自由について

おはようございます。サメル(覚める)と申します。

毎日500文字前後で投稿しています。500文字というと原稿用紙換算で2枚分。テレビなどのナレーションだとおよそ1分半〜2分程度。読むのはもっと早いですから大体1分くらいで読めます。是非、お付き合いください。

今日は、自由についてです。

突然ですが、私の家の近くには自然が豊かな公園があります。たまに空いた時間に散歩に行くのですが子連れや犬の散歩などの平和な風景が見られてとても好きです。

ベンチに座って、周囲の遊んでいる幼児、小学生ぐらいの子ども達、通勤中の大人を眺めているときにふと思いました。彼らの行動原理の明確な違いについてです。

通勤中の大人は社会の中で生きています。通勤中の人の動きには迷いがなく、一定の方向に一定のスピードで一定の表情を保ちながら進んでいきます。

小学生くらいの子どもたちはもっと自由です。それぞれサッカーをしたり鬼ごっこをしたり、天真爛漫に遊んでいます。

1~3歳くらいの幼児たちも自由に遊んでいますが、小学生たちのそれとは明確な違いがあります。それは、幼児たちの遊びには、基本的なルールがないことです。

たとえば、公園にある人工の水源。そこに浮かんでいる葉っぱをただ追いかけるという行為だけに没頭している小さな男の子。

サッカーという、脚だけで一つのボールをゴールに入れるという明確なルールを持った遊びをする、小学生。

このほんの少しの年の違いでも、何か定められたルールの中で喜びを得るか、何にも縛られず、自らの決めたルールの中で喜びを見出すか、という社会性の違いが出ています。

かくいう私は彼らに比べて、あまりにも周囲から押しつけられたルールに囚われているなと思いました。

大人たちが子どもを慈しむ感情は、大人たち自身の心が濁る前の澄んだ心、その頃に戻れる気がするというある種希望にも似た感情を孕んでいるのではないでしょうか。

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