見出し画像

『小春日和って冬の終わりじゃなくて冬の初めのほうで使う言葉らしいで』の回

数年前に何かのテレビ番組で、小春日和は冬の終わりの暖かい日を指すのではなく、冬の初めの暖かい日を指して使われる言葉だと知り、ちょっとした衝撃を受けた。完全に勘違いしていた・・・。ただ、冬の初めに小春日和という言葉を使うにはちょっと春が遠すぎやしませんでしょうか。冬の終わりに使うほうが、春が目の前まで来ている感じがあってタイミング的にはドンピシャな気がする。小春日和のシステムが通用するのならば、夏の初めの涼しい日も小秋日和と言うのかい? そりゃあちょっと違和感がすごいんじゃないのかい? これは屁理屈かい?

それにしても秋って印象が薄い。生まれてこの方なんども秋を経験してきたはずであるのに、いまだに秋真っただ中という感覚が正確に掴めない。同じような涼しい季節である春には、少しずつ暖かくなってきて桜も咲いているし、入学式や入社式などのイベントもあるから『春だ!』と感じる瞬間がある。それに対して秋には何の節目もないし、春で言うところの桜のような存在である紅葉に関しては、見ごろのシーズンはもうすでに結構寒い。紅葉狩りに行ったときの過去の写真を振り返ってみても、マフラーをしてなかなか厚手の上着を着ている。服装はもはや冬やんって感じ。春は小春日和という言葉が作られているのに、秋は小秋日和という言葉を作ってもらえていないほどの秋の扱いのひどさ。それくらい秋はぼんやりとしていて掴みどころがない。

ただ、そんな印象の薄い秋だからこそあらゆる言葉と組み合わせることができる。読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋。印象が薄いからコラボ先の邪魔をしない。もう「○○の秋」ってフォーム、なんでもいけるんじゃないか。なにとでもfeat.できるんじゃないか。そんな風に思える一方で、そのどれもが決定打に欠ける感じが否めない。読書の秋は芸術の秋の中に入れようと思えば入れれそうやし、夏は暑さにやられて食欲が落ちるから、そこからの流れで相対的に秋は食欲が増したように思えるけれど、冬も同じぐらい食欲が湧く。ごめん秋、やっぱりどう頑張っても秋らしさを見つけられない・・・。小さい秋は見つけられるけれど、大きい秋が見つからない・・・。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?