には、二種類あると言われます。
一つは「持っていない物」への欲求で、もう一つは「持っていないと思っている物」への欲求です。

例えば、家や食べ物、着る物などは人が安心して生きるために最低限必要な物です。
あるいは、仕事で使う道具なども、社会に貢献するために必要な物で、それらを持っていないとしたら、求めることに問題はありません。

「必要な物」で「持って

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八支則のヨーガ 1.4【ブラフマチャリヤ】

八支則のヨーガ 1.4【ブラフマチャリヤ】

ブラフマチャリヤ 禁欲の誓い

ヴェーダの文化では伝統的に人生の4つのステージがあります。

ブラフマチャリヤ 学生期
グルハスタ 家庭、仕事期
ヴァナプラスタ 林住期、隠退準備期
サンニャーシー 隠退期

先生の下でヴェーダの学びに専心する「学生期」のことをブラフマチャリヤと言います。

先生がヴェーダの言葉によって明かす主題は、「イーシュワラとは何か」です。

また最後のステージであるサンニ

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八支則のヨーガ 1.3【アステーヤ】

八支則のヨーガ 1.3【アステーヤ】

アステーヤ 盗まないこと

ステーヤ(盗むこと)のないこと(ア=否定の接頭語)がアステーヤ。

「自分は物を盗んだりしないから大丈夫」

と思っていても、「してもらったことに正当な対価を払わないこと」もステーヤだと言われます。

あるいは、自分のストレス発散のために相手にとって有益でない話を長々と聴かせたり、待ち合わせの時間に遅れたりすることも、「相手の時間を奪うこと」になってしまいます。

また

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